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【授業】消化とは(4)

Dscf7183アジサイの「色」が気になる。10月も終わりだというのに「アジサイ」もないだろう。その「色」は、まるで夏の日の思い出が脳裏こびりついて消えないように、ミイラ化したアジサイの花にこびりついていた。七変化した夏の日の残像として。アジサイは夏の季語、それはこちらの都合だけできめていること、アジサイには、アジサイの「生」がある。総じて、生きとし生けるものはフルシーズンだ。シーズンオフなんてない。
▼それにしても気になるものである。自然の「色」というものは。かつて私は、「草木染め」にこっていたことがある。タマネギの皮からはじめて、藍染めに、そして紅花染めへと。自然の「色」を、いつも身につけるものに染めていく。そこに、みごとに自然とつきあっていく「常民の科学」をみた。それは感動であり、「高いレベルの科学」がそこにあると感じた。
 草木染めのときも、植物のもつ色素が媒染剤(金属イオンを含む)で、みごとに発色していった。私もよくわかっていないが、「色」と金属イオンの関係。ここにも不思議・謎解きの面白さが待っているような気がする。
Dscf7186▼授業の話をすすめよう。定番中の定番実験。
「だ液によって、デンプンが糖にかわる」という実験である。ここでも、「色」の変化が、目的の事実を教えてくれる。
デンプンの存在を教えてくれる青紫色。数滴たらしただけでみごとに発色する。
小学校以来何度もやってきたことかもしれないが、やっぱり感動である。
ところで、このヨウ素デンプン反応というのは、いつ頃からやられたのか。誰がはじめたのかな。ルーツはどこにあるのだろう。なんか調べてみたくなってきた。ずいぶん古い話だが、西洋紙にヨウ素溶液をこぼしてしまい、みごとに青紫色に発色したことがはじまりになって、「デンプンさがし」の遊びをしたこともあった。
▼ベネジクト反応もみごとなものである。もともとの青色は、銅イオンの色だろう。
熱する、沸騰させるそのことによって何が起こっているのだろう。糖の量によって色具合もちがう。
うまく考えたものだ。この定番実験も、少しずつ「進化」していっているようだ。
たまたま昨日、手にした『理科の教育』(日本理科教育学会 東洋館出版社)の11月号に、「だ液によるデンプン分解での糖の検出法の改良」という論文が出ていた。
 このように多くの人の知恵で、定番実験もより進化していくといいな。
ともかく
 自然の「色」は、私たちに色々なことを語りかけ、教えてくれているのだ。

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【授業】消化とは(3)

Dscf7171「記憶」というのは、不思議な情報である。側頭葉にしまい込まれるときには、無色無臭で、ベクトルを持たないかのようである。あるとき、他の情報とつながって、前頭葉にたちあらわれたときには、あたかもしまい込まれたときから意図があったかのように妙に輪郭もくっきりのベクトルをもった情報になることもある。不思議だ。
 「水飴屋さん」の記憶。なぜか、妙にくっきりとこの記憶がよみがえるときがある。初任の中学校は、田んぼの真ん中にたっていた。まわりには、比較的家は少なかった。学校の西に坂道があり、それを下っていくと竹藪があった。その道路沿い、川の側の竹藪の中ほどに、「水飴屋さん」があった。水飴だけで商いはできたのだろうか。卸屋さんだったのだろうか。駄菓子屋さんだったんだろうか。でも、他のものが売られていたかについては記憶がない。
 水飴の透明感、あの四角透明瓶に大量に入っていた。「すごい、欲しいな」と思った記憶はあるが、実際に買い込んだのか、それについては記憶はない。
▼この記憶が、「教材」というベクトルをもって立ちあらわれくるのは、ずっとずっと後のことである。
「飴」というのは、すぐれた教材である。
それまではただ白い粉が、その瞬間、透明な甘いねばりある「飴」に変身するのである。これぞ、化学マジックの極致である。
 その同様の作用が、私たちの口のなかで行われているというのである。
その実験が、教科書にも記載されている。
「デンプンのりのデンプンがだ液によって、糖に変わる」という実験である。
デンプンは、ヨウ素溶液で確認し、糖はベネジクト液で確認するという。
定番中の定番の実験である。その実験の準備を昨日やった。
▼定番実験のあとは、だ液による「酒づくり」の話や「飴づくり」の話を、これまでしてきたが、お話だけでなく実際にやってみたいという衝動に駆られるが、今回はひかえておこう。
そんな実践はないのだろうか。検索してみる。
やはりあった。
■「ジャガイモと大根で水飴をつくる」
これだ。\(^o^)/
こんなのがやりたいのだ、「自由研究」にでもよびかけたいな。
「水飴」の記憶が、ベクトルをもって、教材化を促してくれる。
水飴工場の見学は…、「常民の科学」の歴史での「飴作り」は…、定番実験の歴史は…。
やってみたいことは、次々とでてくるが
まずは、今日は「定番」で…。

 

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【授業】消化とは(2)

Dscf7157 秋深し 未熟の美学 ここにあり

 こんな句もどきが、口にでてきた。それは、朝の校庭散歩のときだ。私は、ふつうであれば、朝に2回散歩する。
ひとつは、家での犬と一緒に定期コースをきめておいての散歩。もうひとつは、この「校庭散歩」のときだ。これも習慣になりつつある。最初にもどる。こんな「俳句もどき」をつくりはじめてどれほどの時間が経過するのだろう。
Webページをつくりだして、更新のたびにいちばん旬の画像を表紙にはりつけていた。その表紙画像にちょっとした説明の言葉をつけていた。それを同じ短い言葉なら俳句にできないだろうか、と考えたのがはじまりだったのではないかと思う。やがて、その画像は植物であることが多くなった。そしたら、その植物の名前を句のなかに入れることを枷とするようにした。下手な者が、なお窮屈になった。でも、それはいつしか私のなかで「儀式」のようになっていった。
旬の画像と、一句(「俳句もどき」)。これが散歩と同じように習慣になりつつある。
 そんな思考回路が、自分のなかにできつつあるのかも知れない。
▼同じように、あらたに開かれつつある「思考回路」のひとつに、「授業をblogで語る」というのがあるのかも知れない。授業のなかでの時間にして数分のようなことを、一時間も書けてこのblogで考え、書く。
その営みに、どんな意味があるのか。即答はできない。
なんとなく、そうしてしまっているのである。思考習慣になってきてしまっているのかも知れない。
 続けよう。世界人口の10000倍(ケタだけの概算)にも及ぶ細胞にどのようにして、栄養をあたえるか。
これが絶対命題であるところまできていた。
▼次にあげたの三大栄養の話である。
炭水化物(その代表としてのデンプン)、脂肪、タンパク質 それを板書する。
そのとき、次のように括弧書きで原子記号を付け加えた。
・炭水化物(C.H.O)
・脂肪(C.H.O)
・タンパク質(C.H.O.N)
と。もう一ヶ月もしないうちに学習すること、これの予告もかねてあえて書いておいた。
化学式も出していこうと思っている。生徒たちの表情に「拒否」はない。もしろ、歓迎しているようすである。
案外、学習の領域に「こだわり」をもったりしているは、我々自身なのかも知れない。
「原子論的物質観」などとことあらたにいうこともない。未知なることを知って、それを謎解きの武器にしていくこと、それはごく自然のことである。本来生徒は「学びたがっている。」
『パンを求める子に石を与えるな。』と言ったのは林竹二だったかな。
また、また進まない。(^^ゞポリポリ
つづく

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【授業】消化とは(1)

Dscf7086「やっぱり、それはそこにあった」。予想はあたった。ヒガンバナが本格的「生産の季節」に突入した今、ほとんどの花茎は倒れ枯れてしまっている。一昨日、日曜日の朝、そう報告しだからこそ、「実もどき」「種子もどき」の発見のチャンスと言った。ここ何年か、「それ」を発見してきた場所がある。まずは、そこに出かけてみよう。散歩の足をのばしてみる。やっぱり、「それ」はあった。もう倒れかけているものが多いが、やはりその畦には、他の畦にはみられないものがあった。予想はあたったが、何らの根拠があるわけではない。ただ、これまでの観察からの経験的カンでしかない。それは科学ではない。でも不思議である。なぜ、そこだけなんだろう。
 かつて徳川義親は、不稔性は「恐ラク栄養状態ニ関係アルモノトミラル」と判断したという。ここの環境は、どうだろう、何か特別の条件があるだろうか。確かに、水の保障はある。溝の畦だけに、ほかに他所とちがうところがみつからない。なぜだろう。もう少し、この不思議・謎解きをつづけてみよう。花茎のひとつを、それこそ義親がやったと同じように、とって来て、小さな瓶に水をはり差し込んでみた。どうせとは思いながらも…
▼授業を続けよう。いよいよ、動物の不思議・謎解きの第一方程式「食べる」をダイレクトにあつかう部分だ。
 「なるほど」と思ってくれる切り出しにしたい。
『私たちの身体は60兆個の細胞からできている。この60兆個のすべての細胞に、酸素と栄養を与えなければならない。与えられなければ生き続けることはできない。これは至上命令である。』
ちょっとだけオーバーな表現をとりながら、はじめる。
自分で言いながら、60兆の数字のイメージがつかめない。前に「進化」のところで、「地球カレンダー」を持ち込むことで、生徒たちは、「長い年月」が具体的なイメージすることができた、と感想に書いてくれた。
では、同じようになにか、シェーマのはたらきをするものはないのだろうか。
▼私は、同じ生命個体の数がいいかと思って、「世界の人口」が思い浮かんだ。
ところで、今、正確なところ世界の人口っていくらだったかな。(・_・)......ン?
たいへんな時代になったものである。そのようなことはすぐさま知ることのできる「知」の集積回路を手に入れてしまっているのである。「世界の人口」ググってみた。そのもののWebページがトップにでてきた。
■世界の人口
なんとリアルタイムである。これを見るだけでもいろいんなこと考えさせられてしまう。
おっと、いけないいけない、寄り道がすぎてしまう。(^^ゞポリポリ
数字のケタだけおっていこう。
67億の世界人口、我々の身体の細胞60兆個 それはケタの概算では、10000倍である。
世界の人口の10000倍の細胞を私たちは、身体のなかに飼っている。
この膨大なる細胞に栄養(エサ)与えねばならい。
そのために、どんな「からくり」があるのだろう。それをみていくのが、これからの学習。
これは、これからの授業の導入部、時間にして5分にもならない話だ。
つづく。

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【Web更新10/26】【動物の世界】更新

Dscf7058 ぬれ染めて 今日も過ぐや ハナミズキ
 08/10/24(金)撮影@安富

楠田純一の【理科の部屋】
の週末定例更新のお知らせです。

 いつのまにやら、10月も最終週をむかえるようになっています。週末の定例更新も、自分のなかで定着してきました。なんか、もう少しステップアップしたことに挑戦と考えたりもするのですが、自分に与えられた時間や能力のこと考えると、よりシンプルに「できること」を繰りかえてしてみようと思っています。

