« 2008年7月 | トップページ | 2008年9月 »

ついに「大賀池」に行った

Dscf5036▼長かった夏休みも、ついに最後の日になってしまった。紀の国オフの余韻(と呼ぶには大きすぎる)のうちに目ざめた。出会った風景、事物、アクティブなみなさんの一言、一言が進行形のまま残っている。
当分は、「これ」で楽しめる。
夏休みは終わってしまうが、時空を超えた学びの旅は、今から「はじまる」という気分だ。
Dscf5034▼「熊楠」と「大賀ハス」。いっぱいある楽しみのなかで、ふたつに絞った。「熊楠」については、昨夜少しだけかいた。もうひとつの「大賀ハス」。この夏休みのあいだも、ずっと追い続けた大賀ハス。
昨年の夏の終わりに阪本さんに分けていただいた大賀ハスの実、三つ。
今年の5/17の朝、理科ハウスのオープンを記念し、祝して発芽処理を行った。それ以後観察をつづけて来た大賀ハス。大賀先生を追って府中にも行った。兄弟分の大賀ハスの姿を見たくて理科ハウスにもいった。発芽、次々と成長しつづける大賀ハスの姿をこの目で観察しつづけてきた。
そして、この大賀ハスの元祖「大賀池」に行った。それも、本家本元の阪本さんの案内で、最高のメンバーと一緒にだ。こんなことあっていいのと言うぐらいうれしいことだ。\(^o^)/
Dscf5054▼あこがれの「大賀池」は美浜町の岬にあった。池の入口には大賀先生の「蓮ハ平和の象徴也」の碑が建っていた。そして、大賀ハスは、今なおいくつが花開き迎えてくれたのだ。今年に移植されたばかりという北池の大賀ハスは、巨大であった。一夏でこんなにも「成長」するのかと驚かされた。奧には、阪本祐二先生の『荷風千里』の碑が、私たちを待ってくれていた。
ついに来たかという感慨である。みんなで記念撮影をした。
千里にはとうてい及ばないが、一里ぐらいは来たかも知れない。多くの人にお世話になりながら…。
時空を超えて「大賀ハス」を追う旅はまだまだつづく。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

「熊楠」をちょっとだけ見た!?

▼昨日と今日、「熊楠」と「大賀ハス」に会いに、紀の国オフにでかけていた。
きわめて贅沢な旅であった。
昨日、のっけから列車が事故で遅れてしまい、みなさんを待たせるというようなアクシデントもあったが、とてもすばらしい旅をさせてもらった。阪本さんをはじめ、【理科の部屋】4@folomyのみなさんに感謝します。
深謝m(__)mペコリ
▼紀伊田辺でみなさんと合流し、食事をし、さっそく向かった先は、「南方熊楠記念館」である。最高の同行者・案内人がついている。わくわくして高揚する気持ちをおさえながら、展示されていくものをひとつひとつをみていく。ここでは、ひとつひとつの展示されいる現物が、時空を超えて「熊楠の世界」につれていってくれる。
 彼が、すこしずつ姿を表そうとしてくれる。でも、それを上回る圧倒される思いだ。
「こりゃ、ダメだ。私などに、歯が立つ相手ではない」そんな気持ちが生まれる。ちょっと弱気になったりもするが、
「我流でしかない。無手勝流でいくしかないんだ」と居直りとも言える気持ちに持ち直し、つぎつぎへ見ていく。
わかったのは、これは一度ではどだい無理な話だということだ。
Dscf4920▼つぎに、つれていってもらったのは、『南方熊楠顕彰館』である。
こちらでは、スタッフのていねいなお話を聞くことが出来た。
さらには、熊楠の半生をすごした自宅・庭で関係者のくわしいお話を聞いた。いずれも、資料・現物・本だけではわからない話を、ほんとうにくわしく話をきかせてもらった。質問にも答えていただいた。
あの「南方マンダラ」もみた。
 ひとつ、ひとつ今から時間をかけて反芻してみる。どこまで消化できるかわからないが…。
ともかく、当初の目標
●「熊楠に会う」は達成できたのではと思っている。
ただ、あまりに巨大すぎて、いったいどんな姿なのか。わからない。
でもそこに「姿」があったことには間違いない。
▼もうひとつ
【仮説 その1】
 「知の巨人」南方熊楠の「研究」に、こらからの「自由研究」を示唆するものがある。

