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私の「小さな旅」

Dscf4469▼お盆休みで、帰省している次男と、校区の鹿ヶ壷に出かけた。
自宅から車で30分程度である。
学校までが、20分程度であるので、わずか10分程度 足をのばしただけである。
「旅」と呼ぶには、ちょっと憚れる距離である。
しかし、
私には、これがちょっとした「小さな旅」であった。
「旅」には、距離だけでなく「時間」の要素も含まれる。
Dscf4487▼鹿ヶ壺山荘までは、校区になってから何度なく行っている。
しかし、「鹿ヶ壺」そのものには、何十年前に一度いったきりで行ったことがなかったのである。
たくさんの人がキャンプを楽しんでいるキャンプ場をすぎて、のぼり始める。
それにしても、キャンプ場の人のにぎわいには驚きである。
そのにぎわいのわけはやがてわかりだす。
Dscf4505
急勾配の流水が造り出した甌穴が、
鹿ヶ壺である。甌穴はひとつではない、大小いくつもある。
甌穴と甌穴の間は、スロープになっているところもある。
そこは、格好の「すべり台」になっているのである。
ここにキャンプ場の人のにぎわいのわけがあった。
流水が時間をかけて造りだした「すべり台」と「壺」。
思わず、これは水着をもってくればよかったと悔やんだぐらいである。
Dscf4511▼いくつもの甌穴を過ぎた最上段のところに、名前の由来
「鹿ヶ壺」はあった。
誰が名付けたのだろう。
うまくいったものである。
鹿の寝姿にそっくりな甌穴。
鹿を想起したのは、ここでは鹿がありふれた動物だったのだろう。
そんな自然がそこにあった。
「長年の歳月をかけ自然が作り上げた造形物」
というときの「長年」というのは、どのぐらい「時間」を意味するのだろう。
自然を認識していくとき、自然をより豊かに学んでいこうとするとき
最大のハードルは、この「時間のスケール」である。
この鹿ヶ壺へ向かう道沿いに有名な「千年家」がある。
 建てられて千年を経ているかどうか別として、このときの「千年」と鹿ヶ壺の「長年」とは、「時間のスケール」が同じなのか。ちがうのか。
違うとすれば、どれだけちがうのか。
私の中には、なかなかそれがうまくインプットされていない。
これからの課題である。
▼鹿ヶ壺から千畳平まで登り、展望台、風穴へと周り帰路についた。
そこでも、とんでもないハプニング、「発見」もあった。
数時間の時空を超えようとする私の「小さな旅」だった。
 

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コメント

「長年の歳月が」という場合の「長年」があいまいで、たいていの話が進んでいきますね。
「たぶん」としか、いえないのですが、
甌穴の場合は、数100年~数1000年でしょうね。
数10年では間に合わないし、
数10000万年では、川も山も形がすっかり変っていますよね。
花崗岩が「長い年月をかけて、ゆっくり冷える」のは、
数十万年~数百万年。
山ができるのも、数十万年。
火山の寿命も、数十万年。

でも、このあたりのオーダーについて、
きちんとまとめている文献は見たことがないですね。

これは一冊の本になりそうですね。

投稿: 觜本 格 | 2008/08/19 00:24

觜本さん プロのコメントありがとうございます。
いつまでたっても この「時間のスケール」が頭に入らないですね。そのときは「なるほど」と思っても、すぐ忘れてしまいごちゃごちゃになってしまいます。
 やっぱり年表がいいですかね。
 「コスモス」のころカレンダーでありましたが、ビジュアルということでは、「年表」ですかね。

 それから、これが「進行形」であるという認識ですね。
そこがいちばんのポイントかも知れませんね。

 

投稿: 楠田純一 | 2008/08/19 03:58

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