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【授業】水の「電気ぜめ」(電気分解)

Dscf7731 昨日の昼下がり、すき間時間を利用して、加茂神社の入口まで散歩した。散歩というのも憚るぐらいの距離である。職員室を出て数分もかからないぐらいである。池には鴨がすいすいと群をなしている。水面には、みごとに色づいた紅葉が映る。なんという景色だ、師走を前にした境内は初詣のスタンバイをすすめている。恒例であり名物の藁でつくり干支はすでにできあがっている。来年は丑である、親子丑であろうかいや夫婦丑かな…。
▼授業報告を続ける。実際にやったのは一昨日である。
炭酸水素ナトリウムや酸化銀のように「火ぜめ」では分解できなかった水。
この水の電気分解が、この時間のテーマ。
これまでも、私はひっかかりがあった。ここでなんで水の電気分解なんだろうと。
イオンの学習があってこそではないのかと。しかし、今は「イオンの学習」がないのである。
だから、この流れ
「火ぜめ」でダメなら、「電気ぜめ」という流れにわりかし納得している。
▼それにしても不思議な話だ。
このありふれた水。
すべてのはじまりのような水。
これが、あの水素とあの酸素とからできているなんて。
この不思議を、私たちはどこかに置き去りにしてきてしまっているのではないだろうか。
この不思議をはじめて知ったときのあの感動を。
そんな古い話ではない。
アンソニー・カーライル (Anthony Carlisle) とウィリアム・ニコルソン (William Nicholson) が初めて水の電気分解に成功したのは1800年のことだそうである。
 たった200年ほど前のことだ。
 最先端の科学でそんな最近なんだ。ふつうの生活者にとってこの事実はどうだろだろう。
水があの水素と酸素からできている、それを取り出すなんていうのは驚愕の実験ではないだろうか。
▼中学校化学実験の定番中の定番。水の電気分解。
定番だからといって、「知る」と「わかる」だけに重心をおかずに「感動」も大切にしたい、そんな思いで授業に入った。
・水がそのままでは電気を通さないので、うすい水酸化ナトリウムでやること、例のピッカリテスターを使って説明した。同時に、安全性についての注意もした。
・装置を進化してきているようだが、あるのはH字管。
安全性を考え、その説明をした。これがけっこう手間取ってしまった。
ちょっと中途半端に時間を使わせてしまった。
 ここは、やっぱり時間かけてゆっくりやりたい。
あの「感動」を置き去りにしてしまわないためにも

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【授業】水を「火ぜめ」すると

 同じ実験もちがう文脈のなかでは、ちがった意味をもってくる。
「過熱水蒸気」の実験、これはとっても気に入りの実験だ。
 はじめて自分でやってみたときも、「感動」であった。【三態変化】の定番実験としていた。
 今回の文脈は、こうだ。
・はじめに原子ありき
・化学式を使おう
・NaHCO3の熱分解でCO2とH2Oが
・Ag2Oの熱分解でピカピカの金属だって

・では、H2Oを加熱すればH2とO2が出てくるのだろうか。
▼この実験にいたるまでが、今回ちょっと手こずった。長いあいだやっていなかったもので、使い続けてきた銅管がどこかに行ってしまっていた。引っ越し荷物のなかから、これを捜し出すのがたいへん、(^^ゞポリポリ
トーチランプにしても、自分専用のものを少なくとも2台はもっていたはずだが見あたらない。しかたない、今回あらたに買い込んだ。こいつも、けっこう進化している。
酸化銀の「火ぜめ」とセットにして一時間の授業である。
あまり、ゆっくりとやっているひまはない。
Kanetuh2o_2▼装置の説明と発問は一緒だ。
「水を炭酸水素ナトリウムや酸化銀のように熱していったら、水素や酸素ができるんやろか。」
「化学式で考えたら十分に考えられることなんやけど…」
(゚゚)(。。)(゚゚)(。。)ウンウン
でも
(・_・)......ン?
話をしているあいだに銅管の先から「湯気」が
「湯気」と「水蒸気」のちがいしゃべっているまにどんどん出てくる。
「加湿器やな」(生徒)
教室の加湿器を思い出したようだ。
これって「水分子の団体さんだ、超うじゃうじゃの団体さん、だって目に見えるんだもん」
それでは、ここでもっと熱を加えてみたらどうなるだろう。
トーチランプで銅管の螺旋部加熱してみる。
今まで見えていた超団体さんの水は見えなくなる。
銅管先の口ちかくに手をかざす真似をする。
アチッチッ…
でも、やっぱりH2Oであることには変わりない。 
「火ぜめ」では無理なようだ。ならば…が次の授業だ。
最後に、ひとり一回だけ
過熱水蒸気でマッチに火をつける。
「水でマッチに火をつける」を体験してから理科室をでるようにした。
 
 


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【授業】「火ぜめ」で分解を

▼「はじめに原子ありき」からはじめた【化学変化】の授業、つづきを報告する。
原子がみえて、化学式が使えたら、物質の変化がちがって見えるだろうか、
  久しぶりの実験は、操作的なことで、けっこう時間をとってしまった。
「炭酸水素ナトリウムの熱分解」の実験のまとめはまだやってはいなかった。
そこからだ。
・石灰の白濁で確認したCO2
・塩化コバルトで確認するH20
・残った白い物質は Na2C03 はアルカリ性
もうおきまりの復習だ。
この炭酸水素ナトリウムの熱分解、これはけっして特別の化学変化ではない。
もういちど最初の「タンサン」「ベーキングパウダー」にもどる。
そして、あの「カルメ焼き」に話は及ぶ。しかし、今回は少し後回しである。
▼加熱による分解を追う。
次なる物質は「酸化銀Ag20」である。
やっぱり化学式で考えてみる。今度は、より簡単だ。
AgとO2は、比較的簡単にでてくる。
Dscf7670_2
でも、やっぱり不思議である。なんであんな黒い粉から、ピカピカのAgが…。
この不思議は面白い。
と感じてくれれば成功である。
ピッカリテスターで、「金属」を確認する。
線香ポッの「酸素」も面白い。
でも、ほんとうに化学式で考えていいんだ。それがもっと面白い。

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新・私の教材試論(4)

Dscf7623 昨日は、一日出張であった。少し、時間をずらして門口に立った。そしたら定点観測地Aのヒガンバナとても元気にみえた。里山が紅葉で染まり、冬の準備をすすめるこの季節、野の雑草たちも枯れ、冬越しのスタンバイをしている今日この頃。彼らだけは元気なんだ、あたりまえ生命の営みのサイクルがちがうのだ、今からが「稼ぎどき」なんだ。なんと、みごとな戦略であることか。なんど思っても感動してしまうのである。
▼出張で授業がなかったから、この間に「新・教材試論」をすすめていこう。
不思議・謎解きの理科教育における最重要キーワードは「感動」。
授業者自身の「感動」こそが、すぐれた教材の必須条件。
この「感動」は、古今東西の科学史・技術史のなかにある。
このあたりまで、話をすすめたと思う。
▼とんでもない空想をしてみる。今、仮に私の理科授業を受けている「ひとりの生徒」を、タイムスリップさせて100年前の世界に連れて行ったとする。彼(彼女)は、自分の頭のなかにある「生命観」「物質観」「世界観」を語る、そしたら歴史に名を残す「科学者」になるだろうか。200年前ではどうだろう。300年前では…。
▼そもそも、どんなプロセスを経て、科学的な認識が形成されていくんだろうか。
いつも無手勝流できた私には、大きすぎる問題だ。
しかし、これだけは言えそうな気がする。
そのはじめに「感動」がある。
100年前の人、200年・300年前の人とも、この「感動」共有できるのではないだろうか。
そこを辿っていけば「教材」が発掘できるのではないだろうか。
▼同じ例でいこう。私の「感動」教材、「ピンホール・カメラ」で考えてみる。
洞窟で住まいする時代・簡易な建造物に住まいするようになった時代から、穴から光が差し込み、うまくスクリーンになるものがあって、そこに外の景色が映ったとき、人はきっと「感動」したのではないだろうか。
「感動」すると同時に不思議におもっただろう。そこに謎解きの科学がはじまり、それを応用する技術がはじまっていく。「カメラ・オブスキュア」のはじまりである。そして光を集める道具=レンズをつけ、映った像をながく保存したいと思い「写真」の歴史がはじまる。そして、今日の「デジカメ」である。
▼「科学史・技術史のなかに・・・」をもう少しくわしくと書き始めたが、あまり先にすすまなかった。
時間ぎれである。またの機会につづける。
<つづく>

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新・私の教材試論(3)

▼ はじめてみたもののちょっとご無沙汰だった「新・教材試論」を続ける。
ちよっと復習から
○新・私の教材試論(1)
では、これまで私の「教材論」をふりかえった。そして、なにをはじめたいのかを述べた。

○新・私の教材試論(2)
では、総論として、教材の2つの法則を勝手につくってしまった。(^^ゞポリポリ
・3K1Aの法則

・3Hの法則
である。
 総論からはじめたら、その各論について論じていくの筋道かも知れないが、ここでは必ずしもそうはしない。
いや、できないのである。
あくまで「試論」であるから、授業をやっていくなかでの「思いつき」「ひらめき」(そんなかっこいいものでもないが)
の自分のための覚え書きだ。
▼そんなこと書いていたら、なんか言い訳話のようになってしまう。いかん、いかん
Kからはじめる。
「理科は感動だ!」は「えーちゃん」こと小森栄治さんがよくおっしゃっていた言葉だ。
10年以上たって、この言葉がやっと実感を伴って、自分のなかに入ってくる。
「感動する」
ふだんの生活なかでも、よく使うことばである。ごくありふれた言葉だ。
これが、理科教育にとって最重要なキーワードとなる。
「感じて動く」のである。
「知る」でもない、「わかる」でもない。「感じる」のである。
「感じる」ために、「知」ろうとし、「わかろう」とするのである。
自らのセンサーを磨き、情報受容レセプターの感度をあげようとする。
そこに学ぶことの意義ある。
「動く」とは「変化すること」だ。
心が動く、
からだが動く、
見え方が動く、
すべての営みが動く
それは、「感じる」ことでそれまでとちがって、「変化する」のである。
その「教材」と出会う前と後では「変化する」のである
これは、これぐらいにしておこう。なんか「下手な作文」出だしみたいなっている。
▼ずいぶん前に書いた「私の教材論」でも

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すぐれた教材の原則(1)
 教師自身の自然観・感性をゆさぶるものであること。
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教師自身の思い入れ、惚れ込みようが、子供たちの「感動」をひきだす。まずは、教師自身が「面白い」「楽しい」と思えるものでなければならない。(教師自身が教えるのが、ワクワクするようなもの)