この仮説は、まんざら的はずれではないと思えた。
これは大きな収穫だ。
同行したみなさん、館のスタッフのみなさんに感謝だ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

熊楠・大賀ハスに会いに行く

▼いよいよその日が来た。
まだ、なんの準備もできていない。頭の「整理」もだ。
そんななかで、先ほど長々とblogを書いた。そしたら、送る前に失敗をしてしまった。
いく前から、熊楠の怒りをかってしまったのかな。あせる…(^_^;)
Dscf4860▼今回は、紀の国にでかけるのなら、いろいろある。浅学無知なる人間の「いろいろ」は、よけいに頭が拡散してしまう。今回は「大賀ハス」と「熊楠」に的を絞るときめた。
この夏追いかけてきた大賀ハス、元祖「大賀池」には、明日いく。その前に、最新の「私の大賀ハス」の画像を、阪本さんに届けたくて、昨夜、暗くなってから撮ってみた。
枯れの時期に入っている。虫が囓ったのは、それ以上進行しなかった。
ひたすら蓮根が形成されているのだろうか。
明日は、『荷風千里』の碑の前で、みんなで写真撮りたいな。
▼この場に及んで、昨夜からとんでもないことにはまってしまった。
注文していた『クマムシを飼うには』(鈴木忠・森山和道著 地人書館)と『クマムシ?!』(鈴木忠著 岩波ライブラリー)がきてしまったのだ。
別に、私は「熊楠」と「クマムシ」、不謹慎な語呂合わせを楽しんでいるのではない。
「クマムシ」ちょっとだけ、興味はもっていた、今回、「クマムシ」本を購入したのは、森山和道が書いていると知ったからである。森山さんにここ10年以上いろんなこと示唆を受けてきている。ネットではいちばん気になる人のひとりだ。
読み出したら、面白すぎるのだ。\(^o^)/
「研究」についても、いっぱい書いてある。
合点することばかりだ。
ほんとうは車中では、熊楠のヒガンバナについての文『石蒜の話』を読んで復習して、熊楠に会いにいこうと思っていたのに・・・(^^ゞポリポリ
 まあ、熊楠のことだから許してくれるだろう。勝手な理屈である。
柳田國男が南方熊楠を訪ねてから、95年の歳月が流れた。
今日、「熊楠」に会いにいく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「学び合う」ことは楽しい

Dscf4846▼休みもあと4日だ。残った宿題に目が行くと、自分の怠慢な性格をなげいてしまう。しかし、できたこともいっぱいある。それを励みに最後をしめくくろう。
「あじさい公園」のモリアオガエルの「観察池」にでかけた。人気もなく静まりかえった池、あいかわらずイモリ君たちは、のんびりと遊泳をしている。水は比較的澄み、水量はすくなっている。
 アジサイの小枝の先に赤とんぼが…。
▼明日(29日)は、【理科の部屋】4@folomyの紀の国オフだ。きっとこれが、この夏の私の最大の成果となるだろうオフである。
阪本先生の献身的なお世話で実現することになった、夢のオフだ。
すでに、N先生は、紀州入りをされたようだ。今日は、Y先生とも合流されて熊野三山をまわられるようだ。
明日の昼には、私も合流させてもらって、「熊楠」を追う。夜には、学び合いの場も企画してくださっている。
翌日には、この夏、観察しつづけ、追いかけた大賀ハスの本拠地「大賀池」を訪ねる。
もう、書いているだけでわくわくしてくる。
▼15年前の夏休み、時間的な制約から、学び合う機会がすくなっていた。ならば、時間的な制約を克服できるパソコン通信で「学び合う」ことを思い立ち、このネットの世界に入ってきた。
 そこにあったのは、それまでの「学び合い」を越えるような、響きあい・学び合い・高め合う世界だった。
とりわけこのオフというのは、ほんと楽しいものである。なんどやってもこの楽しみは何ものにも替えがたいものがある。あの伝説の「ヒガンバナオフin巾着田」からでも、10年の年月が流れた。
しかし、オフの楽しみ、学び合うことの感動は、色褪せることはない。
▼これからの「学び」は自己完結では成立しない。
これからの「学び」は、「学び合い」によってはじめて成立する。何度も、何度もじぶんのなかで確認してきたこと。
とくにオフのたびにこのことを痛感するのである。
「これから」と言っているが、実はこれまでもそうであったのであり、ものを学ぶ、学問する、研究することの醍醐味は「学び合い」にあるのでは…。
 紀の国オフでは どんな「学び合い」待ち受けているか楽しみである。o(^o^)o ワクワク