表紙画像2008 校庭の樹木シリーズ  再度ハナミズキ
 ほんとこのハナミズキという木は、魅力的な木である。春のピンクと白のまじった清楚な花、秋の赤い実、真っ赤な紅葉その都度、その木の存在を確認してしまう。校庭には、2本だけある。離れたところに植えられており、ちょっと環境がちがう。そうすると、この紅葉の色具合も微妙にちがうようである。これが、赤への紅葉の先駆けならば、黄色はなんだろう。秋は深まり、裏に山を抱えた校庭の紅葉はどのように進んでいくのだろうか。楽しみなところである。

【動物の世界】更新
 【動物の世界】も後半になってきた、一挙に学習をすすめたいところである。
後半は「人のからだのつくりとはたらき」が中心である。
「60兆個の細胞にいかにして酸素、栄養を与えるのか」これを軸として展開したいと思っている。
どこまで
「へーうまいことできているんやな」
「すごいな」
「生命って(・_・)......ン?」
こんな言葉をどこまで引き出せるか、そこが勝負と思っている。
さあ…。

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「食べる」を科学する

Dscf7071ヒガンバナの花茎が枯れて朽ちていく。そして、「生産の季節」はますます本格化する。この季節にまだ立っている花茎があったら、それはまだ、実もどき、種もどきを有している可能性がある。そんな意味から言えば、「種」さがしの絶好期なのかも知れない。今朝の散歩は、ちょっと遠回りしてみよう。定点観測地のヒガンバナは、ソバの花をバックに元気だ。
▼「生産」できない動物たちは食べるという営みよってしか「生命」を維持できない。
だから、『動物の世界』の学習は
●動物の謎解きの方程式は「食べる」
からはじめた。「食べる」を追いかけていくと動物の世界が見えてくる。
これは、授業をすすめていくなかで、ますます実感しているところである。
▼ヒトもやはり動物である。あたりまえのことであるが、「食べる」という必要不可欠な営みを通して、ヒトの「生命」も見えてくるのかも知れない。
 あの『生物と無生物のあいだ』の福岡伸一さんは『生命と食』(岩波ブックレット 2008.8.6)で、「生命は、絶え間なく分解と化合を繰り返す、ダイナミズムの中にあります。」と語ったあと、

食物とはすべて他の生物の身体の一部であり、食物を通して私たちは環境と直接つながり、交換しあっています。だから自分の健康を考えるということは、環境のことを考えるということであり、環境のことを考えるということは、自分の生命を考えるということでもあるわけです。 
 
としめくくっている。
▼「食育」「環境教育」の重要性が叫ばれいる今日、そのベースにはしっかりとした「科学」がなければならい。
「食べる」という営みは、営々と人々が生活のなかで繰り返してきたこと、これがとぎれたことはない。そのなかで、人々は「知恵」を蓄積し、「文化」を創ってきた。例えば「医食同源」のことば象徴されるような「常民の科学」から、今こそ大いに学ぶべきなのではと思う。
 『動物の世界』後半「人の身体」の学習をすすめながら、今一度、「食べる」を等身大に科学してみたい。

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【授業】運動のしくみを探る

 毎日書き綴っているこのblogにも、いくつかのパターンできてきたようだ。ときどき、書き出しに迷うことがある。どこから書きはじめて、書き留めたいことを書くか。そう思ったとき思い出すblogがある。模範としたいようなblogである。あんなのが書けたらいいのになとあこがれてしまう。この「あこがれのblog」それは、朝日新聞の「天声人語」である。世間一般 人は、これをblogとよんでいないかも知れないが、私のなかでは間違いなくblogなのである。毎日書き込まれる、そしてリアルタイムで時事性に富む、ある面きわめて等身大に語る、そしてなおかつそこには「主張」がある。あの短い文章で、世界をまるごと豊かにとらえる。なおかつ余韻をもって、読むものに「学び」をもたらす。自分でblogを書き始めて、生まれた認識であり、「再発見」である。受験生ではあるまいし、今さら文章の見本になどというと、ちょっと照れるはなしなんだが、どこかでこのこと書いてみたかった。
▼今日も、私は授業を語り続けよう。「脳科学」にちょっとだけ「挑戦」の後である。
もう、挑戦してみたいという気がある、でも具体的にどんな授業にということはないのである。そんな気がするというだけの話だ。これでは授業は成り立たない。大きな宿題だが、それを残して次へゆく。
次は、「運動のメカニズム」「運動のしくみを探る」である。
脳からの命令を受けた運動神経は、動きをはじめる。そのときのメカニズム。
Dscf7061▼あるのは、骨、筋肉
教えたいのは、たったひとつ
「筋肉の収縮によって骨を動かす」たったそれだけのこと。
(゚o゚)ゲッ!!なるほど (゚゚)(。。)(゚゚)(。。)ウンウン
というものを持ち込みたい、しかし、あまりいいものがない。
たまたま保健室に行ったら、大きな掛け図があった、よしこれを借りようと思った。養護の先生にお願いして、これをお借りした。実物大に近い。そして「保健室にあった」ということで、届けるメッセージがある。
 後は、例によって「ぬり絵」である。
ぬり絵の図は
・片腕の骨だけのもの  ・片腕の筋肉が
・アキレス腱 
「アキレス腱」では、色をぬりながら、「アキレス腱」由来のお話を付け加えた。

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【授業】脳科学超入門に挑戦

 昨日「霜降」の新聞記事のトップに「台風上陸ゼロ?」とあった。ほんとだ、あらためて考えてみると、そうなんである。「台風」接近であわてて雨戸をしめたが、実際には上陸をしなかった。皮肉な話だが、今度は逆に「水不足が深刻」とも書いてある。そうなんだ、自然はこちらの都合よくばかりはふるまってくれない。だからこそ、自然の科学が学びに値するものであるのかも知れない。この「大気の物理学」の学習も後にひかえている。
先を急ぐ。
▼授業は、刺激に対する反応を「リンゴ型」と「やかん型」にわけるところまできていた。教科書にでている実験2題をやってみることからはじめた。
○二人がペアになって、一方が定規を落下させて、それを被験者が何㎝落下したところで定規をつかめるか。
○生徒たちが手をつなぎ、最初の生徒は、となりの生徒の手をにぎる、にぎられた生徒は次の生徒の手をにぎる。(刺激-反応をリレーするのである)
いずれも、よくやられてきた実験である。
神経を情報を伝わるスピードをみる実験である。さすがスタンダード実験である。けっこうそれなりに生徒たちは楽しんでいる。計算をして求めたりしたが、あまりこだわらなかった。
「けっこうはやいもんなんですよね。」ぐらいにすませた。
しばらく実験らしい実験をやっていないので、久しぶりに楽しんでくれたのかも…。
▼2つの実験のあとは、いよいよ「脳」である。「脳科学」なんていうのは、ちょっとおくがましいが、最近話題になることが多いし、生徒たちも興味をもっていることは確かだ。「動物の世界」をはじめたころにも、「いつ脳はやるのですか」と質問にきた生徒もいた。中学生にとっても関心事のひとつであることはまちがいない。
  脳といえば、この夏、南方熊楠記念館で観た「熊楠の脳」を思い出す。「南方マンダラ」がこれから生まれたのかと思うとちょっと感慨深いものがあった。
Dscf7035▼「次は、これです」と、紙粘土でつくった模型をみせた。これは、ずいぶん以前に夏休みの自由研究に生徒がつくったものだ。それをねだって、大切にするからということで譲ってもらったのだ。深謝m(__)mペコリ
そして、色塗りである。「大脳」「小脳」「脳幹」「せきずい」「感覚神経」…「ぬり絵」をしているあいまに、それぞれのはたらきを確認する。そして「大脳拡大図」これも「ぬり絵」である。その途中になってしまった。
ちょっと興奮気味に、「ここにすべてがある。感情も記憶も…。この活用法が、自分の生き方も決定づけるかも知れない」と。でも、そう言いながらも私自身も何もわかっていないことを告白しておく。
 ここに最高レベルの不思議・謎があることは確か。そして、その謎解きは、学びに値するものがあると確信をもって言える。「さわり」にもいたらない脳科学「超入門」だ。
 

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【授業】刺激と反応

 粛々と、いや表現がちがうか。淡々という方がいいのだろうか。ともかく、ふだんの授業をそのまま語ることを決めた。それが、どんな意味をもってくるかは、もうすこし蓄積していくなかで考えればいいこと。いろいろ考えていると、もう「それ」は通り過ぎていってしまう。
 記憶の彼方に流れていってしまうのである。
「記憶せずに記録せよ」は梅棹が教えてくれたこと。
記録は、やがてくるかもしれない「その時」つなぎあわせることができるかも知れない。
記憶は、いくら紡いでも「後悔」しかうまれない。
Dscf7011▼授業は、感覚器官から、「刺激と反応」へ行く。今回与えられているのはきわめて短時間。
やかんにリンゴを入れてもっていった。
やかんからリンゴとりだす。ちょっとながいあいだ、その状態で放置したせいであろうか。
あの甘酸っぱいリンゴ独特のいい匂いがする。それを言う生徒もいた。
「リンゴ」と「やかん」を教卓の両端におく。
そして言う。
『今日は、私たちが運動する、動くときにどんなしかけで動いているのか。2つのパターンにわけて考えてみます』
と。
まずは、リンゴの場合。(リンゴを選んだのは、たまたま我が家の台所にあった。そう言えば、光の導入もリンゴでやることが多かった。やっぱり、ちょっとこだわりがあるのかな。)
■「あっ、リンゴだ」→「おいしそう」→「よし、たべよう」→手をだす。
Dscf7029もうひとつは、「やかん」だ。
実際に熱湯を入れておいて、リアルにとも考えたが、そこまではしなかった。
■何気なく「やかん」に手を触れた。→「あちちっ(゚o゚)ゲッ!!」→手を引っ込める
ちょっとパントマイムを入れる。ちょっとだけ受けたかな。もっとこのスキルは磨く必要ありますね。(^_^;)
かってに、「リンゴ型」と「やかん型」と命名してしまう。
あとは「科学用語」だけの問題。
感覚器官、感覚神経、せきずい、脳、運動神経、運動器官、反射、中枢神経、末梢神経
図入りで板書しながら確認する。
実験2つは次回まわしである。