これは、きわめてあたりまえのことである。原則中の原則である。教師自身がつまらないと思いつつ、やる教材で、子供をひきつけることはできない。いかに名人と呼ばれる教師でも、これは無理である。

と書いている。やはり「感動」なんである。
まずは、教師自身の「感動」。
「感動するもの」
「感動に値するもの」それが、すぐれた教材の第一の必要条件である。
▼たとえば、教室を暗幕閉めて真っ暗にする。
暗幕に一箇所すき間をあける。そして、その穴の近くにスクリーンを持っていく。
なんと外の景色がスクリーン映るのである。
「感動である」。「知ること」でもない、「わかること」ともちがう「感動!!」
このときの感動を、私は30年以上の時間が流れたがわすれることができない。
「この感動を伝えたい。」
「こんな感動することもっと他にもあるんではないか」
それが、「教材」を意識しはじめた最初なのかも知れない。
▼この感動は、自分にはじまったことではない。
世の古今東西問わず、人々はそれにはじめて出会ったとき感動したのである。
不思議の謎解きをやりながら、それを発見し感動してきたのである。
感動は、次なる不思議・謎を生み、技術をつくりだしてきた。
人が、はじめてそれに出会ったときの「感動」、それは生徒たちにも共有させたい。
伝えたたい。
 それが「すぐれた教材」になるのではないか。
大いなるヒントが古今東西の科学史・技術史のなかに埋もれているのではないか。

これが、書きたくてこの(3)をはじめたのに…。寄り道しすぎかな。
<つづく>

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【授業】原子論的物質観とは

▼昨日、連休最後の日に、これ以後の実験の準備をした。
酸化銀の熱分解の予備実験をし、
過熱水蒸気の実験に使うトーチランプの購入に走った。ずっと愛用してきたトーチランプがあったはずなのだが、しばらく授業をやらないあいだにどこかにやってしまっていたのだ。
カルメ焼きの鍋などは何とかみつけることできたんだけど…(^_^;)
▼そんな準備をすすめながら、考えてしまったのだ。
「はじめに原子ありき」ではじめた授業であるが、これで、ほんとうに原子はみえてくるのだろうか。
この単元を貫くテーマはずっとおなじである変わらないと思っている。
Kagakumoku
しかし、
「それで…」と考えてしまうのである。
▼そもそも原子論的物質観とは、なんなのだろう。
 浅学で、忘れっぽい私は、以前からそうである。その単元の授業に入ると、そればっかりになってしまう傾向がある。
 少し前までは、【動物の世界】をやっていたから、『生命とは何か』がすべてであった。
生徒たちは、どんな生命観をもっているのだろう。どんな生命観こそ育むべきなんだろう。
この不思議・謎解きこそ、理科教育の最大のテーマだと思っていた。
 そして、今は「原子」だ。
 その生命体すらかたちづくっているという「原子」。
 母親の胎内で、セキツイ動物の進化のプロセスを辿っていくがごとく、生徒たちの脳内で近代科学史のプロセスを繰り返す。
 そのときのもっとも有効なキーワード、それが「原子」
▼認識は直線的ではない。あのDNAのように螺旋的である。
繰り返しが必要だ。しかし同じ繰り返しではない、少しずつ位相をかえつつの繰り返し。
そうして
概念がつくらていく。
そして、その人間の「物質観」が形成されていくのかも知れない。
「生命観」「物質観」なんていったら、少し大げさに聞こえるかも知れない。
それは、意識するかしないかは、別にして昔から万人がもっているもの。
そこに、変化はおこるのだろうか。
今日は、二クラス目の炭酸水素ナトリウムの熱分解だ。

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【Web更新11/23】【化学変化】更新

Dscf7576 紅葉や 負けてはおれん 初氷
 08/11/20 (木)撮影@安富

楠田 純一の【理科の部屋】
の週末定例更新のお知らせ

 このごろ、このblogで自分も意識しなかった「気になるもの」がくっついている。blogの右端の最下段である。
「検索フレーズランキング」というものだ。気になると同時に面白い。
自分の発した情報が検索されているのだ。それも自動的にだ。それを逆にたどっていくと「過去の自分」に行きあたる。自分で憶えなくて、そこに「つながる」のである。それは、大いなる発見である。
「はじめに原子ありき」
で物質の世界の旅がはじまるように
「はじめにロゴスありき」
でWebの世界・関係性の世界の旅がはじまるのである。
ちなみに現在の「検索フレーズランキング」は、次のようである。
1位:コイルと磁界
2位:指導要領 天気
3位:オームの法則
4位:気象衛星
5位:生物の進化
6位:豚の歯のつき方
7位:理科 教師
8位:斎藤喜博 一つのこと
9位:楠田純一
10位:京大式カード 茂木

そんなフレーズ、「ロゴス」をいつ発したのかな。また、たどってしまう自分がいる。
不思議な感じだ。
この一週間どんな発信をしたのか、また次の一週間は…

表紙画像2008 校庭の樹木シリーズ 紅葉
 ほんとにみごとな紅葉だ。初氷の張った日も、その寒さにまけてはならじと、より紅さを増して輝いていた。
散りゆく身と知ってか、知らじか。今を生きている証のように…。

【化学変化】更新
 「はじめに原子ありき」ではじめることに、最初は少し戸惑いと迷いがあった。しかし、生徒たちの様子をみていると、これでいいと確信がもてるようになった。
 だんだんに「原子」みえかけているようだ。それは、正確な言い方でない。
 見ようとしているのは、実は授業者である私なんだろう。

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【祝】【理科の部屋】は、今日15歳に\(^O^)/

▼今日は、【理科の部屋】の誕生日です。
1993年11月23日に誕生しました。今から15年前、次のようなオープニングメッセージとともにスタートしたのでした。

このたびみなさんのおかげでついに【理科の部屋】オープンの運びとなりました。
わくわく気分でいっぱいです。シスオペをはじめとして、フォーラムの運営にあたられている方、また「13番会室」への多くの書き込みで応援してくださったみなさんに心より感謝します。

この会議室のスタートまでの経緯が、そうであったように、これ以降のこの会議室の発展も、ここに来て下さるみなさんのご尽力にゆだねられています。どうか、精力的な書き込みをお願いします。

さて、最初ですので、開始の現時点で私どもが考えている【理科の部屋】の構想を発表させていただきます。

<理科の部屋のキャッチフレーズ>-------------
 「ここから未来の科学教育がはじまる。
   語り合おう授業を。ここで明日からのあなたの授業がかわる。」     

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<理科の部屋の内容>

○ 理科授業実践報告
 ここに来て下さるのは、やはり小・中・高・大の理科の教師が中心になろうかとと思います。(けっしてそれ以外は、ダメなどということはありません。むしろ大歓迎です。)その教師にとっては、授業は教育実践の最前線です。
 教師であるなら、なんとか「楽しく・わかる授業」を展開したいと日々願っています。でも、なかなかいつも、そううまくいくわけでありません。
 どうやれば、うまくいくんだろう。「理科の授業が楽しい」と言わせたいが、どうすれば…。と日々悩んでいるのが
 現実なんではないでしょうか。それをここで語り合おうということです。うまく行ったことばかりでなく、こうすると失敗したダメだったということをいっぱい出し合いましょう。この失敗の報告の方が貴重であるとも思います。
 日々、同じ授業が日本全国のいたるところで実践されているんです。その報告が多くあつまれば、あつまるほど次なる授業が「創造」されていきます。明日の授業づくりに一緒に取り組みましょう。
 
 「授業実践報告」と堅苦しく書いていますが、ちょっと気づいたこと、こうするとうまくいったぞ。失敗したぞ。という「3行レポ」でいいんです。

○ 教材(ネタ)の情報交換
 他の教科についても、そのことは言えるのかも知れないないですが。とりわけ理科においては、教材(ネタ)は授業を決定づけます。どんな実験・観察をさせるかは、我々の一番腕のふるいどころです。いいネタで授業をやると、自ずと子供たちはのってきます。
 
 せっかくのパソ通での情報交換です。できるだけ、広範囲に、ネタ捜しをしたいですね。具体的にモノを手にいれることができるなんていうところまでやりたいですね。あそこに行って聞けば、どうしたら手に入るか教えてくれるぞ。と言うようにしたいですね。
 
 授業で使って見るとどうだったとか。以前からよく知られている実験・観察でもこのようにアレンジすると、ガラクタ教材がよみがえったなどという報告も…

 そのようなネタ交換のあるいは、共同入手のためのオフなどというものを、将来的には計画していきたいですね。

○ パソコン教材利用の情報交換
 未来の科学教育をと銘打つ限り、パソコン教材についても当然射程距離に入れたいと思います。このあたり「運営スタッフ」をお願いしている前田さんの方が、うんとくわしいので、この後の前田さんからのメッセージにおまかせします。

○ 授業論、科学論、教育論
 理科の授業を通しての授業論、自然科学論、教育論等。大いに議論していきましょう。生産的な議論こそ、お互いを高めあう源動力です。他の分野の方も、どんどんご意見を…。

○ 各種研究会、研修会の案内、報告
 理科教育に関係する研究会、研修会は、大きなものから小さなサークルの集まりまでどんなものでも、案内をこの場を利用していただいて結構です。というよりぜひ書き込んで下さい。また参加記等の報告あればなおいいですね。地理的、時間的になかなか難しくて、参加できなくても、その場の雰囲気の何分の1かは「おすそわけ」してもらえますからね。全国のいろんな研究会や、サークルからいながらにして、多くを学べるようになれば、うれしいですね。


○ 科学四方山話、雑感
 こういうとこから、教材が発掘されていきます。直接授業のネタにならないと見えることも、そこから、輝く鉱石が発掘されるやも知れません。「自然を豊かにとらえる」ことを教えるものは、豊かにものごとをとらえるビィビィドな感性を持ち合わせなければ…。
 
○ Q&A
 どんどん質問も受け付けます。しかし、明解を即座にできるかどうかわかりません。即答するには、我々は正直にいって力量不足です。しかし、これは断言します。「一緒に考えます。!!」
 文献調べたり、他のフォーラムへ行って聞いて来たりして、必ず一緒には考えます。そして、私たちも豊かになって行きたいと思います。だから、私たち貪欲です。ころんでもタダは起きませんよ。どんどん質問して下さい。そしてみんなで答を見つけていきましょう。

<理科の部屋運営について>
 
 部屋の運営のスタッフは以下の通りです。
     世話係(責任者)  楠田 純一 (いいだしっぺということで)
     