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新・「自由研究」のすすめ試論(5)

Dscf4778▼『日本ヒガンバナ学会』のことをここにあげて、少しヒガンバナに少し意識がいくようになった。まずは「ナツズイセン」や「キツネノカミソリ」だろうと、我が家の「ナツズイセン」観測の場所にいくが、その気配はない。まわりはどうだろうと、注意してみる。転勤になって、行動範囲が少しかわってきたので…。と思っていると、そんなことはなかった、どこにだって「ナツズイセン」は咲いているのである。
 通勤路、2ヶ所。家のまわりにに一ヶ所みつけた。でも、前にみかけていた場所にはない。どういうことだろう、球根を掘り起こしたりしでもしたのだろうか。「キツネノカミソリ」の方の定点観測にはでかけていないが、きっともう咲いているだろうな。
▼新・「自由研究」のすすめ試論の方、タイムリミットが近づいている。とりあえず、ここまでのことを並べてみる。
試論だから、結論ではない。
 ここのblogにこの夏に書いてきたことを並べてみる。(余談になるが、このblogというものは、こんな作業をするのに便利なものである。)自分の書いたものを引っ張ってきて並べるだけの話。

●10年前の私の提案から
(1) 研究の成果をデジタル処理をしていく。
(2) インタラクティブな研究の可能性を追求する。
(3) 遠隔地との共同研究を実現する。
(4) Webページ上に研究発表(情報発信)をしていく。

●最高のヒント集は、自然そのものだ。!!
●すべての感性の窓を開いて 謎をみつけよ 「謎解き」こそ科学だ。!!
●「学び」は面白く楽しい! 「学び合い」は、もっと面白く もっと楽しい!! 

●自由研究の最大のねらいは 学ぶことの面白さの発見 である。

●自由研究ネタなんて、そこらにゴロゴロしているのだ。
 「日常」のなかにこそ、科学はあるのだから! 

●自由研究は、一生の「宝もの」のはじまり

●親子で、共同して不思議を追いかける。科学する。とても楽しいではないか。

●【自由研究のねらい】 
 「学ぶこと」「学び合うこと」の楽しさ・面白さの発見

●最大のヒント集は「自然そのもの」である。
 多くのマニュアル本。「ヒント集」本が出回っている。それなりに面白いかも知れないが、やっばり最高は
「自然そのもの」だ。最高の教科書が「自然」そのものであるように…

●科学史・技術史は、ネタの宝庫
 人がはじめにそのもの・その現象に出会ったときの不思議感覚
 感動は時空を超えて共通するものがある。

●等身大の「不思議」「疑問」「感動」を大切にしよう。

●プロの「研究者」から学ぼう。
 そのスタイル、面白さ、スキル等々
 自分のまわりにいっぱいいるプロの「研究」家 その「発見」もまた楽しい。
 ホンモノは必ず応えてくれる。