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「生命」の不思議・謎解きは面白い

授業が少し、中間考査で中休みです。
この後の単元のことを考えるともう少しスピードアップしてかかる必要がある。よく承知しているが、どうも、やっている単元にはまり込んでしまう傾向がある。私の場合、昔からそう言う傾向がある。
 「こんな面白いことどうしても伝えなければ…」と思いこむのだ。
「電流と磁界」のところでは、「磁石と電気」一見無縁と思える世界が、こんな不思議な関係にあるなんてどうしてもこれを学ばなければ、科学を学んだことにならないだろう。こんな毎日利用している「電気」のことは、絶対に勉強しおかねばと自分でも思うし、そう言ってきた。
今度は「生命」の不思議・謎解きである。
▼浅学で忘れっぽい私は、すぐ忘れてしまう。(^^ゞポリポリ
授業をやりながら、自分でその単元のことを学んでいる。授業というのは、私にとっては、「切実な学びの場」 なんである。
そんな私に都合よく、勝手な定理までつくってしまっている。
■最もよく学ぶものは、最もよく教える
と。
それにしても、「生命」の不思議・謎解きは面白い。
▼「動物の進化」の学習で使った「地球カレンダー」について感想文を生徒にかいてもらった。
それが出そろってきた。読んでいるすごく面白い。
『地球が誕生したのは約46億年前ということは知っていたけど、そこから生物が誕生するまでにあんなに長かったとは思っていなかったので驚きました。また、人類の祖先のホモ・サピエンスがカレンダーだと12月31日に誕生したことになっているので一番衝撃的でした。これからも、またいろんなことが分かってくると思うのでそうなるとカレンダーでみると何月何日なのかを調べてみたいです。』
『まじで?!やっぱ、地球はすげぇなあheartと思ったことがありました。それは「人間の人生は一秒にはならない」ということです。…』
『…約35億年前から、今日、数字では表すことができないぐらい命のリレーを続けてきました。だから、もっと地球を大切に、そして生物を大切にしていきたいです。…』
▼まだまだいっぱいある。こちらが意図した以上のことをいっぱい読みとっている。この授業のあとネットで調べ続けている生徒もいるようだ。いずれにしても、生命の不思議をもっと知りたがっていることは確かだ。
授業がやりながら、一緒にこの不思議・謎解きを楽しんでみよう。

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ヒガンバナは「生産の季節」へ

Dscf6944一昨日の日曜日は、久しぶりに共同の「草刈り作業」に出た。ソバの白い花が眩く輝く、その周辺の畦の草刈りが中心だ。あいにく天気は、盛夏を思わせるような暑さだ。草刈り機をもつ腕から汗が噴き出てくる。なんでよりよってこんな日に限って、太陽からのエネルギー補給はさかんなんだ。畦や道の雑草たちは、「季節」をよく知っていた。盛んだった「生産」を少しずつゆるめて枯れにに入っているのだ。きっちりと種をつくり、次の世代にバトンタッチを終えて。
 しかし、我らが「ヒガンバナ」はちがっていた。
▼枯れゆく雑草たちに「お疲れさん」「今度は、私たちの番ですよ」と、宣言するがごとく、ヒガンバナは青々とした葉をスルスルとのばしているのである。なんという戦略だ!!
 ここにドラスティクな「ヒガンバナの生」がある。
ヒガンバナの「生産の季節」の到来である。邪魔者は消えていく、太陽からのエネルギーは独り占めできるのである。
▼そうして、葉をのばしながらも、まだ花茎はたっている。天下をとったかに見える我らがヒガンバナにも哀しいことがある。他の雑草たちが「生命のバトンタッチ」をして枯れていくのに対して、ヒガンバナにはそれができない。まだたっている花茎のさきに、まれに「それらしき」ふくらみができることがある。しかし、それはまがいもので、ほとんどが「不稔」である。ほんとうのまれのまれにそうではないこともあるようだ。(これをずっと追っかけている。私自身はまだ出会ってはいない。)
 ならばと、ヒガンバナはこの「生産の季節」にうんと「生産」をする。生産物の貯蔵庫を分けて「生命のバトンタッチ」ならぬ、「生命のシェア」をしながら増えていくのである。
▼ヒガンバナの不思議・謎解きは、まだまだ続くのである。まずは「生産の季節」をむかえたヒガンバナの観察、そして、まれにみる「種子」もどきの発見、つぎつぎと謎解きの課題はある。いろんな情報を日本ヒガンバナ学会は待っている。

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【Web更新10/19】【動物の世界】更新

Dscf6893
 山椒や 赤児の黒く 輝やかん
 08/10/16 (木)撮影@安富

楠田純一の【理科の部屋】 週末定例更新のお知らせ

 誰にでもできることを、誰もやらなかったほど繰り返しやってみる。そうすると、誰もがみなかったものが見えてくるかも知れない。それが、私流。
 「週記」の役割をここに与えてからも、だいぶん経つ。一週間の時間の経過のなかで、なにがおこったのか。
ふり返ってみる。そして次の一週間を展望してみる。

◆表紙画像2008 校庭の樹木シリーズ サンショウ
 それは、旧体育館の北端にある。あまり、人目につくところではない。誰かが意図的に植えたものだろうか。それとも、近くの家の庭から、鳥でもタネを運んできて、ここで成長したものだろうか。山椒の木である。
 赤と黒のコントラストいいですね。黒は、赤から生まれたのだろう。すべての色が溶け込むと黒になる。昔、図画の時間に、絵の具をいじっていてやってみたこと。自然の色もそうなんだろうか。
 山が色づき、木々も次々と色づいていく。自然の色の意味を想像して楽しんでみるのも楽しい。
 鳥たちにシグナルを送っていた赤い実が、割れて、赤ちゃん山椒が飛び出してきた。
しらなかった。山椒のタネがこんなに黒く輝いていたなんて。これは私の大好物で煮て、佃煮風にしてよくいただいていたんだけどな。

【動物の世界】更新
 授業の方、もっとピッチをあげていかねばと思う反面、こんな面白いこと、「ゆっくりと」と考えてしまうのである。
何十年のやってきていながら、いつもはまってしまうドグマ。
 ほんと、『生物』って不思議いっぱいで面白いですね。今週も授業しながら学んでいこう。

▼なんか、そう言えば遠ざかってしまっているものがある。けっして忘れているのではないが…。
『ヒガンバナ』である。今週は、ヒガンバナのことについてもふれたいな。
観察の絶好期をのがさないあいだに…。

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新・私の教材試論(2)

Dscf6943 発芽処理をしてから、5ヶ月が経った大賀ハスが、その「生産の季節」の幕を閉じようとしている。黄色く色づいてきていた葉が、今度はふちから枯れだしたのだ。その枯れ方もちょっとおもしろい。葉は周囲から巻くように枯れていっているのだが、正八角形になっているように見える。一葉だけでなく他の葉もそのようだ。なにか、ここにも「からくり」があるのだろうか。
不思議だ。?(゚_。)?(。_゚)?
▼「教材試論」をつづけようと思う。昨日、書いてみて気づいたのだが、このblogでもこれまでにも「試論」をはじめたことがあったのだ。
 新「私の教材論」と題して、3日間だけ挑戦している。2年前の夏である。
 今度は、再度のリベンジということになるのだろうか。
今回は、少し最初に書いておきたいことがあってはじめた。
「教材」にも不易流行がある。
その「不易」の部分についてである。勝手に無理矢理に「法則」をつくってしまうところからはじめる。
■3K1Aの法則
3Kとは
●「感動」のK
●「簡単」のK
●「きれい」のK
これは、私の記憶では大阪の山田善春さんの受け売りかな。(^^ゞポリポリ
それに1Aを加えた。1Aとは
「安全」のA
 詳細については追々に語っていこう。先をいそごう。「思いつき」が消えてしまわないうちに
▼もうひとつ勝手に法則をつくってしまった。ここまでくると「遊び」と失笑されるかも知れないが
■3Hの法則
さて、その3Hとは
●「ホット」のH
 教材は「ホット」なものでなければならない。話題性に富み、生徒の興味を惹くモノでなければならない。それでは「不易」の部分にならないのではないかと思われるかも知れないが、モノは常に流れている。生命体ですら福岡伸一流に言うならなら「動的平衡」を保ちつつ流れている。その流れている瞬間を「ホット」にとらえて、教室に持ち込むのである。ビビッドな生徒たちの感性は、これを受け入れるだろう。
 ここでこれからのWebは、大いなるヒントを与えてくれるだろう。
●「本質的」のH
 より本質的な教材こそが、「高いレベルの科学」を保障するのである。末梢的なガラクタ教材では、生き生きとした授業をつくりだすことができない。では「何が本質的なのか」、これを明らかにする具体的な作業をやっていきたい。あらかじめわかっている解答はないのである。しかし、この取り組みはこれまでに行われなかったわけではない。これまでの取り組みからも大いに学びながら、すすめていく必要があるだろう。
●「ホンモノ」のH
 「ホンモノ」には、ふたつの意味をもたせたい。ひとつは従来の「教材論」でもあげていた「自然そのもの」の「ホンモノ」である。「自然は最高の教科書、生徒は最高の指導書」何度も何度も確認してきたこと。最高の自然そのものが「最高の教科書」なら、その自然そのものを可能な限り教室に持ち込むことは、きわめてアタリマエのことだ。
それが最高の「教材」なる可能性をもっていることもわかるというものだ。次なる課題は、どの自然そのものを切り取って教室に持ち込むかだ。そこにセンスの問題がある。
 「センス・オブ・ワンダー」と「センス・オブ・エデュケーション」が交叉するところに「教材」がある。
 もうひとつの「ホンモノ」は、プロの科学者たちがやっているモノを持ち込むということである。現代科学最前線の
「ホンモノ」を「教材」として教室に持ち込むことである。
 科学最前線のことなんか「高度すぎて」と言う前に、教師自らがそれを「学び」「体験」し、楽しんでみよう。きっとわかってくるはずだ。「ホンモノ」はわかりやすくて、面白いものであることが…。逆に言えば「わかりにくく」「面白くないもの」は、「ニセモノ」と言えばいいすぎだろうか。
▼時間をきめて書き始めたはじめたはずなのに、ついついわけのわからないことを書いてしまっている。\(__ ) ハンセィ
 次にこの試論を書くのはいつだろう。それは決めていない。決めたことは
●書き続ける
●期間限定 2011年(平成23年)の春まで 書く
ふたつである。
不定期、不連続になるだろうが、また<戯れ>の時間が許されるときに綴りたい。

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新・私の教材試論(1)

Dscf6888 散歩道の木々が次々と色づき、季節のうつろいを教えてくれる。地球が太陽のまわりを一回まわってくれば、変化なく同じ「季節」がめぐってきているのだろうか。「ほんとうに同じなんだろうか?」つまらない疑問が頭をよぎる。
 同じように「見える」だけではないのだろうか。実は「同じ」なんていうことは、この世の中にひとつとしてない。少しずつ変化している。同じに見えるのは、その「変化」・「ちがい」に気づいていないだけ。
▼私のなかにずっと「こだわり」持ち続けていることがある。ながいあいだ中学校の理科教師をやってきたなかでの「こだわり」である。その「こだわり」も、変化し続けている。私自身は同じだと思っているが、それは変化してきているということもあるだろう。それを、ここで書きとめておきたい。
 blogに書きとめておけば、「蓄積」「公開」「発見」「再発見」等々が、同時におこなえるだろう。
では、その「こだわり」とはなにか。
それは「教材」についてである。
授業づくりの中心になる「教材」。授業そのものの成否を決定づける「教材」。
教師の世界観・自然観の表れでもある「教材」。
▼私はこれまで、何度か、この「教材」にこだわって、その時点での自分の考えをまとめてきた。
ひとつは、
■連載『私の教材論』(1)~(10)
である。これは、それまでの20年近く中学校の理科の授業をやっていくなかで、「すぐれた教材」はこれだと思ったことをまとめたものである。我田引水なるが、今なお、有効なものもいっぱいあると思っている。
若干の追加・修正もしたいところも出てきた。

