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新・私の教材試論(1)

Dscf6888 散歩道の木々が次々と色づき、季節のうつろいを教えてくれる。地球が太陽のまわりを一回まわってくれば、変化なく同じ「季節」がめぐってきているのだろうか。「ほんとうに同じなんだろうか?」つまらない疑問が頭をよぎる。
 同じように「見える」だけではないのだろうか。実は「同じ」なんていうことは、この世の中にひとつとしてない。少しずつ変化している。同じに見えるのは、その「変化」・「ちがい」に気づいていないだけ。
▼私のなかにずっと「こだわり」持ち続けていることがある。ながいあいだ中学校の理科教師をやってきたなかでの「こだわり」である。その「こだわり」も、変化し続けている。私自身は同じだと思っているが、それは変化してきているということもあるだろう。それを、ここで書きとめておきたい。
 blogに書きとめておけば、「蓄積」「公開」「発見」「再発見」等々が、同時におこなえるだろう。
では、その「こだわり」とはなにか。
それは「教材」についてである。
授業づくりの中心になる「教材」。授業そのものの成否を決定づける「教材」。
教師の世界観・自然観の表れでもある「教材」。
▼私はこれまで、何度か、この「教材」にこだわって、その時点での自分の考えをまとめてきた。
ひとつは、
■連載『私の教材論』(1)~(10)
である。これは、それまでの20年近く中学校の理科の授業をやっていくなかで、「すぐれた教材」はこれだと思ったことをまとめたものである。我田引水なるが、今なお、有効なものもいっぱいあると思っている。
若干の追加・修正もしたいところも出てきた。

 次は、先の論考を下敷きにして、理科教師の講座で話をする機会があったのでWebぺージ化した
■新「私の教材論」(03版)
である。
 具体的にWebで公開しているものにリンクして展開している。

ちょっと角度を変えて、「教材史」注目して、教材を語ろうとしたこともある。
■新シリーズ【教材を追う】
この作業も途中になってしまっている。
「クリップモーター」「ピンポール・カメラ」など、ぜひともやってみたいものはいっぱいある。

▼いろんな試みをしたいと思いながらも、しばらく自分で直接授業をすることから少し離れていた。今年度から本格的に授業を再度やりだしてみて、「やっぱり、学校は授業だ」「授業は教材だ」と再認識している。
 最近、故高橋金三郎先生の50年近く前の「教材」に関する文章に接する機会があった。なんとも、今日的な提言であるか、といつものように驚いた。

誰でもできる教師の第三の仕事は、ガラクタ教材を教えないということ、つまり基本的な事実法則の学習に役立たない教材はオミットするということではないだろうか。教科書内のすべてを教えている教師は実存していない。かりに教えたと教師が空想しても、子どもはいっこう教わっていないのである。できもしないことをできるように錯覚するのはやめよう。主観的に加減していた教材の取りあげ方を、「基本法則」の学習に役立つかどうかの視点で整理してはいけないものだろうか。」(『授業と科学』(高橋金三郎著 むぎ書房 1973)P34より)

■『授業と科学』(高橋金三郎著 むぎ書房 1973)に「理科教師の仕事」と題された文章の最後に「3つの仕事」を提言されている。その第三番目である。

 ちょうど、新学習指導要領も発表になり、来年度から移行期に入っていく。現行教科書に登場している教材があり、そして移行期で消えていく教材があるだろう、また今度の改訂で新しく登場してくる教材があるだろう。
 そんな「教材」を、今一度「整理」しなおすことはできないだろうか。
▼そんな大それた「仕事」ができるほど、すごい実践をやってきたわけではない。それは承知している。
しかし、はじめてみなければ、何も進まない。
 これは、遠大なるプロジェクトのはじまりである。
「試論」の「試論」である。「試論」でおわりになるかも知れない。
しかし、
 Webが教えてくれた。<小さな試み>も つなげば世界大になると。


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