●「新・自由研究のすすめ」の究極は、新・学問のすすめに行きつく。
新・学問のすすめは時代の要請である。
「知」の集積回路を手に入れつつある現代、「知恵」の集積を含めた
「新・学問のすすめ」の登場が必要。

●「研究」のプロは、なにも大学や研究所だけにいるわけではない。

●自由研究は「等身大」であるべき。
 「等身大」であるからこそ 「感動」がある。
 等身大の感動こそが 人をも感動させる そして「学び合い」がはじまる。
 学び合いは 感動を増幅させ 次なる「研究」を生む 

●自分から「もっと知りたい」「この不思議をわかりたい」「もっと勉強したい」という気持ちなるきっかけとなったら、これは大成功だ。 

●「研究」は、創造的な営みなってこそ、「研究」の名に値するのである。

●等身大の「謎解き」の旅=「研究」

結論ではない。書き留めたものを並べただけだ。
▼とんでもない飛躍したことかもしれないが、現時点での【仮説】と【提案】もあげておく。
【仮説 その1】
 「知の巨人」南方熊楠の「研究」に、こらからの「自由研究」を示唆するものがある。

【提案 その1】
 まわりの大人(親・教師)も、「自由研究」をはじめよう。それが究極の「自由研究のすすめ」になる。
さらには、それが「最新・学問のすすめ」になる。

【提案 その2】
 プロの研究者(研究者であることを自認するすべての人)は、自分の「研究」の面白さ、楽しさを多くの人に伝えてほしい。未来の自分の「研究」のためにも。

読み返していると少し恥ずかしくなってくる大言壮語だ。(^^ゞポリポリ
さあ、先達たちはどんなコメントをくださるだろう。それが、楽しみ…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新・「自由研究」のすすめ試論(4)

Dscf4769▼ひと雨ごと、秋のすずしさが増してくる。こうして季節は「彼岸」へと向かっていく。ちょっとふだんできない「寄り道」をしてみた。そこでも、残りわずかになっている夏休みを楽しむ家族の姿があった。
空をみあげた、まちがいなく「雲のかお」は、秋だ。
▼長かった夏休みの終わりに、私は「紀の国」オフにでかける。いつもいろいろ教えてもらっている阪本先生のお世話で、【理科の部屋】のみなさんとお会いする。みなさんから、いろいろお会いして教えてもらうのが目的であり楽しみなんだが、私として少し的をしぼって学んできたいと思っている。
まずは、「南方熊楠」ついてである。「知の巨人」とよばれる人の「研究」とはなんだったのだろうか。そんな「問い」をもって南方熊楠顕彰館に行かせてもらうつもりだ。浅学無知なる私など、一笑のもと巨人は、足元のつま先すら姿を現さないだろうか。
 私には、この「知の巨人」こそが、これからの「知」の在り方、生かした方を示唆しているのではないかという、仮説をたてている。スタッフの方とお話をする機会があるかも知れない。それも楽しみである。
▼「自由研究」にはなしをもどす。「知の巨人」の「研究」と「自由研究」の「研究」なんともこじつけのように思われるかも知れないが、わたしのながでは、つながっている。
「等身大の研究」にこそ価値があることは、すでに述べた。
それと深くかかわるが、宿題の「自由研究」が、自分から「もっと知りたい」「この不思議をわかりたい」「もっと勉強したい」という気持ちなるきっかけとなったら、これは大成功だ。
 「研究」は、創造的な営みなってこそ、「研究」の名に値するのである。他人のやったものを写し取るだけではでは、「研究」ではない。そこから、ほんとうの「学び」は生まれない。
等身大の「謎解き」の旅ははじまらない。
▼私の自由研究、『これからの理科の自由研究の研究』の方も、なかなかまとまらない。「研究」の先達たちの前で、こんなこと話題にするのは恥ずかしい限りだが、教えを乞うということで…。(^^ゞポリポリ
これが、ひょっとしたら私にとっての「松坂の一夜」なるかも知れないという期待もしつつ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

