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『思考の整理学』を読む。

▼ここのところまとまった時間をとって本を読むことが少なくなった。
「知的生産の技術」を読む のなかでも、何度か確認してきたことがある。
「本は、自らの文脈なかで読むべきである」ということである。
だから、その「自らの文脈」が、そこにいっていないときは、「寝かせて」いる。
この本『思考の整理学』(外山滋比古著 ちくま文庫 1986)このタイトルに惹かれて、購入して寝かせていたものだ。ここのところちょっと出かけることがよくある。
電車に乗ったときや、目的の会場で時間待ちなどという「すき間時間」ができることがある。
そんなとき用に携帯していたのだ。
▼実に面白い。
帯に「もっと若い時に読んでいれば…」そう思わずにいられませんでした。 と読者の感想が書かれている。
同感である。(゚゚)(。。)(゚゚)(。。)ウンウン
「1986年発売以来の超ロングセラー」とも書いてある。納得できるはなしだ。
なにが面白いのか。説明するのは、なかなか難しい。
ひとつは、これが、22年前(正確な初版、文庫化する前は1983年だから、25年前)、四半世紀も前に書かれたものとは信じがたいというところだ。
 まるで、今の今 を語っているのとしか思えないエッセイがつづく。
ひとつ、ひとつのエッセイ文が独立していながら、それぞれがリンクしあっている。
それぞれは、独立している。
これは、blogのひとつのエントリーのようである。
脱線するが、この人がblogを書いていたら、さぞかし面白いものだろうな。
「お気に入り」にでも登録しておきたいな、検索かけてみたが、今のところみつけ出していない。

それぞれが、つながりあいながら、今の私の文脈にあう「メッセージ」をとどけてくれている。
いたるところで、「学校教育の今日的役割」についてもふれてくれているのはありがたい。
それが、繰り返すが四半世紀前というのが…。なんとも
まあ ホンモノは時空を超える ということで納得することにしておこう。

「すき間時間」用読書に、この人の本用意しておこうと思う。

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