ヒガンバナと「熊楠」
▼朝夕は、もう逆戻りをしない涼しさである。空が高くなったぶん昼間の直射日光は厳しい。
朝夕の涼しさが、眠っている鱗茎を揺り起こしてくれているのではと思う。
「おーいヒガンバナ 出番だ!!」と。
寝覚めが悪くぐずっているのは、なんなのだろう。この夏が暑すぎて、熟睡できなかったのだろうか。
水がたらなかったなのだろうか。まだ、いちばん快適な気温にはなっていないと言うのだろうか。
うーん。(・_・)......ン?
▼熊楠が、このヒガンバナのことについて、「石蒜の話」を書き発表したのは、大正4年(1915年)の正月だ。
それから数えても93年だ、おおかた一世紀近くたとうとしている。その時代から、比べて人々の「ヒガンバナ」への認識は変わったのだろうか。
人里の植物で、これほど目立つ植物は、他にないだろう。救荒食の歴史をももち、人々の命を救ったのかも知れない「ヒガンバナ」。古今、多くの人を魅せてきた「ヒガンバナ」。
それなのにあらぬ「汚名」をかぶせられもした。
しかし、熊楠は、例の博学ぶりを発揮して、ヒガンバナの味方をしようとした。
そんな深読みができない、シロウト読みの思い込みかもしれない。
そんな熊楠を、なんか応援したくなる。単なる気分の問題かな。ファンとはそんなものかも。
ゆっくりと、もう一度読んでみよう『石蒜の話』
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コメント
紀州の各地でも咲きはじめたようです。
http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?storyid=152941
投稿: sakamoto | 2008/09/11 20:19
紀州からの開花情報ありがとうございます。
新聞に載りだしたということは、かなりみれるようになったということですね。これは、「熊楠」もみたものの末裔かも知れないですね。
投稿: 楠田純一 | 2008/09/12 04:20