【Web更新8/24】『「理科の自由研究」の研究』

Dscf4682 うつろうや 残暑の空 淡く染め
  08/08/20 (水)撮影@安富
楠田 純一の【理科の部屋】の週末定例更新のお知らせ

◆表紙画像2008 百日紅
 今、校庭でみられる色の花。それはないもの考えていた、夾竹桃は白いモノばかりだし、この百日紅こそがと思っていたけど、それに気づかなかった。
 忽然と、秋の空にかわりつつある天空を突くように、先端の方から花が見え始めた。
「百日紅」というぐらいだから、うんと長い期間咲いているはずだがそうではなかった。私が気づかなかっただけかも知れないが。でも、淡いピンクはきれいだ。校舎の2階のベランダから撮ってみた。
夏休みが終わって登校してきた生徒は、この淡い色を楽しむことできるかな。それまで持ってほしいものである。

◆「「理科の自由研究」の研究」ページ更新
 更新といっても、ここのblogの関連記事とリンクしたにすぎない。
それでも、そのときどきに書いたもの集めて、つながあわしたり、組み合わせを変えてみると、けっこうあらたな視点があらわれたりして面白い。
 今週末の紀の国オフでは、その時点までで、自分にわかったことを発表してみようと思っている。
「研究」ということでは、大先達ばかりを前にして、こんなこと語るのは、すごく恥ずかしいのだが、自分の浅学無知をさらすのも、「研究」を等身大にひきつけるひとつの道かなと考えてやってみる。
◇題して『新・自由研究のすすめ試論』である。

◇ヒガンバナの季節が近づき『日本ヒガンバナ学会』の方も動き出すだろう。
 夏休み最後の一週間、多忙な日々になりそうだ。
それも、また楽し

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『日本ヒガンバナ学会』2度目のシーズンに

▼昨日は「処暑」であった。暑さがおさまるときである。ほんとみごとである、この「二十四節季」が過ぎるたびに思うこと、それはなんとみごとな「読み」だということだ。自然にはたらきかけ、自然を豊かにとらえて来た先人たちの「知恵」。こうして、季節のうつりかわり読んできたのである。
 この「知恵」は、大きな私たちの財産である。「読み」に感動するだけでなく、それを私たちの営み・生活に生かしていかなければと思う。
▼その二十四節季で言えば、次は「白露」、そしていよいよ「彼岸」である。「彼岸」と言えば、ヒガンバナだ。長いあいだ追いかけてきたヒガンバナのシーズがやってくる。田んぼの畦に、燃えるような真っ赤な松明の行列がみられる季節である。そのヒガンバナをずっと追いかけ、ヒガンバナのことを我流に「研究」してきた。
ついに、昨年は、もっとより多くの人と一緒に学び合おうと、2634953_38
をつくった。多くの人がきてくださって、いろんな情報をよせてくださった。
楽しく学び合うことができた。地上からヒガンバナの葉が姿を消したのとあわせたように、少しご無沙汰になってしまっている。
▼2度目のシーズンを迎えた「日本ヒガンバナ学会」。Web上に誕生した日本初の「学会」である。
呼びかけに次のように書いた。

「ヒガンバナに興味・関心がある。」という一点だけで共通項をもつみんなで創るコミュニティです。
◆時空を超えて学び合う会(=学会)をみんなで創ろう。
 未来派「学会」に。
「学び合う」楽しさ・喜びをみんなで。 
◆あなたがノックするところがドア(入口)です。
 自分の興味あるところから入ってきてください。
 なければ自分で作ってください。

▼この季節になると、ヒガンバナとよく間違われた「キツネノカミソリ」は、開花しているところもあるかも知れない。
はやいヒガンバナは、すでに花茎の芽を出しているかも知れない。そんな情報も含めていろいろ出てくることを期待している。o(^o^)o ワクワク
 この「学会」の展開と「これからの理科の自由研究」とは、私には大いに関係ありそうな気がするのである。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