 次は、先の論考を下敷きにして、理科教師の講座で話をする機会があったのでWebぺージ化した
■新「私の教材論」(03版)
である。
 具体的にWebで公開しているものにリンクして展開している。

ちょっと角度を変えて、「教材史」注目して、教材を語ろうとしたこともある。
■新シリーズ【教材を追う】
この作業も途中になってしまっている。
「クリップモーター」「ピンポール・カメラ」など、ぜひともやってみたいものはいっぱいある。

▼いろんな試みをしたいと思いながらも、しばらく自分で直接授業をすることから少し離れていた。今年度から本格的に授業を再度やりだしてみて、「やっぱり、学校は授業だ」「授業は教材だ」と再認識している。
 最近、故高橋金三郎先生の50年近く前の「教材」に関する文章に接する機会があった。なんとも、今日的な提言であるか、といつものように驚いた。

誰でもできる教師の第三の仕事は、ガラクタ教材を教えないということ、つまり基本的な事実法則の学習に役立たない教材はオミットするということではないだろうか。教科書内のすべてを教えている教師は実存していない。かりに教えたと教師が空想しても、子どもはいっこう教わっていないのである。できもしないことをできるように錯覚するのはやめよう。主観的に加減していた教材の取りあげ方を、「基本法則」の学習に役立つかどうかの視点で整理してはいけないものだろうか。」(『授業と科学』(高橋金三郎著 むぎ書房 1973)P34より)

■『授業と科学』(高橋金三郎著 むぎ書房 1973)に「理科教師の仕事」と題された文章の最後に「3つの仕事」を提言されている。その第三番目である。

 ちょうど、新学習指導要領も発表になり、来年度から移行期に入っていく。現行教科書に登場している教材があり、そして移行期で消えていく教材があるだろう、また今度の改訂で新しく登場してくる教材があるだろう。
 そんな「教材」を、今一度「整理」しなおすことはできないだろうか。
▼そんな大それた「仕事」ができるほど、すごい実践をやってきたわけではない。それは承知している。
しかし、はじめてみなければ、何も進まない。
 これは、遠大なるプロジェクトのはじまりである。
「試論」の「試論」である。「試論」でおわりになるかも知れない。
しかし、
 Webが教えてくれた。<小さな試み>も つなげば世界大になると。


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【授業】感覚器官-2

Dscf6922一昨日、帰宅すると机の上に「あれ」が置いてあった。「あれ」はていねいに箱に梱包されている。箱ごともってみる。ずっしりと重い、まちがいなく「あれ」だ。
 話は、【理科の部屋】ではじまった。鉄のことが話題になっていた、TSUBAMEさんが言われた『鉄関連でですが、関門海峡の九州側には鉄鉱石が散在しています。昔、貨物船から艀(はしけ)に積み替えるときに、一部がこぼれ落ちたものと言われています。』
えっ、ひょっとして例の「磁鉄鉱」のこと、と思った。
磁力を持っているのだろうか。そう言えば、あの柵原鉱山でそんな話を聞いたような記憶も…。ともかく「それ」が欲しいと思った。ずいぶんと唐突で失礼な話だが、そのことをTSUBAMEさんに伝えた。そしたら、「それ」を譲ってあげようということになった。
「あれ」とは、「それ」なんである。梱包を開けてみる。取りだしてみる、ずっしりと重い、この重量感、ことばではなかなか表せない。そりゃそうだ、鉄のかたまりであるから。机の上に置いてみた、そしてクリップを近づけてみた。
柵原鉱山でいただいた磁鉄鉱ほどではないが、クリップをつける。磁力は少しあるのだ。
また、ひとつ私の「宝物」を手に入れてしまった。(^^)V  深謝m(__)mペコリ
Dscf6921
▼授業の報告を続ける。
<つづき>「レンズ」のはたらきからである。
このすごい道具が私たちの「目」に組み込まれている。みごとなものである。
では、もう少し具体的にどんな「からくり」で光の情報はキャッチされているのかをみる。ここから色塗りである。
例の「カラースケッチブック解剖学」の目のところをコピーして使わせてもらう。
やる前、自分でも新調した色鉛筆で「ぬり絵」をやってみた。やっぱりけっこう楽しい作業だ。
ぬりながら、口の中で部位のなまえを繰り返し言ってみる。部位は、すべてをあげない。
教科書に出ている範囲にとどめる。これは、他の器官についても同じとした。
目では
・ひとみ
・こうさい
・レンズ
・網膜
・動脈
・視神経
この程度である。色塗りをしているあいだにも、先にあげた「からくり」を繰り返す。
光(モノから)→こうさい(光の量調整)→レンズ→網膜→視神経→脳
▼耳も同様である。
「音」(振動)情報をどのようにキャッチするか。その「からくり」をみることからである。
「からくり」の説明には古びたものであるが「模型」を用いた。
強調したのは
・音は空気の振動
・耳は振動を増幅する器官である。
・耳小骨の「てこ」のはたらき 指示棒で「てこ」の原理を
・うずまき管 満たされた液
・神経→脳
・半規管 (バランス)簡単に  
色塗りのあいだにやはり「からくり」を繰り返した。
<つづく>
                            

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【授業】感覚器官

▼「三行レポ」にこだわる。
「これは、まずい」なと思うことがある。それは、ときどき、このblogのかきはじめにとまどうのである。書くべきことがなくてなくてでなく、「あれも書いておきたい」「これも記録」しておかなければ、とちょっと欲張りになってしまうのである。そうすると、逆に書きにくくなってしまうのである。
こんなとき、自分に言い聞かす。『原点にもどれ』と
▼授業報告を続ける。「地球カレンダー」「頭骨標本」とつづけさまに、インパクトあると教材で、生徒たちに伝えようとしていることがある。
それはなにか。何度も何度も自問しながら、授業をすすめる。
逆に考えたほうがいいかも知れない、引き出したいのは
・『へえー』そうなんや、面白いな。
・へー、きれいやな。
・なんで、そうなんやろ。
・知らなかった、うまいことできとるな。
・もっと、そのこと知りたいな。
 等の言葉。
教育とは「引き出す」だと定義づけるなら、その営みの最高の場は「授業」であろう。
どこまでこんな言葉を引き出すことが引き出すことができるだろう。
さあ、拙くても、失敗の連続であってもいい。 あくなき「挑戦」である。
▼今回は、情報をキャッチする感覚器官である。
まず目だ。上記の言葉を引きださんとして準備したのは
●虫メガネ、凸レンズ
●「ぬり絵」(目、耳、鼻、舌、皮膚)
生徒から、感動を引き出そうとするなら、まずもって教師自身が感動するものを持ち込まねばならない。
教材の第一鉄則だろう。
私には、ずっと「ピンホール・カメラ」の感動がある。その延長線上に「レンズ」がある。
教室全体を「ピンホール・カメラ」にして外の風景が映ったときの感動は、理科教師としての「原点」がそこにある。
ピンホールに「レンズ」をもっていった、風景はくっきりとした。そのときから「レンズ」は光をあつめる道具という認識が生まれた。
 その「レンズ」が目に組み込まれている。やっばりそれは教えなければ、繰り返しになってもいい、何度も感動できる事実だ。
 凸レンズ、虫眼鏡をくばり、窓・そとの風景を手元のノート・下敷き等をスクリーンにして映してみるところからはじめた。                                      <つづく>

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「ぬり絵」の教授学

 校庭を歩いていると、あきらかに変化してきたことに気づく、校庭の樹木が色づいてきているのである。それは、視覚的な変化、さらにもっと「ちがってきたな」ということがある。それは、匂いである、あの金木犀の甘い濃い香りから、それは少し薄められたような、もう少し軽いにおいである。「銀木犀」である。ギンモクセイからの香りが、校庭・校舎を包んでいるのである。
 「匂い」は、分子である。その分子が鼻に入る、水にとけるという「化学変化」をきたし刺激する。それを「匂い」と認識する。ならば、「金木犀の匂いの分子」と「銀木犀の匂いの分子」がちがったかたちをしているのだろうか。
微妙な匂いのちがいは、どこまでが同じ、どこがちがうのだろう。
 なんて、くだらないことを考えながら、雨上がりの校庭を歩いてみた。
▼授業「動物の世界」をいそぐ、次の授業は、『感覚器官』である。
頭骨標本の有効性のりくつからいくと、このあたりでも「ホンモノ」でとおしたいところである。例えば、牛の目玉を持ち込むとか。そんなことに挑戦したこともある。
 ここでは、そこまでのゆとりはない、理科室に古びた目、耳の模型がある。今回は、それで我慢しようそのかわり、ちょっとだけ工夫してみよう。
▼それは「ぬり絵」だ。
これまでにもやってきて、これはけっこういけるという感触をもっている。元にしているネタ本がある。
Dscf6869■カラースケッチ解剖学 (監訳)嶋井和世 廣川書店である。
医学部・薬学部の学生さんや看護士をめざす学生さんが使っている本です。今は、第三版が出ているようです。
私は、第一版と第三版ともっています。
 いわば専門書ですね。その方がいいですね。ある面「わかりやすい」です。
 ぬり絵をやりながら、そのつくり、部位の名称をおぼえていこうというのです。
▼色鉛筆で「ぬり絵」をしながら、学習をすすめる。そんな手法が有効だったとおもうところは、これまでやってきて中学校理科では、2箇所ある。
 ひとつは、「大地の動きをさぐる」の学習である。「山地と平地」を色分けしなが「ぬり絵」をやっていくことからはじめて、地質図の「ぬり絵」でみえてくる「大地のなりたち」。昔からやられてきた学習の手法だ。
 もうひとつがこれからやろうとする「人のからだのつくりとはたらき」の学習である。
ここでも、この「ぬり絵」という一見原始的とも思えるこの認識方法がけっこう有効なのではないかと思っている。
Webの時代だ。ビジュアルなものを求めるもっと有効な手法があるのかも知れない。
 しかし、そんな時代だからこそ、あえてアナログ認識の教授学の可能性をさぐるのも意味あることかも知れない。

Dscf6862▼色づく秋の風景をあわせて、事物の「ぬり絵」をはじめてみよう。
 一昨日、自分でもやりながらと、あらたに「色鉛筆」新調した。「ぬり絵」からなにが見えてくるかな。o(^o^)o ワクワク