     スタッフ      前田 泰男さん
               ごろごろぼっちさん

当面は、これで進めていきます。以後の運営スタッフについては追加していく場合もあります。

最後にもう一度、この「理科の部屋」は、みなさんの力で育て発展させていく部屋です。みなさんがどんどん書き込んで下さることを願いつつオープニングメッセージを閉じます。      
では…

       14番会議室【理科の部屋】世話係
      楠田 純一 (MAF02114)

▼オープンしてまもなく
『情報は発信するところに集まる』を合い言葉に多くの人が集うようになりました。
同じ気持ちでいる人たちがたくさんおられるんだ、と感動もしました。
いくつもの企画(プロジェクト)の提案もありました。
夢の企画が次々と多くのヒューマンネットワークの力で実現していきました。
参加・参画してくださる方も、多種多様でした。現場教師が多かったですが、必ずしもそうではなかった。
それが、【理科の部屋】をより豊かな世界にしていきました。
▼【理科の部屋】は、Webの歴史とともに歩んできました。
日本のインターネット元年と言われる1995年8月末
インターネット版【理科の部屋】が立ち上がりました。
それは、教育の世界でもパイオニア的役割をはたしました。
それまでのパソコン通信【理科の部屋】の情報交換をよりグローバルにかつビジュアルにしていきました。
パソコン通信の世界とインターネットの世界を融合しようと、多くのメンバーが自分のHPをつくりはじめたのもこのころです。
▼多種多様な人との情報交換、コンヴィヴィアリティな世界での「学び合い」がいかに有効か。
そして、それがいかに楽しいものかを実感していた仲間は
あらたな仲間が加わってくださること願って、案内本をつくろということになりました。
そして、それは
□『私の【理科の部屋】活用法』(民衆社 1997.8.10)となった。
 この本の出版が、【理科の部屋】の世界をより豊かなものとしていった。
▼多くの仲間が、HPを立ち上げるなか、それに感化され教えてもらいながら、私自身もHP(Webページ)
□楠田純一の【理科の部屋】(98.4.25スタート)
を立ち上げた。
10年以上前の話である。今も、飽きもせずに微更新を続けている。
それがいかに有効なものであるかということを、【理科の部屋】のみなさんに教えてもらったから。
▼その後、Webの世界も、どんどん進化していった。
もう「パソコン通信」なんて、過去の遺物、「死語」にすらなっていく状況になった。
【理科の部屋】も、パソ通フォーラムの閉鎖で、居場所を模索しているとき、間借りをさせてもらえるところができて、なんとか【理科の部屋3】(FSICの掲示板)で、これまでの取り組みを継続することができた。
これは、ありがたかった。
ところが、今度は、いよいよニフティが、フォーラムそのものを閉じることになったのである。
▼時代は、Web2.0時代になっていた。
それは、blogやSNSの時代である。
根本的なところがわかっていない私には、なかなかついていけない世界だった。
 しかし、ここでも【理科の部屋】の仲間が、blogをたちあげを薦めてくれた。
「これからは、blogで【理科の部屋】の展開を…」と
みんなに聞きながら、教えてもらいながらはじめたのが、ここ
□私の【理科教師日記】(2004.11.21スタート)
である。4年前である。
▼誕生してから15年たった【理科の部屋】は、今も
【理科の部屋】4@folomy

mixi版【理科の部屋】で展開中である。
15年と歳月はあっという間にすぎたようにも思うし、反面いろんなことがあったから長かったとも思う。
ずっと【理科の部屋】に来てくださる人たちに、歓迎の意味を込めて次のように言ってきた。
**********************************************
  日本の理科教育情報発信基地
             
     【理科の部屋】へようこそ        
                                
  (^o^)/ あなたもここで情報発信者に\(^o^)   

 情報は、発信されるところに集まる。

 あなたがノックされるところがドアです。

時空を超えて響きあい・学びあい・高めあう世界を
*********************************************
これは、変わらない。
これからもWebの進化がいかに進もうとも
この思念は変わらない。
それは、私たちはヒューマンネットワークがいかに素晴らしく・楽しいものかを知ってしまっから
そして、これからの「学び」は、「学び合い」としてしか成立しないことに気づいたから
Webの歴史と【理科の部屋】の歴史が重なる。
これからも
Webの進化にあわせて、【理科の部屋】も進化していくだろう。
それは、Webの思念は、【理科の部屋】の思念でもあるのだから
                                         【理科の部屋】15歳の朝

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【授業】炭酸水素ナトリウムの熱分解

Dscf7612
 はやくも「はじめに原子ありき」ではじめた【化学変化】の授業も4時間目である。
ここまでは、いろんなモノを見せてきてはいたが、実際の生徒実験はまだであった。
いよいよ本格的にここの授業がはじまるという感じである。こちらも、なにかワクワクするものがあるのである。
実験最初の物質は、「炭酸水素ナトリウム」
名前と化学式だけの予告は、すでにやっていた。
実際に使う薬品としては、薬品棚のものを使うのだが、
「家の台所なんかには、こんなものとしておいてある」と
「重曹」「タンサン」「ベーキングパウダー」等の商品名のものを見せた。
「生活」のなかに理科がある。
「理科」とは生活を科学すること。

これを印象づけたいのだ。
Dscf7607▼これまでの3時間で主だったものについて化学式を学習してきている。
ここも、学習した化学式を使って考えることからはじめたい。
「NaHCO3」を原子モデルで表す。
そして聞いた。
「これをガスバーナーを使って、加熱しようと思う。これまで勉強してきたことで考えてみよう。
ガンガン熱するンや」
「…(・_・)......ン?」考えている。
さらに
「あっ、原子の数は関係ないよ、これは代表選手を書いているだけやからな…」と。
なんと最初に生徒から飛び出してきたのは
「O3」(オゾンである)前の時間に単体のところで、ちょっとだけふれていたので、その記憶が新しかったのだろうか。あとは
「CO2」
「O2」
「H2」
とつづく。そして「H2O」が出てきたのは最後であった。
それぞれの確認方法、それ以外にできそうなものについては、教科書を参照することにした。
▼いよいよ実験にかかる。
この雰囲気は大好きだ。いかにも楽しげである。
実験装置組み立てからして、ちょっとうまくいかないところもあるようだ。でも、それはそれでいろいろと学んでいるのである。
「ホンモノ」や「実験」は、教科書にはない情報をももたらしてくれ、ときにこちらが意図した以上の「学び」がうまれる。それが面白い。
イントロがちょっと長かったかな(^_^;)
「まとめ」は次になってしまった。


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【授業】化学式を使おう(3)

Dscf7567 昨日の朝の冷え込みは、ついに私の「大賀池」にも初氷をもたらした。表面にうっすらと氷、そして水、土、その下に眠るであろう蓮根、どんな姿で眠っているのだろう。この眠っている冬のあいだに、なんらかの変化をもたらすのだろうか。
▼今度は、夜である。何かを追いかけていると不思議なものである、そのものは、向こうからやってくる。授業でやっているからであろうか、身の回りのモノの「化学式」が気になるのである。
毎日、みていたはずのものを、「発見」したりするのである。夜遅くなってしまった風呂に入ろうとしたときのことだ、Dscf7588洗濯機の正面に「Ag+」である。銀イオンコートで真っ白にということであろうか。
「生活との結びつきを重要視した理科教育を」なんて声高にいうほどのことではない。翻って考えてみたら、生活そのものが「理科」なんだ。
「生活」と「理科(科学)」を対峙的にとらえたり、包括的にとらえたりするのはおかしいのかも知れない。
「化学式」だって、身の回りにいっぱいあってあたりまえなんだ。
ここで思った。これを伝えたい。冬休みのもうひとつの宿題だ。
「身の回りのモノをみて、化学式10個以上発見してくる。」
▼そのAgから「化学式を使おう」の2時間目(【化学変化】3時間目)ははじめた。
「えーじぃさんギンギラ銀よ~」わけのわからんダジャレととも板書し、銀原子のモデルをいくつも黒板にはりつけた。
 これは金属だ。分子がない。金属結合をしている。
これはこまった。最小の粒が独立していない。
しかたないから「代表選手」ひとつでというのが、シナリオである。
Fe Cu Al …
金属が出てくると、あの3つの特徴
・のびる、ひろがる
・ピカピカ
・電気を通す
にふれたくなってしまう。深入りは禁物、じっとがまん 先をいそぐ
▼次に、またしても、「分子のないもの=イオン化合物」
「しおの仲間」の代表は「食塩(塩化ナトリウム)」である。
これも教科書にならって原子モデルでならべてみる。そして
「こいつは、また困ったことがあってというか、すごいことがあって、原子が電気的な性質をもった粒になって、そいつをイオンと呼んでいるんやが…」
「イオンって聞いたことあるやろ」
もちろん(゚゚)(。。)(゚゚)(。。)ウンウン
たまたま教室にあった加湿器に「イオン」の文字が
我が意を得たりで、「これこれ、ここにも書いてあるもんな、こいつや」
塩化ナトリウムにもどる。
「こいつは、そのイオン。つまりナトリウムイオン(+)、塩化物イオン(-)(塩素のイオンのことこう言っている。さらりと…)とで、プラス・マイナスでがっちりとくっついているや。がっちりとスクラムくんでいる。それだけやない。ものすごく行儀よく、規則正しくスクラムくんでいるんや」
「そのスクラムいっぱいきっちりとあつまって、あのサイコロの結晶ができるんや」
「そう思って、あの結晶みると、なるほどやろ…」
「こいつをそしたらどのように化学式で表すか、それは金属と同じ代表選手や」
「NaClと」
ここで、昨日の授業後の質問に少しだけ応える。
周期表を開けてみた。
「金属ばっかり」「アルミの階段」「金属・非金属」そして、
一応のルール
「金属、水素を先に書こう」と話をする。
周期表ついては、いっぺんに決着なんて無理。何度も、何度あけてみよう。
物質探険の地図=周期表だ。
▼もういちど、「ふりだし」にもどる。
この世の中のモノ=物質を分類する。
純物質と混合物、純物質を単体と化合物に、例はすべて化学式を使って表した。
そして化合物最後に、NaHCO3と大きく書く。
「炭酸水素ナトリウムと読む、これが次の時間に実験する物質」と。

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【授業】『原子みんな寄せたら(・_・)......ン?』