新・「自由研究」のすすめ試論(3)

▼今朝は、起きたら雨だった。これはけっこうまとまった雨だ。大気はどのように動いているんだろうと、例の「天気のツボ!」をみてみた。なるほど「湿った冷たい空気」と「湿った温かい空気」とが衝突しているのか。さらには天気図で確認してみる。
自分のまわりの大気の動きを、いろんなレベルでイメージできるようになると、これまた楽しいものである。なかなかその領域にまではいかないが、いろんなものを利用して楽しみながら自分を「訓練」してみたい。
▼とぎれ、とぎれになるが、試論の試論をすすめてみよう。
この夏にであった「研究」をアトランダムにならべてみよう。
■『女子中学生の小さな大発見』(新潮文庫)にみた「研究」
なんかすごく等身大で、これぞ「研究」の原点。いいヒント集。
■大賀一郎先生のハスの研究
府中図書館や大賀先生の自宅のあったところ、ひょうたん池を訪ねることによって、「ハスの研究」に生涯をかけた先生の生きざまにふれて、「研究」の魅力とは…。ちょっとだけ考えた。
■理科ハウス ウンチの研究 にふれた。
ここは、等身大「研究」のメッカ。「ウンチ」を切り口(入口)にして、動物の世界を「追求」している。
そこにある「空気」そのものが、私たちにとっての「研究」とはなにかを教えてくれているようだった。
■内山裕之先生講演『自由研究の仕方』
繰り返される言葉。『失敗こそが大切』『失敗の記録こそが…』『プロの研究者も同じ…』
「研究」最前線にたつ人ならではのノウハウだった。
■『理科の自由研究室』スタッフに学ぶ。
超人気ページ『理科の自由研究室』の管理人(t-nishi)さんをはじめとするすばらしいスタッフとお話をする機会があり、「学び合う」ことの面白さ・楽しさを教えられた。
■南方熊楠における「研究」とは
熊楠において、粘菌の研究をはじめとする「研究」とはなんだったのだろうか。
するどい観察眼、おびただしい数のスケッチ、徹底した「記録」、往復書簡によるコミュニケーションを大切にした「研究」、論文発表等々ここから、何を教えられるか。
この月末に「南方熊楠顕彰館」を訪ねてみる。
■村の鍛冶屋さんの『鉄のミニ博物館』における「研究」
ぜひ秋にはお尋ねしたいと思っている。

まだ、まだありそうな気がする。まったくデタラメに列挙したようでもあるが、私の文脈のなかでは、あるていど「つながり」がある。
▼列挙したような「研究」に接するなかで、考えたこと。「そうだな」と思ったこと、ひとつ。
●自由研究は「等身大」であるべき。
 「等身大」であるからこそ 「感動」がある。
 等身大の感動こそが 人をも感動させる そして「学び合い」がはじまる。
 学び合いは 感動を増幅させ 次なる「研究」を生む
 


| | コメント (0) | トラックバック (0)

思えば遠くへ…

Dscf4729▼ほんとうに涼しくなってきた。
我が家のまわりにもトンボの大群がおしかけきていた。秋の到来を教えてくれるように…。
この夏に、たくましく「生産活動」を行った大賀ハスも最盛期をすぎたようだ。葉は枯れはじめたもの、虫に噛まれたものもある。でも、まだまだと背伸びして、残暑の光に向かっているもある。
最後まで、がんばれ!!と声をかけたくなる。
▼この季節になると思い出すことがある。
これは『【理科の部屋】とは』にも書いているが、

