自由研究は、一生の「宝もの」のはじまり
▼今日は、立秋だ。
朝起きて、門先に立ってみた。
そう言えば、少し風に「秋」が感じられるかな。気持ちの問題かな。(^^ゞポリポリ
それにしても 24節季なんて うまく考えたものだ。
これぞ、先人たちの
究極の自然観察の産物である。
なるほどと合点するばかりである。
▼今年の私の自由研究のテーマ『「これからの理科の自由研究」の研究』を考える時間が少しずつ増えてきている。
「ばっかり」主義になってしまうと、やらなければならないことが山積みになってしまってあとがたいへんなんだが…。
まあ、このblogを書くときぐらいは「自由」かな。
私自身の自由研究の思い出は、あまりない。
今の、小・中学生の保護者ならば、この「自由研究」についての思い出あるだろうな。
それを、自分の子どもに話すなんてことあるのかな。
話してあげたら、子どもたちのモチベーション、うんとあがってくるだろうな。
親の自由研究のテーマを、引き継いで子どもたちがやるなんて、そんなことがおこっても面白いだろうな。
▼もう、ずいぶん前になってしまったが、「科学の祭典」や「お楽しみ広場」なんかに出展していたとき、
子ども向けに、実験を紹介するのだが、結局いちばん夢中になってやるのが親御さんだ。
そんな体験から、察すると、みんな「学び」たがっている。
人間いくつになっても、学ぶことに対する意欲は消えることはない。
学ぶことは、生きることそのものなんだ。
これも、少し以前になるが、自分で「自由研究」の課題を出しているころ、作品のなかに、明らかに子どもと親の共同作品のようなものがあって、その評価に困ったことがある。
それも翻って考えるに、とてもいいことかも知れない。
親子で、共同して不思議を追いかける。科学する。とても楽しいではないか。
▼夏休みこれからの「自由研究」を考えていたら、
それはいつのまにか、これからの「学び」を考えることに行き着いてしまう。
自由研究は、ひとつのきっかけに過ぎない。
このときの「不思議」追いかけ
「謎解き」が
ひょっとしたら一生の「謎解き」のはじまりかも知れない。
「へぇー 自然って面白いな」「もっとこのこと知りたいな」
?(゚_。)?(。_゚)? 疑問
(゚o゚)ゲッ!! 感動・発見
それは、きっと一生の「宝もの」となるはず。
▼ 今日は、お盆がちかいから 今から 墓掃除だ。
掃除だけではつまらない。
私も 疑問・感動・発見をさがしてくるぞ。
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