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「自由研究」を「学習指導要領」に読む。

Dscf4326▼昨日の夕方は、今日からのお盆に備えて、お墓に灯籠をもっていった。
今日の夕方から、「お墓参り」がはじまる。
ところによって、あるいは宗派によってこんなのちがうだろうな。
お墓に行くと、例のクサギの花の「遅れん坊」がいたり、
クズが熾烈なる「光とり競走」の現場を見せてくれたり、
セミの抜け殻を発見できたり、アリ地獄をみつけたり…
お墓参りを科学する なんていうのも面白いテーマかも知れない。
もう少し、わくを広げて 「お盆を科学する」も面白いかも。

戦後最初の「学習指導要領」(昭和22年)(文部科学省ページより)に「自由研究」が登場しているということで、それをあらためてみてみた。

 たしかに、「自由研究」が登場している。戦後の新しい教育の意気込みかも知れない。
教科と同列に週時間も割り当て考えられている。
それは、「教育の一般目標」「一 個人生活については」にあげてある次のようなことと深く関係しているのかも知れない。


2.自然と社会とについての見方考え方を科学的合理的にし,いつもこれらについて研究的に学んで行こうとする態度を持ち,またこれによって科学的知識を豊かにして行くようになること。

さらに具体的に見ていくと、次のような文章に出会った。
ここに,自由研究の時間のおかれる理由がある。たとえば,鉛筆やペンで文字の書き方を習っている児童のなかに,毛筆で文字を書くことに興味を持ち,これを学びたい児童があったとすれば,そういう児童には自由研究として書道を学ばせ,教師が特に書道ついて指導するようにしたい。つまり,児童の個性の赴くところに従って,それを伸ばして行くことに,この時間を用いて行きたいのである。だから,もちろん,どの児童も同じことを学ぶ時間として,この時間を用いて行くことは避けたい。

ちょっとちがうようである。
今、私がここで考えたい「自由研究」のことではなさそうである。
それは、別にしても、戦後のスタートの学習指導要領というのは、いちど見ておくに値するものである。
なお、この「自由研究」は昭和26の改訂では姿を消している。
▼私の文脈「これからの理科の自由研究」にもどる。
新学習指導要領を読んでみる。中学校理科編(文部科学省ページより)に限定でである。
この最初の部分と、最後の部分を一緒にみてみる。

第2章 各教科 第4節 理科

第1 目標
 自然の事物・現象に進んでかかわり,目的意識をもって観察,実験などを行い,科学的に探究する能力の基礎と態度を育てるとともに自然の事物・現象についての理解を深め,科学的な見方や考え方を養う。


第3 指導計画の作成と内容の取扱い

4. 各分野の指導に当たっては,観察,実験の過程での情報の検索,実験,データの処理,実験の計測などにおいて,コンピュータや情報通信ネットワークなどを積極的かつ適切に活用するよう配慮するものとする。

ここに、すこし「これから」のヒントが含まれているように感じるのだがどうだろう。

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