 ほんとうに雪が降り出してしまった。雲をみていて、まさかとは思っていたが、ほんとうだ。
本格的な寒波がやってきたようだ。こんなとき、ちょっと見てみたくなる。地球の外から見たらどうなるだろう。気象衛星からの画像は今やめずらしくもない。TVの天気予報の常識である、でもそれよりももっともっと迫力ある画像をみせてくれるページがある。お天気のプロに教えてもらったページである。
そのページとは「宇宙から地球を眺める」
みているだけで震えてきた。
▼それは、「化学式を使おう」の授業が終わった後であった。何人かが前にやってきた。それは質問のようでもあり、感想のようなものでもあった。
ひとりが言った
『この原子みんな寄せたらなにになるん!?』
(゚o゚)ゲッ!!
水素原子と酸素原子がくっついて水が、
炭素原子と酸素原子がくっついて二酸化炭素、一酸化炭素が…。とやってきた後である。
彼の目には、さっそく原子が見えだしたのだろうか。
その見えだした原子は、動いているのだろうか。どんな「かたち」をしているのだろうか。
「寄せる」とは、どんなイメージなんだろうか。
黒板にモデルを貼り付けて、水分子をつくったように原子を自由自在に操ることができると感じたのだろうか。
とっさに答えることができなかった。
トンチンカンな答えを言ってしまったような。
「それは、この世の中のモノみんなや」
「(・_・)......ン? 宇宙かな」
▼別の生徒が深刻げにうったえている。
「この順番、みんなおぼえなあかんのですか」
H2OかOH2かの順番だ。
「ちょっとした約束・ルールがあるで、それはさっき言った…」
「まあ、使ってみようや、使っているうちにおぼえてしまうから」
「…」
どうやら、生徒たちの脳裏に「原子」が実像を結びはじめたようだ。
どんな物質観が育とうとしているのだろう。

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【授業】化学式を使おう(2)

Dscf7535▼朝からいちだんと冷え込んでいる。天気のツボをみていたら、今シーズン一番の寒波襲来らしい。昨日、雲は厚くなっていた。あの雲はなんだったのだろう。「上がるとザアザア…」いや、これからは「上がるとシンシン…」だろうか。鳥取の方では、雪が降ったという。ひょっとしたら、そんなことを考えてしまう。この地域の冬ははじめてである。微妙に住んでいるところとちがうようである。
▼原子からはじめた【化学変化】の学習の二時間目つづきを続ける。
その前に、もうひとつのクラスでも、「はじめに原子ありき」をやった。
『驚くべきことに、この世の中のすべてが、この百種類あまりの原子の組み合わせによってできている』自分で言いながら、今さらのごとく驚いてしまうのである。
教科書にアンダーラインをさせなから、身の回りのもの示しながら、「自分の身体も太陽も月も夜空の星々も、そして宇宙そのものも…」
(゚o゚)ゲッ!!いつのまにか興奮してしまって繰り返し同じことを繰り返している自分がいた。
授業のつづきだ。
水の分子モデルの水素結合のところまでだった。
深入りするつもりもないし、私もよく理解できていないことを言うつもりはない。
しかし、やっぱり不思議なんだ。
なんで真横についていないだ。水素というやつは。
「不思議やな、でもこれがすべての原因かもしれへんな。もうすぐ冬、池には氷が張るけどあの氷、池の表面からはるけどそれも、電子レンジチンして温まるのも…」
いつの間にか、横道にそれそうだ。(^_^;)
▼モデルを示したあとは、分子式→化学式である。
書き方のルールを少しゆっくり目に話をする。
水の次が、二酸化炭素、一酸化炭素はオマケに、アンモニアいちばん最後に
次が、気体の分子だ。
「○○素、と素が着くものは、さみしがりや、いつもふたつペアで飛び回っている」
酸素、水素、窒素、塩素
ここで二時間は、時間切れ。ちょっと一時間で化学式を終わられるのは無理があるようだ。


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【授業】化学式を使おう(1)

▼昨日夕方に、注文していた「太陽・月・星のこよみ」2009年版が届いていた。長いあいだ使い続けていたが、ここ数年それがとぎれてしまっていた。
ついつい見入ってしまった。情報満載だ、今月の星空、観測ガイド。天象ハイライト、地球環境を考える、宇宙の詩満ち潮・引き潮の時刻等々。それに月齢が一目瞭然だ。とても便利な暦だ。毎日これを見るのが楽しみだ。
 ここにも大きな不思議・謎解きの世界がある。不思議・謎解きこそが理科(科学)だ。
▼その理科の授業を等身大に語りつづけよう。
「はじめに原子ありき」ではじめた単元2時間目の授業である。
一時間目最後になった原子記号のミニテストからはじめた。使っていくためにはまず「化学の言葉」をおぼえておかなければならない。繰り返しドリルをやった。ちょっと時間をとりすぎたかも知れない。(^_^;)
そして、今日のなかみである。
再び、1時間目にフライングしてしまったケルビン卿の「コップ一杯の水」の話をする。
T「この前のん、もう一度やりますね」
「こうして、コップ一杯の水を分けて、分けて分けて…最後にいきつく水の最小の粒。これを科学者は分子と名付けました。
 これは恐ろしく小さいということは、前に話しました。逆に言うと、このコップいっぱいの水の中には、恐ろしくたくさんの水の分子がこのなかにあるということです。もういちど、この分子に色をつけて、これを七つの海に撒いてかき混ぜれば、どこの海のからでも、コップ一杯の水を汲み上げれば、そのコップのなかに100個のこの色つき分子がみつかるということですね。それぐらいたくさんの分子がここにある。」
(゚o゚)ゲッ!!話をしながら、ほんまかいなと思ってしまう。
Dscf7518▼そして、半日かけてつくった原子モデルの登場である。
「この水の分子やけど…、前の時間勉強した「最小の粒」=原子とどんな関係かというと、実はこの水の性質をもつ最小の粒=分子も、原子からできているんや」
「こっからは、せっかくおぼえた記号を使いながらやろう。教科書についている原子モデルも使おうか。」
「水の分子は水素原子2個と酸素原子1個とからできているということがわかっているんや」
「こんな感じかな。なんと不思議なことに、真横についているんやないんや、このかっこうに、傾いてくっついているや。すごいな科学者はこの角度までつきとめるで…」
(つづく) 
 
 

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【Web更新11/16】【化学変化】更新

Dscf7399 だんだんに 季節のぼるや メタセコイヤ
 08/11/12 (水)撮影@安富

楠田純一の【理科の部屋】週末定例更新のお知らせです。

 この一週間は、授業の単元がかわり目の週であった。【動物の世界】から【化学変化】へ、その橋渡をする一冊の本に再度出会った。1944年のシュレーディンガーの『生命とは何か』である。みんなつながっているではないかと実感した。 科学の面白さを再認識する週でもあった。

表紙画像2008 校庭の樹木シリーズ メタセコイヤ
 もうこの校庭の樹木シリーズをはじめて長くなる。校庭と限定することで種類も限られてくるし、更新に行き詰まってしまうのではという危惧があった。しかし、やりはじめるとそれはまったくちがっていた。同じ樹木でも季節によってまったくちがう顔をもっているのである。
 このメタセコイヤからしてそうだ。今年の夏にも表紙にした、灼熱の空に突き刺さるように緑の矛はのびていた。
この季節は、樹の下の方から色づいていく、だんだんと季節の深まりがのぼるがごとく、このだんだんのグラデーションがみごとだ。こんなきれいな姿を見るのは、はじめての経験のように思う。
 いちにちいちにちがちがう顔を見せてくれる。毎日を表紙にしたい気分だ。

◆【動物の世界】更新 この単元の授業を終えた。
 感想を読んでいると、「もっと動物のこと、自分のからだのこと勉強したい」と書いてくれている生徒が多い。
うれしいかぎりだ。
 「人のからだ」のところでは、引き続き授業でも扱いたい。
とりわけ「生命とは」「生きているとは」の発問は、発問した自分も含めて、応答に期限はない。いつ応答があるかわからない。
 ここが「学び」のはじめかも知れない。ほんとうの不思議・謎解きはこれからかも知れない。

◆【化学変化】更新
 今度は、「モノ」をどうとらえるかである。
 原子論的物質観がいかに有効なのか。またこの一週間で授業で確認をしてみたい。
 原子は見えてくるだろうか。

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【授業】はじめに原子ありき(2)

▼今朝はまたしても雨だ。天気予報はあたっていた。冬は、一挙にはやってこない、季節の移り変わりも螺旋的である。そう言えば、この「雨がどのようにして降るのか」も、今年度中にやらなければならない不思議・謎解きだ。だとすると、授業の方もやっぱり急がねばならないようだ。
 昨日は、朝から学校に行っていた。単元が終了したので、その片づけと、新しい単元の準備をやった。
「究極のクリップモーター」を学習して、「地球カレンダー」を学習して、【動物の世界】を学習しての三つの生徒の感想文を整理しながら読んだ。読みながら、すごく元気がわいてきた。このうえない「エール」をもらった気分だ。
▼あたらしい単元【化学変化】の準備をはじめる。教科書の実験リストアップからはじめた、「読み物」なかの小さな実験をいれると20あまりになる。
 これまでの私のやってきた【化学変化】でも、「還元」の部分をのぞくと18である。もちろん重なるものもあるが、異なる部分もある。位置づけも微妙にちがう。
でも、教えたいことは、そんなに変わらないはず。
 教科書をチェックしたあと、さっそく板書用「原子モデル」づくりをした。それを使うときの授業をイメージしながら、
今さら、このようなアナログな作業が必要なのかとも思いながらも、やっていくうちに、だんだんこの作業が楽しくなってしまった。ほんとうにこんな「原子」で、世の中のすべてものができているなんて不思議だ。
▼最初の授業『はじめに原子ありき』つづきを書いておく。
アルミニウムで、原子の実在を説明し、その大きさは、「恐ろしく小さい」と話をした。
そこまで報告していたはず
そして、次に「恐ろしく小さい」例として、たまたま読み始めたシュレーディンガー著『生命とは何か』(岩波文庫)のあの話を入れてしまったのである。

 そもそも、原子というものは実際まったく小さなものです。われわれが日常生活で取り扱うものは、どんな小さな一片の物質でも、とほうもなく多数の原子を含んでいます。このことを人々にピンとわからせるために、いろいろな説明の仕方が今までに工夫されてきましたが、ケルビン卿の使った次のようなたとえほど印象的ものはないでしょう。いま仮に、コップ一杯の水の分子にすべて目印をつけることができたとします。次にコップの中の水を海に注ぎ、海を十分にかきまわして、この目印のついた分子が七つの海にくまなく一様にゆきわたるようにしたとします。もし、そこで海の中のお好みの場所から水をコップ一杯汲んだとすると、その中には目印をつけた分子が約100個みつかるはずです。(『生命とは何か』P17より)