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「頭骨」コレクションの思い出-3

Dscf6850 昨日は「体育の日」、秋祭りを含む三連休の最後の日。いくつかの「仕事」つもりつつあるのでかたづけに行った。「仕事」を終えて駐車場に出た、ふっと空を見た。
 なんだ、この箒で掃かれた跡のような雲は、別段特別変わった「雲のかお」ではないだろうが。なんかへーと思ってしまった。誰か箒で掃いた主がいるはず、その正体がみたくて「きょうの天気のツボ」をみる。なるほど、こいつだ、西から「高気圧」が犯人だ、秋晴れを「ぐずつき空」にかえようとしているのは。
その前兆として雲を掃いているのかな。武田康男さんの365日「雲のかお」の写真を見ていると、似たようなものはあっても、どれひとつとして同じものはない、当たり前のこと。刻々と大気は動いている。人の感情と同じように、だからちがった「かお」を見せてくれているのだ。アタリマエだが、なんだか感動してしまった。
 どこにも出かけることのなかった連休だが、最後に「雲のかお」が、私に「センス・オブ・ワンダー」をプレゼントしてくれた。
Dscf6762▼もう少しだけ「頭骨」コレクションの思い出をつづける。「イノシシ学会」からもう少し後のことかな、重なっているときでもあるのかな。【理科の部屋】(93.11.23)がスタートしていた。頭骨標本づくりのことが話題となった。あたり前のことだ。こんなインパクトのあるすぐれた「教材」を話題にしないことはないだろう。
 私は、その少し前から、「頭骨」コレクションのひとつとして、「ミンク」を手に入れていた。これは大先輩の先生の息子さんが北海道におられて、ミンクを飼育されていて、その「つて」からであった。ありがたかった、肉食動物の典型の頭骨が大量に手に入ったのだ。しかし、そのルートもやがてとぎれていた。
Dscf6766
  北海道の青野裕幸さんに話をもちかけてみた。ミンクの頭骨をみせながら「これがミンクです。なかなかいいでしょ、北海道にこの飼育場があったはず」と。超アクティブな青野さんは、こんな話をのがすはずはなかった。
飼育場をみつけるだけでなく、全国にその「おすそ分け」をしてくださったんです。
 このあたりくわしくは、『私の【理科の部屋】活用法』に書いておられましたね。96年のことですか。
▼先日、別の件で検索をしていたら、たまたま「頭骨標本づくり」のページをみつけました。それを見ていると、このミンクの頭骨標本のことが記載されていました。なんと驚いたことに、ミンクだけでなく、「頭骨の歯などが散逸しないようにパンティストッキングに入れて炊く」という兵庫方式まで登場するのです。どこまでひろがったのだろう、とあらためて驚き、感動しました。
いずれしても、この「ミンク」頭骨は、私にとってはコレクションのなかでも思い出深いモノのひとつです。

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【Web更新10/12】【動物の世界】更新

Dscf6670
校庭の 甘くつつみて 金木犀
08/10/9 (木)撮影@安富

楠田純一の【理科の部屋】の週末定例更新のお知らせ
 一週間の時間が流れた。最近は、この「時間」というものを意識するようになった。整理学の最後のターゲットは「時間」であろう。私たちは、簡単に「時空を超えて」とかいうが、空間はなんとか方法がありそうな気がするが、時間だけは、やっぱり超えることのできないものなかも知れない。
 この一週間の時間の流れのなかで、なにが起こり何を思ったか、「週記」を更新というかたちで報告する。

◆表紙画像2008 校庭の樹木シリーズ 金木犀
 校舎、校庭をあの甘い匂いがやわらかにつつむそんな季節がきた。最初は、どこからこの匂いがやってくるのか、その発信地を探索しようとした。しかし、やがてどこにいてもこの甘い香りがただようようになってきた。それは秋の校庭の風景にこびりついてしまったようだ。体育館の前には、りっぱな金木犀、銀木犀が対になって植わっている。かなり贅沢である。それだけではない、校舎西南には、銀木犀が、10本ちかく、列をなして佇立する。銀木犀は、その盛りは少し遅れるようだ。
 誰のどんな思いが、こんな校庭をデザインしたのだろう。校庭の樹木シリーズをやりだして気づき出したことだが、校庭の樹木には、いろんな人の「思い」が込められている。校庭に記念樹というのも、その典型である。
 金木犀、銀木犀並木にはどんな思いが込められているのだろう。少し遅れて銀木犀からのメッセージを表紙に貼り付けたい。
 
◆【動物の世界】更新
 先週一週間は、「動物」三昧の一週間であった。そのblogを、【動物の授業】授業DBにはりつけてみた。それだけの更新である。
 このblogで授業実践を綴ることに関して、非常に興味深い文章をこの週末に読んだ。【理科の部屋】にも書いたが、あまりに興味深いので、こちらにもあげておく。
 それは、故高橋金三郎先生が、50年近く前に書かれた文章である。
「理科教師の仕事」(『授業と科学』高橋金三郎著 むぎ書房1973)と題された文章の最後に、「教師が高いレベルの知識を身につけるためには」3つのことが必要であると提言されている。
その2つ目である。

 第二には、実践記録を公にすることだと思う。「綴り方教育」の伝統を生かして、子ども自身の言葉で(変な解釈をつけずに)、現実の授業がどう動いているのかを明らかにしてほしい。失敗の記録でもさしつかえないだろう。
 一人でいやなら、3行記録を集団で出してもよいのではないか。たくさんの子どもの作文で、文集の発行に精魂を傾けている「作文教師」はたくさんいる。しかし、肝心の教師自身の生活の記録が、さっぱりないのはどうしてだろう。アタリマエの平凡な教師が3行記録をいっぱい出せば、どの地方でも共通して同じ単元で失敗していることがわかるだろう。(P34 『授業と科学』高橋金三郎著 より)

どうだろう。私には、これが今日の「blogのすすめ」に読めてしかたない。私の拙い授業を記録している理由を説明してもらったようで、「よし続けていこう」と勇気をもらった気分です。
今週も、いっぱい失敗を繰り返しながら、授業を綴りつづけようと思う。

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「頭骨」コレクションの思い出-2

私たちは、自然の流れの前に跪く以外にそして生命のありようを記述すること以外に、なすすべはないのである。それは実のところ、あの少年の日々からずっと自明のことだったのだ。

 これは、あの名著『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一著 講談社)のエピローグの結びの一文である。
この一文になぞって言うならば
私たちは、「生命のありよう」を記述する以外に、感動することができる。
それは、現代進行形の「生命の営み」に対してはもちろんのこと、「生命の営み」の跡を残したものについても同様である。そのひとつが「頭骨」である。
「(゚o゚)ゲッ!! うまいことできとるな」
「なんとも みごとやな」
「美しい!!」    と。
「頭骨」は、「生命の営み」への感動を呼び覚ましてくれるすぐれた「教材」なのである。
Dscf6776▼私の「頭骨」コレクションの思い出をつづける。
ひとりでは、なかなか勇気のいる「頭骨標本づくり」を、仲間と一緒にやっていた時期がある。それが「イノシシ学会」である。今から考えると、みごとなネーミングである。猪鍋をつつきながら、理科の授業のこと・教材のことを語り合い、学び合う。それと同時進行で、外では用意された大鍋で、イノシシ、鹿、クマなどの頭骨をグツグツと炊くのである。それは、夜を徹して行われた。火の当番はかわり番子。
 一夜あけてみれば、そこにはよく「煮込まれたお宝」があった。ここまで、煮込むと肉もはがれやすくなっている。
お宝の山である。誰もがお目当てがある。しかし、それは限られている、だからそれは「くじ引き」だ。うまく「お目当て」があたるときもあるし、そうでないこともある。
Dscf6756▼そこからが、また仕事である。肉をはがす作業である。たわし、歯ブラシ、爪楊枝、ピンセット、割り箸等々いろいろな小道具をつかいながらワイワイと言いながら剥がしていくのである。その作業は、私たちにとって「観察」のときであり、「教材研究」の時間でもあった。
誰もが異口同音に「感動」の言葉が発せられる。
「へー、そうなん。うまいことできとるな」「きれいに出来てるな」「この軟骨が働きが…」
一般には、「草食」の肉は剥がれにくい。そんなこともやっているなかでわかってくること。
▼あれから、ずいぶんと歳月が流れた。
あの「頭骨」たちは、今、どこの授業で「生きかえっている」のだろうか。
今も、多くの子どもたちに「生命の営み」の感動を与えるのに一役かっているだろうか。

さっき、外に出たら、オリオン近くに流れ星をみた。

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【授業】草食動物と肉食動物

▼「秋祭りだ!!」ああ、それなのに雨がふっている。
なんでだ。どうか御輿がでるまでにやんでほしいものである。
晴れの特異日は、10月10日。昨日だったのかな。統計学的な問題かも知れないが、大気は全くのランダムにうごいているのでは、そんな日があってもおかしくない。
そんなこと思っていると、雨がやみだした。「きょうの天気のツボ」をみた。大丈夫だろう。
▼授業の報告をつづける。
「地球カレンダー」の余韻が残っている。授業そのものとしては、そんなにうまくいっているわけではない。
もっと、もっと発問の工夫も必要である。とまどいもある。
授業の前に、前回の「地球カレンダー」の感想をもらった。
『私はこの勉強するまでは恐竜なんかいないと思っていたけど、本当にいたということが、理科の授業をしてわかりました。勉強をしていくうちに、魚類は何からできたんだろう?どうやって進化していったんだろうと疑問に思うことがいっぱいでてきました。今の勉強がすごくおもしろいです。』
単純なものです。
こんなのもらうと俄然と元気づくですよね。よーし頑張るぞと。
▼『草食動物と肉食動物』である。
ここでも、またまた
動物の不思議・謎解きの第一方程式「食べる」
である。
「草(植物)を食べるのか、他の動物の肉を食べるのかで、どんなふうにからだのつくり、くらしがちがうのか」見ていきます。
と表にまとめていく。
▼まず、表にあげた項目は
(1)仲間
(2)歯
(3)目の付き方
(4)足
(5)走り方
(6)その他
仲間は、思いつくところからあげる。歯の話がはじまったころに、
「今日は、みんなにぜひ見せたいものがある」と
「頭骨」コレクションの登場である。まずは、「ミニライオン」=ネコである。
これをどのようにつくったかを話す。これにまつわるエピソードを話す。
なんかピンとこないふうである。質問があいつぐ、
「えっ?(゚_。)?(。_゚)?、つくるってどういうこと」
「それ、あそこのネコけ!?」
(通学路で最近、事故で死んでいるネコがいたようである。その話題ひとしきり、生徒たちは、このような見かける屍に敏感に反応している。)
この頭骨が教えてくれることを真剣に語る。
真剣に語れば、真剣に聞いてくれる、あたりまえのこと。
Dscf6690▼具体的に表に書き込みながらである。まず「歯」の問題である。これが、「犬歯」と…。
なぜ、この歯が発達するのか、かんぱついれずに即答である。
それでは、この歯の名の元になっている動物を見せようと
「イヌ」をみせる。これについても手に入れまでエピソードを話す。
みごとな犬歯に納得である。
小さな箱にに入れ、ミニライオン、イヌの頭骨をまわす。大事そうに手にとって見入っている。
Dscf6714
それに対して、草食動物である。
「牛の頭骨」づくりの話をする。
「残念ながら、それは今 手元にない。しかし、歯だけは持ってきたので…」
と「臼歯」をみせる。「草をこのようにすりつぶす」と。
百聞は一見にしかず。実際に手にとってみればすぐわかる。これも説明の後は、回した。
▼でも、草食の典型の頭骨がないのは寂しい。ここでは「ウサギ」をみせた。
Dscf6743これも、「頭骨」コレクションにはまっているころ、生徒の家庭から提供されたもの、実際に大切に家で飼っていたが、死んでしまっので、「勉強に役立つのなら、ウサギの供養にもなる」とお母さんが連絡をくださったのだ。そんな話をしながら、ウサギを見せる。
最初、「それ鳥 (・_・)......ン?」と生徒がいうほど、鳥のくちばしのように「門歯」の発達が顕著であるのである。
▼目の付き方については、くらしと関連付け、実際の頭骨をみれば歴然としている。後の走り方や、足については「お話」にとどめた。表をうめるのと並行して、どんどん「頭骨」コレクションを見せた。
見せたものは、クマ、イノシシ、ブタ、そしてあの「ミンク」と。
前にならべておいて、「ぜひてにとって見てほしい」と授業を終えた。
授業が終わったあと、前に来て
「土にうめとっただけでも、骨になるんやな」
「うちの畑に、鹿の骨あるで…」
「なんの骨かわかれへんけど、○○に落ちとったで」
等々、骨談義をつづけていた。(^o^)
そう言えば、ここのところ通勤路で鹿が交通事故にあっているのによく遭遇するなあ。


