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「熊楠」についての5つの仮説

Dscf6033▼「おみごと!!」ととしか言いようがない。昨日(お彼岸の中日・秋分の日)のヒガンバナである。大きく外出はせずに、家のまわりのヒガンバナを見た。少し遅れていたかと思っていたが、結果的にはそうでもなかったようだ。
田んぼのまわりの畦、川淵の土手、墓参りの道の両脇、家の庭先…。いたるところのヒガンバナが一斉開花である。
田は稲刈りがおわって終わっているところが多い。なおさら「赤い行列」は目立つ。家の東に出て見渡せば、そのヒガンバナの風景は、圧巻ですらあった。きっちり日を読んでいたかのごとく。
やっぱり、もう一度「おみごと!!」\(^o^)/
▼「熊楠」も、こんな風景を田辺の地でみたのだろうか。そして、ヒガンバナの「味方」になろうと決意したのだろうか。今年の夏以来、急激に惹きつけられている「熊楠」。とてもではない、私のようなシロウトに手に合うよな人物ではないことはわかっている。もちろん「熊楠」研究家になるつもりもないし、なれるわけもない。ただ、何故にこんなに惹きつけられるのか。それだけは知りたい。シロウトの大胆さで、ここまでに辿り着いた「熊楠」について、私の仮説5つをあげておく。
▼【理科の部屋】4@folomyや、ここのblogに書き込んだことを元にしてのものである。
●【仮説 その1】
 「知の巨人」南方熊楠の「研究」に、こらからの「自由研究」を示唆するものがある。

 これは、今年の夏の「自由研究のすすめ試論」をまとめるなかでてきた仮説である。この仮説をもって南方熊楠記念館・南方熊楠顕彰館を訪れたのである。

●【仮説 その2】
「熊楠」はこれからの人である。

 グローバリズムとローカリズムの交叉、徹底した「私」発の知的生産技術の数々、考えれば考えるほど確信が生まれてくる。まちがいなく「これから」の人である。100年の時空を超えての未来派。

●【仮説 その3】
 「南方マンダラ」は、これからの理科(科学)教育の羅針盤である。

 もっと等身大に「熊楠」を読み解く。自分の仕事にひきつけての仮説である。
 「不思議」の「謎解き」こそ理科だとしたら、この「南方マンダラ」こそ、これからの理科教育の方法、めざすべきものを示唆したものではないか。

●【仮説 その4】
「南方マンダラ」は、Webそのものである。

 飛躍した仮説かも知れない、しかし私の目には、あの絵図がWebにみえてきてしかたない。

●【仮説 その5】
 【理科の部屋】は、熊楠の言う「萃点」そのものである。

 飛躍ついでにあげる。「萃点」とは「謎解き」情報が交差するところ、情報が集まるところであり、情報が発信が発信されるところ。それなら「情報は発信するところに集まる」を掲げた【理科の部屋】そのものではないか。
これは、あまりにも手前勝手な仮説であろか。

▼少しわかる人が見れば、馬鹿げた【仮説】なのかも知れない。明日の自分がみても、お笑い物だったりするかも知れない。浅学無知を省みず、シロウトの大胆さであげておく。
誤謬、勘違い、的はずれのオンパレード。
これは、あくまで私流の直感「仮説」である。ベースになるものはなにもない。
しかし、これが巨大山脈「熊楠」登頂に向けた準備した私の等身大地形図(登山図)。
寄り道もする。すぐ引き返しもする。別ルートも検討する。
  まずは、一歩すすめてみようかな。

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