「日常」にこそ、科学はある。
▼できるだけふだんの「生活」のリズムを取り返したい。
それには、決まった時間に決まったことをすること。
それが一番だ。
朝の2つの「散歩」これは、定番メニューだ。
季節の移り変わりも、日の出の時間のちがいも
ときには、それは自分自身の心の変化すら見えてきたりする。
私にとっての「散歩」は、変化をする自然を観察するため(ときには自分の心の変化をみるため)の
「座標軸をとる」ような営みである。
▼確か、明日、7日は立秋ではなかったかな。暦の上で秋である。
こんな暑い、暑い毎日なのに「秋」だなんて
でも、よく「観ている」と、小さな秋は確実にやってきている
栗は確実に実をつけ生長し、
ツバキの実は色づき
空は、どうだろう
まだ、まだ モクモクとした雲だ。
垂直方向移動の雲だ。「上がるとザアザア…」の雲だ。
これが、水平方向移動の雲になったら 秋はやってくる。
子規は「夏雲は岩の如く、秋雲は砂の如く」と言ったという。
なんという観察眼だ。
▼朝方から「岩の如く」を見ていたので、
またしても、思っていたら やっぱりそうなった。
「上がるとザアザア…」の実験が目の前展開されてしまった。
遠くでは カミナリまで鳴り出した。
そうだ。
私たちは、この「大気の大物理実験室」で生活しているのである。
特別の実験道具が必要なわけでも
ただ、ただ「ていねいに」空を、雲を みているだけでいい。
ここにもと言うか、ここにこそ「科学」の始まりがある。
自由研究ネタなんて、そこらにゴロゴロしているだ。
それは
「日常」のなかにこそ、科学はあるのだから!
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