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「頭骨」コレクションの思い出-1

▼ノーベル賞受賞で、沸き立つ日本列島。その熱が、日本列島を暑くさせているいるのかと思うぐらい、夏の暑さがもどってきた。でも空みあげればわかる。まちがいなく、秋なのである。
朝の学校での定例散歩で、甘い独特のにおいの震源地を発見した。ここのところ、校舎の外にでたら、この香りに「ああ、この季節なんだ」と感じさせられていた「金木犀」である。どこから、来るのかさがしていた。そしたら、みごとな樹が一本、体育館の前にたっていた。と職員室で話していたら、ここには「銀木犀」もある教えてもらった。
▼昨日の放課後は、久しぶりに「これ」にはまってしまった。「これ」とは頭骨標本である。教科書の順番では、次は「草食動物と肉食動物」の授業である。
 私の理科教師の歴史(ちょっとオーバーな表現かな(^^ゞポリポリ)のなかで、初期の段階から思い入れのもっとも深かった教材。それが「頭骨標本」なのかも知れない。
 長いあいだ、それを使うこともなかった。人にかしたり、理科室に置いてきたりして、そのころ夢中になった「頭骨」の多くは、散逸してしまった。でも、どうしても手放せなかって手元に置いておいたものもある。
しかし、それも、無造作に段ボール箱にほりこんだままにしていた。
「貸して欲しい」という依頼を受けたこともあるが、『「整理」ができていなくて、すぐに出てこないんです。』
とお断りしたこともある。すみません<(_ _)>
▼その思い出深い頭骨を少しこの機会に「整理」しようと学校へもっていっていた。その「整理」をはじめたのである。ずいぶんと昔のことであるが、あることがきっかけで、手づくりの「牛の頭骨標本」を見せてもらったことがある。それは、写真や図面にないド迫力があった。
 そんなものが、手づくりであるという、自分でもつくれると教えてもらった。そこで、市川の川原でドラム缶で牛の頭を炊いたりして、「頭骨標本づくり」に凝っていった。時には生徒たちも巻き込んでいった。あまり面白そうに言うものだから、一緒にやってくれる生徒たちが出てきていたのである。
Dscf6736▼ホンモノがもつ迫力はすごい。説得力がある。「動物の世界」の授業で、手づくり「牛の頭骨」を教室に持ち込むことで、このことに気づきはじめた。そのころ、ぜひとも「肉食動物」の頭骨標本がぜひほしいと思いはじめていた。
不思議なものである。求め続けると「教材」は向こうからやってくるのである。
交通事故で死んでいるネコの死体が手に入ったのである。ちょっと勇気がいった。でも、それは「教材」としての価値を思うと、なんとかやりとげたいと思った。一夏かけて、ネコの全身骨格の標本をつくった。
頭骨だけでなく、全身骨格は、すごい迫力であった、肉食動物の「生活」をよく表していた。これは、自慢の「教材」となった。何度もつかい、貸し出したりもしているうちに、全身骨格はバラバラになっていた。そして長いあいだ使わないあいだに、頭骨すらも不完全なものだけになってしまった。(^_^;)
Dscf6739私は、そいつを「ミニライオン」とよんできた。不完全なものになっても、その「ミニライオン」としての姿をとどめている。可能なかぎりの修復をして、今日の授業で再デビューをさせる。 

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【授業】動物の進化-2

▼なんということだ。ビッグニュースが流れている。あいついで日本人のノーベル賞受賞者が出ている。直接な関係もないし、以前からその「研究」に興味関心があったわけではないのになぜか、急に「身内意識」がうまれたりするから不思議だ。そして、ワクワクした気分になる。(^o^)
 受賞された先生方にお願いがある。ぜひとも、この機会に、不思議・謎解きの面白さを、「研究」の楽しさをできるだけ、等身大に語ってほしい。それが、今を生きる多くの人への最高の「おすそ分け」になる。
とりわけ、未来を生きる子どもたちにとっては、説得力のある「学問のすすめ」になるはずである。
ほんとうの「学び」は、「学び合い」にあることを語りはじめてくださっているのもありがたい。さすがだ\(^o^)/
▼授業「動物の進化」面白いはずにしていた。しかし、自分の力量のなさに、ちょっとしょげていた。それでも、今日はちがうクラスでリベンジした。
 「地球カレンダー」の書籍の方に目を通し、再度頭の中を整理して、授業をしてみる。
 今度は、教科書の「地球カレンダー」には目を通さずに、「進化」という用語の確認からはじめる。
地球誕生の話、生命誕生のはなしのところで、少しだけノーベル賞にふれて、不思議はまだまだいっぱいある。謎解きも今はじまったところと、ちょっと脱線しかける。(^^ゞポリポリ
今回は、一挙に「生命誕生」「魚類」「両生類」「は虫類」「ほ乳類」「鳥類」の出現まで、カレンダーで一挙にチェックする。あいだにシーラカンスをいれたりはしたが。
▼ちょっと「たいくつ」という様子もみられる。
なかなか難しい。やっぱりもっともっと「発問」を工夫して、興味をうまく集中・継続させる必要がある。
ほんと、授業が「平面的」になってしまっている。
せっかくの教材をうまくいかれせる授業を考えたい。でも、この私は授業はもうゆらない。
最初に、少していねいになりすぎたようである。一時間でまとめあげるつもりでいたところ、少し時間がたらなくなってしまった。(^_^;)
 肝心のところが残ってしまった。
▼どんな、展開の工夫があるだろう。もうここをやることないだろが、発問の工夫、ネタの見せ方、説明の仕方等の授業スキルをもっともっとたかめていきたい。
不思議・謎解きが面白いと思える生徒をもっともっと育てるためにも。 p(^^)qガンバッテ!

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【授業】動物の進化

▼届けたい「知」がある。ほんとうに届けたいものは、そんなにたくさんない。しかし、それを確実に届けたい、できるだけ感動的に、ビィビィドなものとして、受け取った側のより意欲的な「学び」を誘発するものとして届けたい。
そのためのいんな方法が研究されてきた。私も、それなりに「挑戦」をしてきたつもりである。そんな学問も形成されてきた、その一般的なものが「教授学」だろうか。
 その「研究」も、絶え間なく今日も続いているのだろう。全国いたるところの「教室」で…。
▼授業とは、この「知」を届ける営みの最たるものである。この授業で、生徒たちに届けたいものとは、どんなことなんだろう。自問自答してから、教室に入る。しかし、いつも頭の中が「整理」できているわけではない、ぼんやりとした解答しかなく、教室に入ってしまうこともある。あとは、その場で生徒たちとともにその「知」にせまっていくしかない。混沌を抱えたまま…。
▼今回もち込んだネタは、「地球カレンダー」である。 あらかじめ作者のBANYUUさんにメールをだして、授業で使わせていただく許可を得た。ありがたいことである。多くの深いメッセージが込められたこの「教材」をどのように使うか。
はじめての「挑戦」である。
準備したのは、「2008年のカレンダー」のコピー(システム手帳のカレンダーをB5版にコピーして印刷した。後で気づいたが今年は「うるう年」(^_^;) まあ、今年の方がなじみがあっていいかなという程度の選択。)
実は、教科書にも、地質時代の学習のところで、このカレンダーにふれた記述がある。今回もそこを手がかりにはじめた。
●最初の生物の出現 35億年前 … 3月29日
この「生命のリレー」はスタートをきった。ここは淡々カレンダーにチェックする。
「では、前の時間勉強した、セキツイ動物の最初、魚類出現したはいつごろ?」
月で予想してみる。このとき、あらかじめ教科書をひらいて見せてしまったのが失敗だったと思ったが、知らぬふりをして、月で予想してみる。さっそく、教科書を見て、気づいた生徒もいるようだった。
それでも早い月では、7月ぐらいから2~3名が手をあげだした。やっぱり10月、11月ぐらいに予想は集中した。
●魚類の出現 5億年より少し前 … 11月20日
これも、カレンダーにチェックする。
▼さらに「それでは、やがて魚類が陸上へあがってきて両生類になったのはいつごろだろう」
Dscf6613
●魚類から両生類へ 4億1000万年前 …11月29日    
ここで、「ではどのようにして、魚類が両生類に進化してきたのだろう」と、教科書の写真「肺魚」「シーラカンス」
を見せる。
 そして、とっておきの我が「コレクション」、シーラカンスの魚拓(実物大)を見せる。
「えっ、そんなに大きいん」
「ヒレが分厚いな」
等々が出てくる。私の身体も少し魚拓に沿わせるようにして横にしてみる。体長も、体重も私よりもひとまわり、ふたまわり上である。(^_^;)
ヒレの肉、尾びれ→尻尾にふれる。陸上生活への準備を考えさせた。

続ける
●ハ虫類の出現 3億5000万年前 …  12月3日

●恐竜時代  2億2800万年前~6500万年前 12月13日~12月26日   
恐竜のポスターみせる。

●ホ乳類の出現  2億8000万年前 … 12月13日
●鳥類の出現               … 12月19日
 「始祖鳥」にふれたいが時間がない。

▼ そして、ほんとうに教えたいのここは、ここなのかも知れない。届けたい「知」とはここかも知れない。
「いちばん教えたいことは、言わない」という鉄則がある。そうしようと思うが、ついつい興奮してしまう。
いくらかは言ってしまっている自分に気づく。(^^ゞポリポリ
●最初の猿人   700万年前         12月31日 午前10時40分
●ホモ・サピエンス  20万年前         12月31日 午後11時37分
○農耕牧畜
○キリスト降誕  
○ルネッサンス
○20世紀はじまりおわる 21世紀はじまる  