実際にビーカーに水を汲んで、アルミホイルのときと同じように「分けて・分けて…」をやってみてのちに、「最小の水の粒」をだしてやってみて、この話を引用させてもらった。
 後から考えると、これはフライングだった。「分子」導入に使った方がいいのかも知れない。
ともかく実在の「恐ろしく小さな粒」を印象づけたかったのである。
▼次にもっともっと驚異のことがある。
この原子は約100種類ほどしかない。そのうちの20~30種類ほどの原子で、全てのモノができているという事実である。この驚異の事実、この感動の事実はどのようにつたえればいいんだろう。
この原子の一覧表=周期表が教科書の裏表紙に出ているので紹介する。
「昨日まで勉強していた、私たちのからだも、この原子からできているんです。食べ物の栄養のところで、すぐ後で
勉強するからとあげておいた記号ありますか。Cは… タンパク質だけに書いたNはありますか」
▼もう一度教科書本文にもどる。
ノートにまとめる。3つのこと
1 原子は不可分
2 原子不滅の法則
3 原子は個性(大きさ、質量)をもつ 
そして、原子記号だ、これからモノの世界を探検をしていく、そのときの共通言語(世界共通だ!!)
今回もダジャレで挑戦してみたが、以前のバージョンでは通用しなかったようだ(^_^;)
あらたなのをあみ出す必要が…。
「錬金術」にも少しだけふれた。(興味を示す生徒がいた、ここに導入授業のヒントがあるかも)
最後に、次を繰り返した。
Kagakumoku

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【授業】はじめに原子ありき(1)

Dscf7450 昨日の朝、朝の定期コースの散歩終えて職員室に座っていると、生徒が窓の外から手招きをして呼んでいる、部活動をやっていた生徒だ。『けったいないきものがいる』『かっこうがツチノコみたいなやつが…』というのである。
こんなときに限ってデジカメの調子がおかしい。(^^ゞポリポリ
とりあえず、その場所に行ってみた。生徒の言葉からもっと大きなものかと思ったら、そうではなかった。ミミズのようなものだ。少し、期待ははずれた。でも、ミミズではない。「頭が三角になって…」と言っていたようなかっこうだ、どうやらヤマピルのようだ。それにしては巨大だ、伸び縮みしながら部活動のグランドはっていたのである。
出直してナイロン袋を持ってきて捕獲した。
 職員室に持ち帰り、何人かの先生で確認した。「ヤマビル」だろうと。
 それにしてもなんでこの時期に、こんなところに、それも巨大なヤマビルがいたのだろう。?(゚_。)?(。_゚)?
【動物の世界】は一応おわった。しかし、この単元の授業をきっかけに、これまで以上に「いきもの」に対する興味がわいてきているとしたら、これ以上にうれしいことはない。朝のこの騒動は、ちょっとうれしかった。
▼授業は、【化学変化】に入る。これまでの自分自身の実践をみたり、教科書や新学習指導要領をみたりしながら、いろいろと授業を構想してみた。
 迷いもあった、しかし決めた。
今回は、そのものズバリ「原子」から行こうと。
『はじめに原子ありき』で。
教科書では 分解→「原子」→燃焼→化合…の流れになっている。これまで、私もやってきた流れだ。
以前の授業では、一年生で「三態変化」「気体」「溶解」などがあって、二年生になって加熱したら状態変化でなく、まったく新しい物質ができた。これが化学変化だからはじめて、実は「原子」が…という流れだ。ある程度の必然から「原子」に入っていった。
 今回はちがう、最初に「原子」をもってきて、一挙に原子記号、化学式をやってしまって、それを使いながら実験をやりながら考えていこうということだ。
Dscf7465▼「原子」は思考を助けるためのモデルの粒ではない。実在の粒子である。そこからスタートである。
 最初の物質はアルミニウムとした。
 一枚のアルミホイルをみせた。これを半分に分けます。と言って手で、だいたい半分に分ける。
『だいたい、このように半分にしました。半分にしてアルミニウムです。』
『これをまた分けます。』
『そして、これを分けます。』
『…』
『そして、またまたこれを分けます。』
同じことはぶつぶつ言いながらやる。生徒は、なにをやっているんだといぶかる顔。
ちょっとおかしなったんとちがうという顔。(^^ゞポリポリ
手元のアルミホイルが、生徒から見えなくなったころに
『こうして、分けていったら最後には何になるでしょう。』
『?(゚_。)?(。_゚)?』
『実は、最後は小さなアルミの粒になります。分けて、分けて、これ以上分けられないというところまでいった小さな粒』
『その小さな粒に科学者たちは、名前をつけました。ギリシャ語の分ける=トム(tom)に、できないという意味のaをつけて、これは英語でunをつけて「できない」ことを意味するのと同じですね。そして、これ以上分けることできない小さな粒を「これ以上分けることできない粒=atom(アトム)」と呼んだのです』
『日本語では、これを「原子」といいます。』
『これは恐ろしく小さいです。肉眼ではもちろん見えないです。顕微鏡でも見ることはできません、でも特殊な顕微鏡だと見えます、写真にもとれます。教科書にその写真が出ています。アルミニウムでなく、銀ですが…』
ここではじめて教科書を開ける。
『だから、このアルミホイルは、分けて分けて最後には、こんなアルミニウムの原子になるんです。』
Dscf7488▼原子論的物質観のはじまりである。
『ここに一円玉があります。この一円玉はちょうど1gです。うまくつくってあるでしょう。』
『この一円玉には、何個ぐらいの原子からできいるのでしょう。科学者たちが計算してくれていますね。これも教科書に…』
『すごい数ですね。このすごさ実感わかないですね。ゼロが21個ですか、自分でもノートにかいてみましょうか。』
22000000000000000000000個、(゚o゚)ゲッ!!
『何個ですか、一、十、百、千、万、十万、百万…千兆、えっその次が京でしたかね。ああダメです。実は先生は数字はダメなんです。(^^ゞポリポリ まあ、とてつもない数ですね。逆に言うと原子というのは恐ろしく小さいことでもありますね。』
Dscf7473
▼『今度は、ここにアルミの延べ棒があります。
みんながアルミ缶の回収なんかで集めているものを、いったん融かして、こんなのにするんですね。
ところでこれは質量は1kgです。(あとで測ったら750gしかなかった(^_^;))
と言うことは、一円玉、1000個分ということになりますね。では、このアルミニウムの延べ棒には何個のアルミニウムの原子が含まれているかというと…』
『そうですね。さっきノートに書いた数にゼロをもう三つ加えたらいいですね。それだけ個ふくまれているんですね。』
『(゚o゚)ゲッ!!ますますすごい数ですね。』

(つづく)

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【授業】オシッコは血液から

Dscf7421 「クマムシ」「粘菌」からはじめた【動物の世界】の授業を終えた。Webページ実践DB【動物の世界】で、ふりかえってみた。ずいぶんと長いあいだやったものだ、夏の残像がどこかにある時期から、冬の足音が、聞こえてくる今日までであるから、相当でる。内容もけっこう多様である。
授業者の感想は、ひとことで言えば
『動物の不思議・謎解きは面白い』
である。
▼では、最後の授業の報告をしておく。
最後は「オシッコ」のことである。オシッコがどのようにしてつくられるかである。
結論的に言えば
「オシッコが血液からつくられる」ということである。
タンパク質を分解したら、アンモニアが発生する。この有害物質をどのように処理するかである。
まず「ぬりえ」である。この手法も、今回は多用した。この学習方法が定着した感もある。
動脈、静脈、そして腎臓である。腎臓(オシッコ精選機・製造機)には血管がつながっていることの認識を「ぬりえ」でやるのである。ボーマン嚢までのくわしいことはやらないが、みごとに「こしとられている」ことを話した。
そして、そもそも「オシッコとはそもそもなんなのか」にもどった。
タンパク質→アンモニア→肝臓→尿素
ひととおり流れと、肝臓のはたらきの重要性にふれたあと
▼ここで余談だ。
「かんじん」の話である。
「肝臓」と「腎臓」から「肝腎」(かんじん)
「肝臓」と「心臓」から「肝腎」(かんじん)
熟語のなりたちから言っても、古来よりこの臓器にたいする認識は深いのである。
「肝臓」と「腎臓」を使って製造される「オシッコ」も大切なものなんである。
▼発生してしまう「アンモニア」をどのように体外へ出すのか、他のセキツイ動物の場合にもふれた。
・アンモニアのオシッコをする魚類。(水洗トイレのなかにいるようなもの)
・尿酸(固形)のオシッコをする鳥類(たまたま教室のベランダにツバメのウンチ+オシッコ(白い)が残っていた、それをみせた。)
あと、尿管とぼうこうの色塗りにもどり、この授業を終えた。

最後にこの単元の学習の感想文を課題として出しておいた。
どんなことを書いてくれるだろう楽しみである。o(^o^)o ワクワク


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『生命とは何か』

Dscf7445昨日、ほんと天気のいい日だった。すみきった空、空気に混じりものを感じさせない。
この上ないピュアな大気がとりまいていた。昼からは、少しあたたかさすら感じて、ほんとうに天気のいい日だった。
思いついたのは夕方近くだった。「あのアジサイ公園のイモリくんたちはどうしているだろう。」ずいぶん長くアジサイ公園の「観察池」に行っていない。歩いて数分なのに…。
 池をのぞいてみた。比較的池は澄んでいる、今日の大気と同じくらいに…。おおいるではないか。
簡単に見える範囲でも4、5匹はいるだろう。それも元気そうだ、水温はいくらくらいなんだろう。底の方にはりつくようにしているのは、底の方があたたかいからだろうかな。たしか、4℃の水がいちばん重かったのかな。
あの泥に埋もれて冬をすごすのか。それとも…。そう言えば、このイモリくん飼っていたころもあったが、どうしたんだったか忘れてしまった。もうすぐ冬だ。
いずれにしてもイモリくんたちも、今日も「生きていた」。
また訪ねて来よう。
▼『生命とは何か』こんな、今の自分の不思議・謎解きズバリの本がおくられてきたのは、一昨日の夜、amazonに他の数冊と一緒に発注していた。いつの日にか、読みかけたような記憶があるが、本棚をさがしたが見あたらない。歯がたたぬと処分したのだろうか。【理科の部屋】で阪本さんに教えてもらった。この度、新しく岩波文庫から出ていることを。
『生物と無生物のあいだ』の福岡伸一さんも、その著で何度も引用している名著である。分子生物学はじまりの著でもあるのだろう。
▼テーマは同じであるが、これが私の「生命とは何か」「生きているとは」の謎解きと関連するのであろうか。
授業と生活で等身大に問うていこうとしていることのヒントになるのだろうか。
パラパラとめくってみた。
あった!!、驚いた、こちらの意図を見透かされたようにそのフレーズが

『原子はなぜそんなに小さいのか?』

なんということだ、授業は今からそれにむかうところなのに、なんというタイミングだ。

 

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【授業】動脈、静脈、包帯!?

