南方熊楠と「研究」
▼昨日の朝から、一昼夜 人間ドックに入っていた。
ポンコツの総点検である。
ネットや「世間」から少し隔絶された世界にいっていた。
でたら、いっきょに秋がやってきているかと思ったが、そんなことはなかった。
昼は、やっぱり 夏の空だった。
▼ ずっと、気になっていたことがある。
まとまった時間がとれれば、集中してと思っていた。そのチャンスだった。
それは、ある人物のことについて、「シロウト調べ」をやりたかった。
気になるその人物とは、「南方熊楠」のことである。
学生時代だと思うが、ちょっとしたブームだったか、彼の著作集が本屋の棚に並んでいたのを記憶している。
柳田國男全集(読んだわけではない)を手に入れるのがやっとで、ここまでは手が届かなかった。
その程度である。
この特異な名前(楠が入っているのでなおさら)と、柳田國男と交流があったということで名前ぐらいが、頭の片隅に残っていた。
それぐらいで、そのままだった。
ところが、ここ1~2年のあいだにうんと気になる存在となった。
一介の中学教師の「気になる」と言っても、深い意味があるわけでない。
ちょっと気になる歌手がいるという程度の問題なのである。
▼近くでは、まず「ヒガンバナ」についてである。「日本ヒガンバナ学会」でもお世話になっているリコリスさんの著書『ヒガンバナの博物誌』に、熊楠の書いた「石蒜の話」が紹介してありました。
これをなんとか全文読みたいと思った私は、和歌山の阪本さんにお願いして、コピーをして送ってもらいました。
実に面白かったです。なんともヒガンバナへの思い入れが伝わってくる文章でした。
これも雑誌の元旦号に発表したと言うことで、そのころの「ヒガンバナ」に対して人々が抱いてイメージからすると、この人が如何に「ヒガンバナ」に惚れ込み、ヒガンバナの味方になろうとしたかがわかろうというものです。
この人への気になり具合は増してきました。
▼そして次が、昨年の秋から今年の冬にかけて東京ワタリウム美術館で行われた『クマグスの森展』。その期間中に「池上高志×茂木健一郎の講演『熊楠の頭の中』」があったのです。
これは、茂木健一郎の「クオリア日記」で今も聴くことできると思います。(これをやってくれるだけでも、私は茂木健一郎さんはすごいと思っています。)
(※また詩と批評『ユリイカ 特集・南方熊楠』でも読むことできます。)
いちばん、最近では、今年の夏の「山桃忌」での吉川先生の『柳田國男と南方熊楠』の講演です。
▼資料本とICレコーダーを持ち込んで、「熊楠」に集中してみました。
とは言っても輪郭をたどるにすぎません。
74年の生涯の簡単な年表もつくってみました。
成果は…(^^ゞポリポリ
そんなもの、なかなか
「知の巨人」は、そうやすやすと姿を現してくれません。
私などには、いつまでたっても「出会えない」かも知れません。
でも、少しだけわかりだしたことがある。
「熊楠」のイメージが変わってきました。
「知」の集積回路を手に入れてしまいつつある我々に
「それだけでは…」と言ってくれているようにも。
学問・研究にひじょうに純粋なものをもっているように思えた
究極は『南方マンダラ』
これは、なんだ。
ますます興味はますぱかり…。
▼もっと、もっと自分に引きつけて等身大に語ろう。
熊楠に「出会う」とは、何を意味するのだろう。
なにを 学べばいいのだろう。
とんでもないことをいいだそう。モノを知らぬシロウトの強みだ。
◆彼の粘菌の「研究」
と
理科の自由「研究」の
「研究」はちがうのか。
私は、同じと言いたいのだ。本質は同じであると。
では、その本質とは…。
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コメント
こんな記事が読売新聞和歌山版に載りました。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/wakayama/
投稿: sakamoto | 2008/08/12 19:57
ちょっと熊楠に夢中になっています。
この資料、今度行ったときに欲しいです。
未整理の書簡がいっぱいあるようですね。
このころの「研究者」の書簡というのは貴重な資料ですね。
ここに学び合いのスタイルがあるんでしょうね。
今なら、メールなんでしょうか。それは…。
投稿: 楠田純一 | 2008/08/13 02:45