私たちが「歴史」と思っていることなど、すべて「除夜の鐘」がなりだしてのこと。

▼「お話」だけでは、「知」は脳に錨をおろし、蓄積することはないだろう。せめてもの「作業」として、カレンダー日付をチェックするだけでなく。生命誕生~古生代(青)、古生代(茶)、中生代(緑)、新生代(黄)に「ぬりえ」をした。そして、最後にこの「地球カレンダー」をどう受け取ったのだろう。宿題をだした。
「地球カレンダーを学習して」と題した感想文用紙をくばって終わりとした。

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【授業】セキツイ動物の分類(2)

▼今さらのごとく言うが、「授業」とは、まったく面白いものである。すべて、準備万端整えたから「成功」するというものでもない。でも、準備が整っていなければ、こちら側に「ゆとり」というものがないから、その場での「発見」も期待できない。
 すごい、教材があるから、かならずや生徒たちがのってくるわけでもない。やっぱりそのときにいちばんふさわしい教材があって、そして、それに出会ったときこそ、生徒たちが「発見」するものがある。
 では、そのいちばんふさわしい教材はなにか。それを研究するのが「教材研究」。
▼一般的にすぐれた教材というものについては、「私の教材論」「私の教材論・授業論」で繰り返し語ってきた。しかし、わかったつもりになっていただけである。
教材にも、不易流行がある。
 今、これまでにも何度も繰り返し確認してきた
●自然は最高の教科書
●生徒は最高の指導書

を思い出す。
▼授業の報告にもどる。ここは「セキツイ動物の分類」2時間目である。
前回の授業のあとに、発見された「イモリのミイラ」と会議室の清掃でみつけた「ヤモリ」君を持ち込む。
前回見せた、サメの歯、カメの甲羅の手製標本も同時に持ち込む。
横には、5つのセキツイ動物(魚類、両生類、は虫類、鳥類、ほ乳類)、縦には7つの項目がとれる大きな(見開き2ページ)表を書かせながら、その表をうめながら授業をすすめる。
▼表のいちばん目の項目は、「仲間」
2番目が「生活場所」
3番目が「仲間のふやし方」
4番目が「呼吸の方法」
5番目が「体温」
6番目が「体表(皮フ)」
7番目は、次の授業のためにあけておく、進化をやりながら、いつごろ地球上に出現したかを書き込む。
 教科書も参照しながら、しゃべくりの一斉授業である。
それぞれ項目で、ぜひ教えたいことがある。かつては何時間もかけてやったことを、短時間にコンパクトにまとめてしゃべくりまくる。
 生徒たちの方が不朽教材「ペンギン」「クジラ」「イルカ」「カモノハシ」等を出してくれているにもかかわらずである。
うーん。授業はむつかしい、でも面白い。

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【Web更新10/5】【動物の世界】更新!

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 ときちかし 慈しみ受け 旅立たん
 08/10/02 (木)撮影@安富

楠田 純一の【理科の部屋】 週末定例更新のお知らせ

 けっして、すばやくというわけではないが、ホームページビルダー12の方の使い方にも慣れてきて、ある程度、思い通りに定例的に更新していけるのはありがたい。この【Web更新】は、「日記」が日々の記録であるのに対して、一週間の記録である「週記」に相当するものである。
 ほとんどの更新内容は、このblogを、Webページにリンクするということで行っている。日々の「蓄積」が、そのまま一週間の「更新」になっているのである。この作業は自然と一週間を鳥瞰し、次なる一週間を計画することにつながる。わたしとっては楽しみな作業である。

表紙画像2008 校庭の樹木シリーズ ドングリ
Dscf3011 この「ドングリ」は、実は75日ばかり前、ちょうど夏休み前
 『おまえもや 大きく実れ セミの声
  08/07/18 (金)撮影@安富 』
と表紙にしたものと同じものなんである。こんなにも、ドングリがながきにわたって、慈しみを受けて育つものとは知らなかった。秋に実のるから、そのときに出来て、すぐに「ドングリ」として樹から旅立つのかと思っていた。たっぷりと「お弁当」を持たせてもらうのである。それを横取りする動物たちにとっては、それだけ栄養たっぷりのご馳走になるのだな。我々のご先祖さまもそうしてきた。
 「ドングリ コロコロ」と旅立つのいつなんだろう。もう間近かな、ひょっとしたらもっともっと先なのかな。しばらくのあいだは、注意ぶかく見守ってやろう。

【動物の世界】更新!!
 これは、更新と言っても、前の実践DBでは、目次をあげているのみで、そのコンテンツは記録していない。
従って、これが中味的には「はじめて」になるのかも知れない。Webに「記録」を残していないが、若いころにはいちばん好きな単元であった。生徒たちと一緒になって楽しく学んでいた単元である。楽しい「記憶」だけは残っている。今回は、時間的制約のあるなかで、どんな展開になるか、どこまで楽しめるか、自分でも「挑戦」である。

ヒガンバナ情報2008 更新
 ヒガンバナが花の時期から、葉の時期に移行しようとしている。葉と花が一緒に観察できる今こそ、「絶好機」とも言える。いろんな観察情報が、「日本ヒガンバナ学会」に入ってくるといいな。

次の一週間の「週記」は、どんなことを書き込むだろう。自分でも楽しみである。では…。


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生物の進化で何を教えるのか

Dscf6575▼不思議なもので、その気になると「教材」というものは、あちらから寄ってくるのである。「イモリのミイラ」を生徒が持ってきてくれたと思ったら、今度は「ヤモリ」である。一昨日、お客さんがあるというので、用務員さんと一緒にそうじをしていた。そしたら、用務員さんが「トカゲみたいのがおる」とおっしゃるので、(゚o゚)ゲッ!!と思いながらも、それはおあつらい向けでは、さっそく捕獲した。入れるものがないので、とりあえずペットボトルの容器に入れた。これなら、生徒たちにまわして観察するのにいいかもしれない。
 しかし、次の授業まで時間がある。それまでは飼っておく必要がある。ペットボトルに入れたまま持ち帰った。寒くなってきているせいもあるだろうが、だんだん動きがにぶくなっている。
それから
●動物の不思議・謎解きの第一方程式「食べる」
である。エサがないのである。夏場なら虫はいっぱいいるが、今はさがすのもたいへん、なんか今朝も弱ってきている感じだ。なんとかしなければ…。
▼授業「セキツイ動物の分類」の次には「動物の進化」をやろうと思う。一時間にまとめてやるつもりだ、以前ならば、スライドを見せたりして、かなり時間をかけてやっていたところだが、今回は一時間につめてやろうと思う。
例の「地球カレンダー」をやってみようと思う。
 我々の生命は、いつはじまり、どこから来たのだろう。どこへ行くのだろう。
▼「進化」とは、教科書ではこう説明している。
 「生物が、長い年月の間にしだいに変化し、さまざまな、なかまに分かれていくこと」。
ここでもこの「長い年月」というのがクセモノである。この時間のスケールがなかなか認識しにくいのである。
だから、一年のカレンダーにしてみるという試みがうまれた。
私は、今のところ、もうひとつメジャーを持っていて、46億年を4.6mにして視覚にうったえてというのも考えている。一時間でほおばるかな。
ところで、この「生物の進化」でなにを教えればいいのだろう。
・生物(生命)の多様性
・生命の連続性
・進化の事実
・人間のすばらしさ
・人間の傲慢さへの戒め
・これからの環境教育
・生命の大切さ

なんだろう。
発想をかえてみよう。ここから生徒たちは何を学ぶだろう。聞いてみたいものだ。
新しい学習指導要領では、「進化」どのようにあつかっているのだろう。

エ 生物の変遷と進化
(ア) 生物の変遷と進化
 現存の生物や化石の比較などを基に,現存の生物は過去の生物が変化して生じてきたものであることを体のつくりと関連付けてとらえること

さらには、扱いについて
オ エの(ア)については,進化の証拠とされる事柄や進化の具体例について取り上げること。その際,生物にはその生息環境での生活に都合のよい特徴が見られることにも触れること。

としている。
 項をもうけていることより、現行よりは時間をかけてやれそうである。
内容については、「具体的」に「進化」の事実を認識させるということであろうか。
これから、どんな授業を創り出されるだろう。楽しみでもある。

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ヒガンバナ観察は、今こそ

Dscf6456▼ヒガンバナの月。それは9月。ほんとうにそうだろうか。
秋のお彼岸にきっちりと、開花したヒガンバナは、どこで、どのようににして季節を読んでいる。不思議であるし、みごとであるとしか言いようのない。そしてたら、もうヒガンバナの季節は終わったのかというと、そうではない、ヒガンバナの不思議、謎解きの観察は、今こそやるべきなのである。
 花茎がするすると一日に数㎝ものびて開花する、「あれ、葉がない…、このエネルギーはどこから」の疑問に応える観察は、花が咲いていて、なおかつ鱗茎から葉がのびてきている今こそ絶好のチャンスなんだ。
▼「動物の世界」の授業をすすめている。
そこで、今さらのごとく感動するのは、「生きている」ことのすばらしさであり、そのみごとな「からくり」である。
 まったくあらたな思考、展開で授業してやろうと、挑戦をしだす。でも、結論はいつも同じだ。それはけっしてダメなことでなく、それだけすごいことでもあるんだと思う。
 たとえば、
 ●動物の謎解きの第一方程式は「食べる」である。
これは、実は授業のたびに確認してきたことだったのだ。
いつ、何度やっても同じ「解」でるからこそ、方程式の意味があるのである。
▼では、植物の不思議・謎解きの第一方程式はなんだろう。
植物は植物であることすごさ、すばらしさは、栄養の「生産」である。独立栄養であること。
その「生産」の営みに必要な「光」と「水」。
●植物の不思議・謎解きの第一方程式は「生産」である。
●植物の不思議・謎解きの第一方程式は「光と水」である。
●植物の不思議・謎解きの第一方程式は「光合成」である。

同じ方程式の変形式である。レベルに合わせて、臨機応変に使っていこう。
この、方程式を植物「ヒガンバナ」に使ってみるとき、
繰り返していう。
  今こそ、ヒガンバナ観察の絶好期!!

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イモリのミイラ (゚o゚)ゲッ!!