 この頃保健室前に立ち止まることが多くなった。気になりだしたのだ、その前に掲示してある「保健ニュース」などの掲示物が。「歯のこと」「目のこと」「風邪のこと」「骨粗鬆症のこと」「鬱病のこと」「血液のこと」等々が。
気になりだしたのはやはり、授業で「人体」のことをやりだしたころからだろう。
 気になると同時に驚いてしまうのである。授業で学習していることそのものが、いっぱい載っているではないか。あたりまえとあたりまえのこと、保健室は学校の「総合病院」だ。およそ生徒のからだに関することは全てかかわる総合センターのような役割をしているところである。
 驚いた次に自問した。「学んだことは、生活に生きているのだろうか」と。
▼授業は、この単元ラストからふたつ目である。めでたく「細胞に酸素と栄養が与えられた」ところで、その酸素、栄養を運び、二酸化炭素、アンモニア等の不用物を回収している血液の大循環についてである。
 ここのところ、教室で授業をやるときは、ペットボトル2本、4Lの「血液」をリュックに入れて背負って教室に向かう。けっこう重いのである。実感・体感である。これだけの血液を巡らして一日に7トンとは、やっぱり心臓というものはたいしたものだ。授業をはじめる前に、教卓に2本の血液をならべる。
▼まず最初は、動脈血=きれいな血、静脈血=きたない血の確認である。
そして、「ぬりえ」で、動脈、静脈を確認する。静脈の弁を確認する。
実際に、自分の手首を圧迫して静脈弁を確認させる。
机間をまわりながら、「これ、これ!」と丸くふくらみはじめたところを示す。
次は、血液の循環を、赤、青の色鉛筆で「ぬりえ」で追跡していく、スタートは右心室であるこれまでの学習の復習でもある。
すこしたっぷりめにとる。
▼「ぬりえ」をしながらの余談だ。
「いま塗っている、青=静脈、赤=動脈という色分けしてとらえる考え方の歴史は古いようです。こんなの(ぬりえをしているあいだに理髪店のマーク(看板)を板書しておいた)みたことないですか。」
「あっ、散髪屋の…」(小さな声で、半信半疑ながら)
「そうです。見たことあるでしょ」
「一説では、これが動脈、これが静脈を意味している、この白は…」
「?(゚_。)?(。_゚)?」
「包帯です。昔ヨーロッパでは外科医は理髪店を兼ねていた、そしてここが、お医者さんだよとわかるように看板をつくった。看板の色は赤、青、白で、それがやがてお医者さんと散髪屋とは分かれた。散髪屋さんはこれをじぶんところの看板にしたという歴史があるそうです。
また、これとはちがう説もあるようですが…」
「また、この看板を見かけたら、自分の身体のなかを巡っている血液のこと思い出してください。ぬりえ続けて…」
▼このエピソードを井尻正二さんの「ヒトの解剖」で知ったときから、ずっと使ってきた。これは、使えると思った、最近、TV番組で、これは「ガセネタ」として紹介されるということもあったようだ。異説もいくつかあるようだ。いずれにしてもこれが血液を意味することは有力な説なようだ。
 健康な生活と「人間のからだ」に対する認識は同源であることは確かである。
私には、理髪店の看板が
理科の「学び」が、日々の「生活」とつながっていく、そのシンボルマークのように見えてきた。
 
 

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【授業】「呼吸」という営み

Dscf7368 私の朝の校庭散歩は、加茂の杜に向けて西に坂道を登るところからはじまる。冷え込みも一層きびしくなった朝だった。加茂の杜も、紅葉がきれいだ。坂道のスタートのケヤキは黄色さを増し、落葉するものも日に日に増えていっている。その落ち葉をそっと踏みしめる。「生きていたころ」の姿を思い出しながら。
 坂道途中で、南に向かう。そうすると、校舎、グランドを含めた里山の朝の風景が目にはいる。ハゼが紅葉すぎて、実だけが、たくましく北風立ち向かう準備をしているその姿これまた見事である。朝日のあたる大気は、「大気の物理学」よろしく、私たちにも見える姿をしている。グランドに佇立したメタセコイヤは、下から黄葉が進行していって、日に日にその姿をかえ進行形だ。そう、この進行形であるということこそ「生きている」証なのかも知れない。
 里山の風景も「生きている」証なのかも知れない。
▼この「生きている」とときに同義語として使われる「息をしている」「呼吸している」が、今日の授業のテーマ。
まずは、ガス交換としての「呼吸」だ。
 犯しがちな誤解に「酸素を吸って、二酸化炭素を吐いている」という字面だけを追いかけた認識だ。最近の教科書は、その点ていねいだ。吸気と呼気の成分表をあげてくれている。
これがないときには、ここの説明に時間をとったものである。
▼ところで、まったくの余談をひとつ。二酸化炭素である、今、まったくの「悪者」になってしまっている二酸化炭素だが、こいつのお世話にならなければ、我々の生命の営みもないのである。その認識も、やっぱり話はしておく必要があるだろうと思う。余談は、それではない。このパーセントだ。
いつから、教科書の表示は「0.04%」となったのだろう。いつまで「0.03%」だったのだろう。
そして、事実は、…ちょっとくわしく調べてみたいものだ。
Dscf7390▼まずは、このガス交換の話を先行させる。当然のこと。
気管(みごとなつくり、身の回りに似たものは(・_・)......ン?)、気管支、肺胞(表面積は…これも教科書にあげてある。ありがたい)、横隔膜。例によって「ぬりえ」をしながら、つくりとはたらきの巧妙さを話す。
横隔膜のはたらき、そのメカニズムについては、定番モデルで説明する。(こんなのにも、教具があるんですね。はじめて知りました。薬品瓶とゴム膜でつくる手製が常識だったですが…昔のことです(^_^;))
▼問題は次だ。ガス交換だけをさして、「呼吸」としてとらえてもらっては困る。
「呼吸とは、細胞が酸素をつかって、栄養からエネルギーを取り出す営み」
だから、呼吸をしなければ、生命の営みすべてがストップするのである。死ぬのである。
これこそ、動物の身体を学習はじめたときの目標であった。
どのようにして、細胞に酸素と栄養を与えるのか、これが動物の最大の目標課題である。
その営みの副産物として、二酸化炭素、水等ができる。その処理も当然大切ではあるが。
この認識が定着してこそ、ほんとうの意味で
「生きている」=「呼吸をしている」「息をしている」=「食べる」となるのである。
 

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【Web更新11/9】【化学変化】更新

Dscf7280 淡き色 しばしとどめん サザンカの
 08/11/05 (水)撮影@安富

楠田 純一の【理科の部屋】定例更新のお知らせ

  またしても一週間がすぎてしまった。時間が経過するのが、ほんとはやく感じるのは、それだけ年をとった証拠なのかも知れない。この「時間」の整理、というのが、我流整理学のなかでも、いちばんの課題である。
 
表紙画像2008校庭の樹木シリーズ サザンカ(山茶花)
 立冬をすぎて、雨がやんだと思ったら、急激に冷えてきた。これは、寒気団が押し寄せてきた証拠なんだろうか。校庭の樹木もどんどんと色づいていく、その多様さはみごとである。そんななかで、なにか、ほっとあたたかさを感じるスポットがある。それが、サザンカの咲くこの一角である。その空間だけが、あたたかいなんていうことはないんだが、あの優しい淡い色のイメージがそんなことを感じさせるのであろう。
それも、すぐさまヒラヒラと花びらが散ってしまうはかなさを感じさせてしまうので、今しばらくはと願ってしまうのである。

【動物の世界】更新
 いよいよこの単元の授業も終盤である。
 「生命とは」「生きているとは」という最も、根元的で本質的な問題にさしかかってきた。
 これは、この単元で完結するなんて、どだい無理な話である。そんな単純に一人ひとりの「生命観」なんて存在していない。この単元終わったら「感想」というかたちで聞いてみようと思う。
 ひょっとしたら、生徒一人ひとりの「生命観」に変化があったかも知れない。そのことを期待もしつつ。

【化学変化】更新
 「生命観」を問う授業の次は「物質観」である。
 このWebページの更新自体すごく久しぶりである。前回の更新から大まかにみて十年ぐらいは経過しているのではないかと思う。
 この単元を概観のため、教科書を見て驚いてしまった。ずいぶんと変わってしまっているのに…。
その教科書にしても、また今度、変わるのである。
 次なる十年も展望しながら、拙く小さな実践を繰り返してみよう。
自らの「物質観」を問いながら。

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授業【化学変化】を俯瞰する

Dscf7350立冬をすぎて、ついにあの大賀ハスが、「生産の季節」に完全に幕を引こうとしている。5月17日の朝、無理矢理目ざめさせる作業をしてから、6ヶ月、再び「眠りの季節」に入る。今度は、種子でなく「地下の栄養タンク」としての眠りである。どれほどの「栄養タンク」なのかは、来春のお楽しみである。ご苦労様と声をかけたくなる。来春には、もう少し大きな居住スペースを用意しますね。
▼最後は、「生命観」を問うこととなった授業【動物の世界】ももうすぐ終わりだ。さあ、次を考えていこう。
次は、授業【化学変化】である。今度は、「物質観」を問うことになる。
「生命観」と「物質観」大いに関連している。あたりまえのことであり、両方があいまって「世界観」を形成していっているとも言えるのかも知れない。
「物質観」ということであれば、私は現行指導要領がスタートするとき、次のような拙文を書いている。
今、なぜ「原子論的物質観」なのか(2001.7.28)
 こう言っても、これを書いて以来自分ではほとんど授業をしていない。
そして今度は、新しい指導要領が提案されて、来年からは移行期に入っていく。
そんなときに、今一度、自分自身の「物質観」を問い直しながら授業を展開してみたい。
▼これまでの自分の実践DBとして、実践DB【化学変化】
がある。95年、98年の実践をWebページ化している。古いものだ、今回は、このときほど時間をさくこともできない。現行の指導要領で授業を受けてきた生徒である。あらたな授業を構想していく必要がありそうだ。
しかし、「ねらい」はかわらない。それを実践DBにあげていた、繰り返そう
Kagakumoku