Dscf6415▼十月に入っても、ヒガンバナは元気だ。定点観測地のヒガンバナは、ひょっとしたら今がいちばんの最盛期なのかも知れない。最盛期は同時に、次なるステージの幕開けを意味する。花茎の根元は、赤く染まりそして、そして次なるステージの主役=「葉」が顔を出してきている。しばらく、「ハナミズハナミズ」の例外の期間、移行期がつづくのです。一年の観察の期間でも、ほんとうの「見ごろ」なのかも知れないですね。
▼授業が本格化してくると、いろんな面白いことがおこる。いろんなことが副次的におこってくる。それが、また楽しい、副次的におこったこと、それを次の授業に持ち込む、そうすることによって、ことはさらに増幅される。
Dscf6450
 一昨日、清掃が終わったころである。男女数名の生徒が、職員室へワイワイといいながら駆け込んできた。
『先生!先生!みつけたで、みつけたで…私がみつけたんや、化石 ?(゚_。)?(。_゚)?』と。
校庭の溝近くをそうじをしていてみつけたらしい。その「化石?(゚_。)?(。_゚)?」というシロモノは、
「イモリのミイラ」であった。
ちょうどその前に、授業で「サメの歯」や「カメの骨格標本」をみせたところだったので、きっと私だったら、それを大事そうにするだろうと思って、この「発見物」を持ってきてくれたのだ。
それは、みごとだった。砂利石のひとつにこびりつくように、その「イモリ」君はミイラ化していた。溝からはい上がったとき、皮膚が乾燥してしまいこの悲劇はおこってしまったのだろう。石にこびりついたようになっているのは、尻尾が、そのときにはぬれていた。そこへ、灼熱の太陽が…。しっぽは石にはりついてしまった。
きっとこの夏の悲劇だろう。「イモリ」くんのご先祖さまも、この地球上で繰り返してきた「悲劇」。その悲劇が積み重なって、恐竜たちが出現した。
▼そんな「進化ものがたり」のネタにさせてもらおう。足もわかる。背骨もしっかりわかる。
ティシュペーパーに何重にもつつみ、フロッピーケースに入れた。私の大事なタカラモノ、コレクションのひとつ加えさせてもらう。別のクラスでは、昨日さっそくお披露目をしておいた。
昨日、第一発見者はよほど気になるらしい。「私のみつけた化石(?)はどうしたん。捨ててないやろな」と再び友だちをつれてやってきていた。
 こんなのがさらに発展して、授業から飛び出して、いっぱいいろんなものみつけてきてくれると楽しいだろうな。
▼「クマムシ」は、動物一時間目に紹介だけしたのだった。これは報告の通りである。
授業に「こんな本まであるよ」という意味で『クマムシ?!小さな怪物』を持っていっていた。以前から「クマムシ」の名前だけは知っているという生徒が、興味深げにその本を見ていたので、その本を少しのあいだだけかした。
その彼は「クマムシの研究がしてみたい」「苔なかを見ている」という。肉眼ででだ。
私もまだみてはいない。どちらがはやくほんとうに「クマムシ」をみつけることができるだろうか。o(^o^)o ワクワク

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【授業】セキツイ動物の分類(1)

▼昨日は、学校の大きな行事があった。それにも感動し、学ぶところの多いすばらしい行事であった。
そこで書いておきたいこともある。
 しかし、ここでは、『授業は最大の学校行事である』をとおしたい。私のわがままなのかも知れない。
▼またしても、ここから出発である。
●動物の謎解きの方程式は「食べる」

「動物の最大の特徴は「食べる」ことでしたね。」
これ以後、毎時間繰り返し、ここからはじめるつもりだ。
「さて、この前の授業が終わったあと、質問にきた人がいます。そのことで、思い出したんですが、大事なこと、前の時間に忘れていましたので追加しておきます。」と前置きして、
生物の特徴に「仲間をふやす」と「細胞でできている」を追加する。
ここに、ちょっと話が、発展してしまったのが、ちょっと失敗だったのかも知れない。ついつい時間をとってしまったのだ。
▼この授業のタイトルは「セキツイ動物の分類」である。
まず、背骨のあるなしで、「セキツイ動物」「無セキツイ動物」に分類する。
そして、セキツイ動物の5つの仲間の分類とその特徴をまとめる。それが、この授業の目標である。
ノート2ページを使って、大きな表をつくらせる。プリントとして時間の割愛も考えたが、この単元では実験・観察の少ないぶん、できるだけ「作業」を取り入れることにした。(別途、「ぬりえ」も考えており、色鉛筆持参の指示も出した。)
Dscf6408▼表がかけた段階で、表の一段目に「仲間たち」として、5つずつ名前をあげるところからはじめた。座席の列によって、それぞれの分担をきめた。
最初の列は、魚類である。偶然であろうか。以心伝心か、生徒が最初にあげたのが、なんと「サメ」だったのだ。
私は、この授業にふたつの「小物」を持ち込んでいた。そのひとつの「サメの口・歯」だったのである。鳥羽の水族館で手に入れたものだと思う。私のコレクションのひとつである。
 いきなり気およくして、サメ=軟骨魚類のはなしをしてしまったのである。急がねばと思ったらよけいに寄り道を…(^^ゞポリポリ
 ここで「イルカ」が出てきた瞬間、「それはちがうで、ほ乳類や…」「クジラ、イルカはちがうんや」の声。みんなえらく納得しながら、知識を披露しあっている。
▼次が、両生類。「カエル」「イモリ」「サンショウオ」…とつづく。
行き詰まったところで、出てきたやっぱり、
「イモリとヤモリ」問題。名前も、姿かたちもよく似ている。同じ仲間に考えている生徒は、今も昔もいる。
イモリ(井守)とヤモリ(守宮・家守)にふれて知ったかぶりで蘊蓄をたれた。
観察し続けたモリアオガエルについてもふれたいが、そんなことしていたらいくら時間があっても…
Dscf6409▼次がは虫類である。これまた、都合よく「カメ」を出してくれた。
そこで、もうひとつの小物「カメの甲羅」の骨格標本を見せた。
「これを見てくれ、ここにちゃんと背骨がある。まちがいなくセキツイ動物や」と。
「えっ、それほんもの」
「それ、どないしたん」
ここになれば、こっちのもの このコレクションの経緯・顛末を話さねばならない。(^o^)
ここで時間。なんというスピードだ。(^^ゞポリポリ

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【授業】動物とは-2

Dscf6392▼はやくも10月である。あの念願の「大賀池」を訪ねてから一ヶ月が経った。今年の5月17日に発芽処理をした「大賀ハス」。一粒はうまく発芽して、この夏観察しつづけた。そして、ハスのメッカ=府中も訪ねた。兄弟大賀ハスも見せてもらいに理科ハウスにも行った。そしての「大賀池」だった。まだまだ成長・開花をしていた大賀池は、一ヶ月たった今どうなっただろう。
 私の「大賀ハス」は、今なお、最後のがんばりを見せて、立った葉は、パラボラよろしく太陽に向かって広げている。少しでも多く「生産」をしょうと頑張っている。今盛りの定点ヒガンバナから、5mばかりの位置で。
▼授業「動物とは」の報告をつづける。
「生物」と「無生物」のちがいから、「生物の特徴は(・_・)......ン?」の発問に対して、生徒たちの答えのひとつ
『生物は、死ぬ』
『死んで無生物になる』 
この衝撃的な(私がまったく予想していなかったという意味で)答えのところで昨日の報告は終わっていた。
そのつぎは、
生物-植物
   -動物
と分けて、
「さっきは、動物をいっぱい書いてもらったが、その動物が、植物とちがうところ。動物の特徴とはなんだろう。
さっき書いたやつに共通することは…」
とっさにいくもの答えがかえってきた。
「うごく」
「口がある」
「目がある」(?(゚_。)?(。_゚)?あいつにあるかと不思議がむきもあるが、ここではでるものをどんどん板書した。)
「鼻がある」「足がある」「手がある」「骨がある」…。
そして、出てきた。
『食べる』ここでストップである。
これが出たときは、少しオオバーリアクションで応えた。
「これ、これや」「動物は食べるんや。これが最大の特徴やな。あんまりタンポポが食べよん見たことないやろ(笑)」
「あんまり言うて…(^o^)、そんなん」
「ここで、教科書ではどない書いてあるんか、見るで」と教科書の導入部読む。
「教科書でも書いているように、動物は、植物のように自分で栄養をつくることできひんねん、そやから、植物がつくった栄養を横取りすんねんや。それが「食べる」なんや。」
「植物がつくったやつを横取りしている動物を「食べる」こともあるな」
「ここに書いた目がある、口がある…みんな、この「食べる」ためなんや」

●動物の「謎解き」の方程式は「食べる」にある。

こんなことは、そのときは言わなかったが、いつもこちらの頭においておきたい。
▼一応、この時間のコールが見えてきたので
「ここで、もういちど、今は、生物には、「植物」と「動物」がおると言ったけど、そこのところ考えてみるで。
ここに。けったいな生物がおるねん。(ここで「変形菌」(粘菌)のプリントをくばる。これは、今年の夏に訪れた「南方熊楠記念館」でいただいたものを利用させてもらった。そこには5界説の説明、粘菌の生活サイクルの図が出ている。)こいつは、アメーバのように動いて、他の菌類を食べているかと思えば、胞子をつくって仲間をふやしたりしているねん。動物のようでもあり、植物でもあるねん。けったいなやつなんや、けったいなやつやけど、あんまりおれへんのちがう、そんぞしょそこらいっぱいおるねん。」
「勉強としては、今日やったように植物と動物を分けて考えていくけど、それはわかりやすいから、そうするだけでほんまは生物には、いろんなやつ身の回りにおるということしっておこう。くわしくは、また帰ってプリント読んでみてくれ。」
▼「時間がないので、最後にもうひとつだけ、今度はこの動物のこと話さしてくれ」
「地球最強の生物」クマムシ、宇宙でも生存可能」をプリントしてくばった。
「名前は、クマムシ」
「これ知っている人は…」
3名が手をあげる。いずれもテレビなどでみたようだ。
少し「クマムシ伝説」を話をする。そして「私がいちばん気に入っているのは、こんなすごいやつが、わりかし身近におるということや、そこらの苔のなかで今もゆっくりと動いているということや、実は私は、まだこの目でみたことがないねん、みんなの方がはやいこと、これをみることがあるかもしれへん、そしたら教えてくれな」
「まあ、こういうふうに動物の世界にも、こんなふうにいっぱいいろいろ不思議なこと、面白いことあるねんな。
次からこの動物の世界を本格的に勉強していきます。」としめくくった。
▼授業が終わったあと、2名の男子生徒が、少し真顔、てれくさくもあるような顔で前にやってきて言った。
最初は「おまえが聞けや」と譲り合っていたが…。
「先生な、さっきなここで(「生物」「無生物」のところの板書さしながら)『生物はつくられへん』言うたやろ、
そやけど、お父さんとお母さん、ボクをつくったんちがうん」と。
「うん、そうやな生命のないところから、生物つくられへん言うたな」
「ええこと言うて、くれた。そこのところくわしく話せえへんなんだものな」
(生物の特徴で「仲間をふやす」にふれなかった。)
「それ使わせてもらうわ、次の授業で…」
「まあ、最初にお父さんとお母さんの生命があって、それをきみに「つないだ」ということかな。
何にもないところから命、生物をつくったんではないな」
ひとりは、少しなっとくした顔。
もうひとりは、やっぱり腑に落ちない顔。?(゚_。)?(。_゚)?

やっぱり、授業って面白いな。今日は、どっからはじめようかな。別のクラスでもこの授業がある。
ちがった展開になるかな。

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