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【授業】人間は考える「ちくわ」である

Dscf7336昨朝は、大きな「行事」をひかえて、少し緊張ぎみの朝だった。
立冬、でもあたたかい雨。
 定期コースの散歩に出ようとしたら、玄関のコンリートに一匹のミミズがはっていた。
なんでだろう。?(゚_。)?(。_゚)?
土中から這いだしてきて、「雨宿り」
それはおかしい、反対ならわかるが。なにかの異変でも知らせてくれいるのだろうか。
「虫の知らせ」で。
 脈絡もなく、例の言葉が頭をよぎる。
●人間は考える「ちくわ」である。
そう言えば、おもえも「ちくわ」だったな。おまえが偉大なる「ちくわ」であることに気づいたダーウィンは、おまえの不思議・謎解きを40年以上もやったのだったな。
Dscf7343 おまえのこと考えながら歩いていたら、今度はまたして別の「ちくわ」にでくわした。
あたたかい雨に濡れたアメリカフウの落ち葉のそばにきみがいた。カタツムリだ。
これまた、角を出して、どこかに急ぐきみの姿が、「ちくわ」に見えてくるから不思議である。
▼ホンモノの「心臓」の授業のため、少し授業の順番を入れ替えたところを元にもどす。
●動物の不思議・謎解きの第一方程式は「食べる」である。これで通してきた授業も終盤である。「心臓」まで行っていたところをもどして、
もう一度「ちくわ」(家の冷蔵庫から持っていった(^^)V)を見せながら、
●人間は考える「ちくわ」である。をぶつ。
これが見えてくると、消化器官、消化酵素の名称おぼえなんて「こまい」ことなんだ。
動物の内臓はゴチャゴチャじゃない。スッキリとしたものだ。
それだけでない巧妙なつくりに「美しさ」を感じるようになるはずだ。
そこから、
「生命とは…」「生きるとは…」の問いに発展させる可能性もあるのである。

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【授業】心臓は筋肉のかたまり

立冬である。「(゚o゚)ゲッ!!」自分で言ってみて驚いてしまう。「冬」なのか。
季節は、こちらの「思い」とは、関係なく確実に、過ぎていくものである。あたりまえと言えば、あたりまえのこと。そもそも、23.4°の傾きと我らが太陽の周りを一年かけてまわるという「運動」に起因するものであるから、「思い」などと関係あるはずもない。季節はスパイラルに移ろいながら、どこか方向をもっていると感じるのは、「ちくわ」の思い込みに過ぎないのかも。
 皮肉にも比較的「あたたかい雨」の降る立冬の朝である。
▼私たちのからだのなかに、あたかも「思い」とは関係なく、時を刻むシステムがある。それが「心臓」である。
こちらの方は、実は「思い」とは深く関係するのだが、そればかりを強調するのは、真実を曇らせる。
わけが、わからぬことを書かずに、授業のつづきを語ろう。
この「心臓」というのが、次の授業である。やっと血液のなかに入った栄養である。でも、まだこれだけでは初心は果たせていない。全身の60兆の細胞たちが、栄養(エサ)を待っている。
それにしてもみごとなシステムをつくりあげたものである。
Dscf7318▼このシステムの動力源、有限の4Lの血液を循環させる偉大にして強靱なるポンプ=「心臓」
これだけは、どうしても「ホンモノ」を見せたかった。触ってみてこそわかるその強靱さ、プリプリ感を体験させたかった。いかにうまく説明しても、リアルな画像を持ってしても、この「感触」は伝わらない。
 久しぶりの「入手」だけに、うまく手に入るのか不安であった。しかし、「勉強のため」ということで無理を聞いていただいた。今回は、ブタの心臓5個を入手することができた。
▼ほんと久しぶりのホンモノの心臓を使っての授業である。私の方も少し興奮していた。鼓動も高まっていたかもしれない。前半は、できるだけこの高揚をおさえて、「ぬり絵」と教科書の図とで、この巧妙なつくりとはたらきを説明する。例の4Lの血液をみせながら、
「さて、こんなかに食べた栄養がたっぷり入っている、しかし、これだけでは最初の目的は達成できていない。まだ、60兆の細胞にまで至っていない…」からはじめて、生命のライフライン=血管、ポンプ=心臓
○血管と四つの部屋と役割
○弁のはたらき
○肺とのつながり
○右心室と左心室のちがい
等々 を説明する。「ことば」で伝えたのだ。
意識的につかったのは
「すばらしい」「うまくできていて」「すごい」…できるだけ後で、さわってみたくなるようにし向けたつもりだ。
Dscf7330▼一通りの話が終わったところで、「では、ここにブタの心臓があります」とそのひとつをとりだした。
後で見せますと言っていたはずだが、まさかと思っていたのか、模型ぐらいを予想していたのか、一瞬教室が静寂。
「我々の心臓の大きさもこんなもの、そしてここにあります」と自分の身体のその部分にあててみる。
「外形の心臓のハート形も納得できますね」
開けてみる。
見どころをあげる。
・左心室と右心室はどれ
・左心室と右心室の壁のちがい
・心臓の大部分を占める心室 とりわけ左心室
・血管の強さ
・心臓自身にも血管が
・筋肉とけん
・なにより「筋肉のかたまり」
ぜったいにちょっとでも「さわってみる」ことを指示して、
心臓の個数5つのグループに分かれる。
▼観察実習をはじめる。恐る恐る心臓を持っていったグループもいつしか、「へえー!」「ほんまや…!!」
の声が聞かれるようになっている。
各グループをまわりながら、「見どころ」「さわりどころ」をくりかえす。

「もう、一生こんな経験はできないかも知れないから、今、ぜひ・・・」と。

私の「思い」をはたした授業だった。

 

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【授業】血液は栄養ジュースだ!!

 『人間は考える葦である。』は、あの有名な自然科学者であり哲学者であるパスカルのことばである。
 なんと含蓄のあることばであろう。有限であることの認識により、無限の可能性を切り拓く「人間宣言」である。
さすがパスカルと今さらのごとく感動する。
 そのパスカルの知恵と福岡伸一のみごとな比喩の「おすそ分け」、そして授業から学んだことをミックスして、私は今、言おう。
●『人間は考える「ちくわ」である。』
これは使える。
なにか、もやもやとしたものがスッキリとした気分である。
▼授業では、家の冷蔵庫から、「ちくわ」二本セットをみつけて持っていた。
もうすでに教科書的には、消化器官の学習を終えているところである。そこに、服の胸に潜ませた「ちくわ」
を取り出し言った。
 「我々のからだ、この「ちくわ」のようなもの。」と繰り返した。
そして、これまでの学習からやっと、「ちくわ」の身の「内部」に栄養が入ったことを確認した。
でも、これだけでは、最初の「食べる」ことの意図・目的に至っていないことを告げる。
「食べる」意図とは、60兆のすべての細胞に栄養(エサ)を与えることである。
「内部」入った栄養は、詳細にはどこに入ったのか。
それは、血管にであり、血液に入ったのである。
Dscf7308▼そこで、血液の学習ということになる。まず、量のことを問題とする。ペットボトルの本数ででも予想たてさせてから、事実を知らせる方法もあるが、ここでは少しだけ聞いて、見せた。
これまでには、ホンモノを登場させたこともあるが、今回は自分でつくってみた。
美術の先生から、赤とオレンジと黒の絵の具の余っているものいただいて、ホンモノの記憶を思い出しつつ、
量は、2Lペットボトル二本つまり4Lである。
教卓に2本のペットボトルをならべてみた。
『へぇーそんなものなん』(概ね、思っていたより少ないと感じている生徒が多いようだ。)
『(゚o゚)ゲッ!!、それトマトジュースけ』
『飲めるン!?』
『…』
私『ここに、食べたものの栄養が入っている。だから栄養たっぷりの生ジュースなんやな血液というのは…』
『だから、肉食動物なんかが狩りをしたとき、血を吸っているのも納得できる話なんや』
『血液は、それだけやない液体成分だけでなく、固形成分もあるんや、それは…』
ここから「教科書」を一気に追いかけていく。
赤血球…核までなくして「酸素の運び屋」に徹する。白血球…異物、細菌を食べてしまって安全を守る防衛隊
血小板…傷口を塞ぎ、この大切な「栄養ジュース」の流失を防ぐ等となど
そして、最後にもういちど
『血液は栄養たっぷりの生ジュース』を繰り返した。

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【授業】消化管は「ちくわの穴」だ。

Dscf7241 四日ぶりに朝、校庭を歩いた。ほんと木々は、色づいてきいる。単色ではない、多様である。同じ樹の葉でも、日当たりによっても移ろい度合いがちがう、だから色は微妙にかわってくる。まるで「紅葉」でくくってしまわれることを拒否するがごとく、一枚一枚の葉が自分を主張するがのごとく多様な色である。生きているのだから「多様の美学」は、ここにもある。
▼授業をつづけよう。消化管のところであった。ひとつのクラスは、それを終えていた。もうひとつのクラスである。
口→… … →肛門 と「ぬり絵」をしながら、消化管のなまえとはたらきを追っていく。
 まずは、どうしても教えたいことがあった。
前のクラスでも何度も強調した。それは
●消化管が一本のパイプ・一本のチューブである
単純だけど、とても使える事実。それがこれだ。この「見方」がすごく納得をひきだす。
この表現にもっとみごとなものをみつけた。
『生物と無生物のあいだ』以来、大ファンになってしまった福岡伸一さんの文章にみつけた。
連休中のすきま時間を利用して、福岡さんの出たての新著『できそこないの男たち』(福岡伸一著 光文社新書 2008.10.20)を読んでしまった。この人は、どうしていつも人を惹きつけるような文章を書くのだろう。
それは、さておき問題の文章はこの本の中ごろにあった、こうだ。

トポロジー的にいってみれば、消化管は、ちょうどチクワの穴のようなものだ。口、食道、胃、小腸、大腸、肛門と連なるのは、身体の中心を突き抜ける中空の穴である。空間的には外部とつながっている。私たちが食べたものは、口から入り胃や腸に達するが、この時点ではまだ本当の意味では、食物は身体の「内部」に入ったわけではない。外部である消化管内で消化され、低分子化された栄養素が消化管壁を透過して体内の血液中に入ったとき、初めて食べ物は身体の「内部」、すなわちチクワの身の部分に入ったことになる。(福岡伸一著『できそこないの男たち』p148より)

じつにうまい。これだ!!私が言いたかったこと、教えたかったことがみごとに書いてある。
これは、いただこう。
Dscf7270▼消化管は、「チクワの穴」。
●多細胞動物のからだは一本の「ちくわ」である
これは使える。
これで消化・吸収の意味もスッキリととらえることができる。
あのミミズの解剖学習の「見どころ」もわかってもらえる。
たまたま、そこの教室にあった模造紙がまいてあった筒があった。
その筒をたてて上からチョークを落としてみた。チョーク(食べ物)は、筒をスッと通過して、床におちて(ウンチ)割れた。これでは通過したというだけ、からだのなかに入りはしなかった。
そこで、消化・吸収の妙が発揮されるのだ。
低分子化の化学変化、化学変化を促進する触媒=消化酵素のはたらきも、小腸の長さ、表面積の巨大さの意味も具体的なイメージとしてとらえることができる。
 これからは、何度も使わしてもらおう。この「からだは一本の「ちくわ」」を。

 

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授業と生活で問い続ける、「いのち」とは

 連休もすぎてしまった。ほんと三日もあったのかな、と思うぐらいのはやさだ。でもふり返ってみると、いろんなことをやっているから、やっぱりそうだったのだろう。
 一日目は、お医者に行った。継続してみらっている「糖尿病」の検査だ。目の方も心配ということでその方も検査してもらった。検査の結果はいたって順調のようだ。生活習慣に気をつけていけばいいようだ。
 尿をとって検査する。そのとき授業を思った。そうだ「オシッコの授業」これは、この単元の最後になるなと、どのようにオシッコはつくられるのか。セキツイ動物のいろんなオシッコをとりあげよう。
ツバメのオシッコをとりあげよう。「赤ちゃんはおかさんのお腹のなかでオシッコをするか」もとりあげたいな。
あの手この手で、「オシッコ」の大切を話をしたいな。自分の身体のことも話題にするかな。(^^ゞポリポリ
▼連休のあいだ嫁いだ娘が遊びにきていた。たまたまテレビをつけていた。
なんかの娯楽番組と報道番組と一緒になったようなものをやっていた。なんか「なつかしい」話をやっている。
「教室でブタを飼う」ことについてだ。
私『ああ、なんかなつかしいことやっとるな』
 『これ、いつのことやっているんや。昔、こんな話あったよな、「いのち」の授業というのがあってな…』
娘『えっ、知らんの今映画になっとるんやで、なあ、お母さん』
妻もうなづく。
(゚o゚)ゲッ!!知らんかった。なんで今 なんや
「いのち」のこと、「食べる」こと考えながら、後半の【動物の世界】を考えている最中に
ググってみた。あった 映画『ブタがいた教室』だ。
なんと11/1から全国ロードショーだと。
▼連休最終日、昼からというか、夕方ちかくなって、ほったらかしにしていた畑の雑草の処分して終わったあと、
手伝ってくれた息子たちと一緒に食事をした。ひさしぶりに焼き肉だ。
またしても、テレビにあの映画のことが…。
焼き肉を食べながら、このあいだ手に入れたばかりの「ブタの心臓」を思い出した。
「ちょっと食べてるときにも…」と顰蹙をかったが、やっぱり話したかった。あの筋肉のかたまりのこと…。
たま、たま大きなペットボトル(2L)入りのスポーツドリンクを飲んでいるところだったので
『そうそう、これやこれ二本分の血液をなあ、たえまなく…』とミニ授業に入ってしまったのだ
(^^ゞポリポリ
 しばらくは、授業と生活で問い続けよう。「いのち」とは…、動物の不思議・謎解きの第一方程式「食べる」とは…

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【Web更新11/2】【動物の世界】更新

Dscf7199
 秋深く 染み入りたりて もの思う
 08/10/30 (木)撮影@安富
 
楠田 純一の【理科の部屋】 週末定例更新のお知らせ
 このblogは「日記」 
 Web更新は「週記」
と自分に約束して、少し時間が経とうとしている。今度は、もう少し長いスパンの「足跡」を考えてみたくなっている。そこで、月初めのWeb更新のときに「月記」なるものを書いておこうと思う。
内容は、前の月のふり返りと現在地の確認。そしてその月を俯瞰し展望する。そんな内容のこと。
後で見直したり、「つなぎ」なおしてみると、けっこう有効になるかも知れない。そんな可能性を夢見て…。
●10月…では、さっそくと30日間のblogをスクロールしてみた。
      【動物の世界】の授業報告が中心だったようだ。報告をしながら、自分がもういちど、この単元を学びな      おしているようだ。「新・私の教材試論」もはじめている。これは続けていこう。
●11月…今年も、残すところあと2ヶ月となった。「整理」を意識した月にしよう。
       【動物の世界】から、【化学変化】の授業を考えていくようにしよう。

表紙画像2008 校庭の樹木シリーズ ケヤキ
 校庭のケヤキがのびるだけのびて、枝が校舎の窓から入ってきそうだ。窓から入ってきているのは、ケヤキの枝だけでない。日々黄色く色づいいく葉は、深まりゆく秋の侵入をおしえてくれているようだ。
 ケヤキを見ていると、夏に見た府中のケヤキ並木を思い出す。大賀一郎先生がこよなく愛したという「ケヤキ並木」は、完全に色づきもう冬仕度だろうか。

【動物の世界】更新
 このごろ授業をやりながら、自分でも「不思議だな」と思うことがある。そして、自問してみる「生命とはなんだろう」「生きているとは(・_・)......ン?」と。
 即答ができない。生徒たちはどうだろう。この単元の授業を「生物の特徴」からはじめた。「死んでいない。生きている」と答えた生徒がいる。その生徒の「生命観」は、この授業で変わっていっているのだろうか。私の「生命観」は…。この単元が終わったら、もう一度聞いてみたいな。
 「教える」とは 「学ぶこと」
 「学ぶ」とは  「教える」こと
そんな「学び合いの文化」こそ、「学校文化」の基盤になるのではと思ったりする。
そう言えば、今日は「文化の日」である。

【ヒガンバナ情報2008】更新
 ちょっと久しぶりの更新。「忘れてはいないよ(^_^;)」ということで更新してみた。

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ヒガンバナの「実・種子もどき」を求めて

Dscf7226▼昨日の朝の散歩は、少しながめにとれた。「あれを見ておかねば」と、デジカメをもって、犬をひきつれて例の場所にでかけた。ヒガンバナの「実・種子もどき」である。前に見に行ってから一週間がたっている。何か変化しているだろうか。前に見逃している「もどき」はないだろうか。
 あれっ、一週間前には、「やっぱり、ここには…」と思った場所にない。確かに、あったのに、現に一つの花茎は、瓶につっ込んで部屋の机上にあるのだから幻を見ていたわけではないはず。なんどていねいにその畦を見ていった。あった、でもひとつだけだ。それも枯れて倒れている、だからなかなかみつけることできなかったのだ。
 もう、それは引きちぎって持って変えることにした。
▼一週間前の「仮説」はどうなるんだ、ここは『特別の場所』だったはずなのに…。なんかワクワク感すっとひいてちょっとくやしい気分になった。そのまま帰るのが悔しすぎるので、しばらくそこで、高くなりつつある太陽のめぐみをもらって、ひなたぼっこしていた。そしたら、また根拠のない「仮説」が思い浮かんだ。
ここ数年の観察よりここのヒガンバナは「特別」なんではないか。というのが、一週間前の仮説であった。
その「仮説」では、見逃している「実・種子もどき」はていねいに見れば、もっともっと発見できるはずだった。そしてみつけているものについては、 元気に熟していっているはずだった。これは、ここを「特別の場所」と考え、ここの環境に原因を求めての仮説であった。
 翻って考えてみよう。もし、ここ「ヒガンバナの種」に原因を求めたらどうなるだろう。この場所で、変異を起こしているのでなく、すでに変異を起こしてしまっているものが、ここにいるだけだとしたら。
 ここの仲間はどこから、やってきたのだろう。これを考えるとき、種子で増えるのでないヒガンバナのルーツをさぐるのは、単純である。
 ここの小字名は「川原」である。そう市川の川原なんだ。だから、何度と氾濫を繰り返してきて出来た市川の川の水があったはず。それがヒガンバナを上流から運んできた。そして、ここにある。
だとした一緒に流れ着いたであろう、ちょっと上流(北の方向)にも、そんな「特別の場所」があるのではないか。
これが、「ひなたぼっこ」でちょっと立ち直った私の次なる「仮説」である。
▼ちょっと「仮説」など、大袈裟にいうのが恥ずかしい「空想」が、あながちそうとばかり言えないなと立証されるのに時間はかからなかった。畦の「生産の季節」に入ったヒガンバナを凝視しつつ、数十秒、歩いただけである。
あったのである。それちゃんと花茎も立ったままのものが、それが一本ではない数本も\(^o^)/
思わず「バンザイ」をしてしてしまったのだ。
 休日の朝、同じ畦道をいったり来たり、そして畦道で「ひなたぼっこ」をしているかと思ったら、今度はバンザイをしている。もし人が見ていたずいぶんと不思議な光景だったことだっただろう。(^_^;)
一週間後、また来てみよう。o(^o^)o ワクワク
 

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【授業】消化器官

Dscf7165 11月(霜月)がはじまる。11月、この月は、私にとっては、ちょっと意義深い月なのである。【理科の部屋】がスタートした月なのである。【理科の部屋】は、93年の11月23日にスタートした。従って今月の23日で、15年の歳月が流れたことになる。Webの歴史とともに歩んできた【理科の部屋】は、今はSNS(【理科の部屋】4@folomy)などに生きつづけている。時空を超えての学び合いは今も、連綿と続けられているのである。
15年の「時間」の流れなかで、変化しながら生きているのである。それは、まるで「生命体」のように、「動的平衡」の流れのなかにあるのである。
▼授業の報告をつづける。「だ液がデンプンを糖に変える」実験のあとの授業である。
まずは、例の「ぬり絵」をしながら、
口→食道→胃→十二指腸→小腸→大腸→肛門 と追いかけていく。
そして
●消化管が一本のパイプ・一本のチューブである
きをめて、単純な、あたりまえの事実である。
でも、「高いレベルの科学」がここにある。このことを感動的にとらえさせたい。
ブタの内臓一式を入手しこれに挑戦したこともある。夏休みのカエル解剖実習で教えたことある。
今回も入手にアタックしてみたが、ちょっとそれは不可能であった。
別の手を考えねばならない。とりあえず「ぬり絵」だけで…(^_^;)
▼ある面、消化管は、「外臓」であるとも言えるのではないかと思ったりする。私たちの身体の「内部」ではないのだろうか。さらに言うならば「外部」であって、身体を取り巻く「環境」ではないだろうか。
ソノハナシハ\(^^\) (/^^)/コッチニオイトイテ
次にもう少し詳細に、教科書に従いながら、
「消化吸収の妙」を追いかけていく
・動く胃、タンパク質を溶かす胃液、消化酵素
・交差点としての十二指腸、たんのう、膵臓
・吸収のメカニズム、柔毛、テニスコート一面の表面積、長い小腸、やっと「体内」(血管、リンパ管)へ
・水分吸収する大腸
・ウンコとは 等々

なかなか「お話」だけでは、「感動」はむつかしい。
▼授業をやりながら、自問がつづく「生命とはなんだろう」と。
何をこそ、教えなければならないのだろう。
「最高の指導書は 生徒」
ならば、生徒たちは、今どんな「生命観」をもっているのだろう。
また、「生命観」がつくられていっているのだろう。
もっともっと勉強しなければ…。

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