 はじめまして、中学校で理科の教師をやっています。パソコン通信をしたくて、パソコンを3年前から購入しNIFTYに入って来ました。F○○○にて、教育実践=授業を中心にしたを提案したこともありましたが、あまり応答ありませんでした。
その後、このフォーラムができて、ついに理科の授業実践を中心にしたものができたと楽しみにしていましたが、どうも理科授業に関するものは少ないようです。このまま、理科専用会議室ができるのをじっと「棚ボタ…」で待っているのは、少しなさけない気がしてきました。
 はじめての書き込みで生意気なことを言いますが、理科教師のみなさん、ここにいっぱい「授業のこと」「教材のこと」「サークル研究活動のこと」等などを書き込んで、理科会議室を独立させませんか。
 最初から生意気なこと書きましたが、宜しく…。 応答楽しみにしています。

 「理科会議室独立に向けて」と題してという文を「パソコン通信」NIFTY-ServeK教育実践フォーラムの
会議室にこのトツトツとした文章を書き込んだのは、93/8/22の朝でした。
それを意識して書き始めたのではないが、日付をみてみると、丁度15年前の今朝だ。
ちよっとびっくりです。
 「パソコン通信」って ?(゚_。)?(。_゚)?
というぐらい、もはや死語ですかね。
その当時は、私にとっては最先端でしたね。パソコンを恐る恐るさわりだしてからも、そんな時間がたってないときだっただけに新鮮な「道具」でした。
自分が書いた文章が、瞬時に離れた人に伝わるなんて驚きでした。感動でした。
そして、もっと感動したのは、伝わった人から「応答」があることでした。
▼その「感動」にはまってしまい、どっぷりと世界につかっていきました。
そして、この年の11月23日、【理科の部屋】はスタートしたのです。
パソコン通信は、やがてインターネットに変わっていきました。
HP、MLが主流の時代へ、そして今のblogやSNS等のWeb2.0時代へと、さらには…
思えば、遠くへきたものです。15年間のあいだに。
▼ネット環境を大きく進化してきた。しかし、このネットの世界にも「不易流行」がある。
ネット環境はさらにどんどん進化していくだろう。
しかし、いちばんに「感動」に値するもの、それは
ヒューマン・ネットワークである。
モニターの向こう側に人がいること、そしてその人から「応答」があること
響きあい、学び合い、高め合う世界があること。

古い人間ほど、新しいもの「流行」を求めるものです。(^^ゞポリポリ
いつまでたっても慣れないパソコンのモニターに向かいながら、15年前の朝を思い出しつつ、これを打ち込んでいます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

村の鍛冶屋さんの「ミニ博物館」

Dscf4684▼今朝、起きて外にでて見たら、オリオンが登ってきていた。
はっと、気づかされた。夏休みも、今日を含めてもあと11日だ。毎年のことながら、この時期になるとちょっとメランコリーな気分になる。言ってみてもはじまらないことながら、つい言ってしまう『もう一度、夏休みリセットしたい』と。
もう一度、「宿題」をならべてみる。そして、プライオリティをつけてみる。そして挑戦だ。
「一日一生」と自分に言い聞かせてみる。
▼昨年末に「むらの鍛治屋」さんと繋がる!!でここにあげた「村の鍛冶屋さん」が、姫路で「鉄の不思議」の「ミニ博物館」を開館されていると新聞で紹介された。
 冬にお知り合いになったとき、夏休みにそんなことをされていること聞き、これはぜひ行かせていただきたいと思った。お知り合いになってからも、いろんなことで教えていただくこと、学ばせていただくこと多かった。
開館期間は夏休みの終わりまでだそうだ。
▼私は、今、『新・自由研究のすすめ』を書きたいと思っている。
「自由研究」をバネにして、学ぶこと・学び合いの面白さを伝えあうことができたらいいなと思っている。
シロウトであることを強みに「試論」をはじめた。
その中に、
●プロの「研究者」から学ぼう。
とあげみた。それが、これなんだと思う。
「研究」のプロは、なにも大学や研究所だけにいるわけではない。ここにすばらい「鉄の不思議」を科学するプロがおられる。
ここに、大いなる自由研究のヒントがある。
 これからも、「村の鍛冶屋」さんからいっぱい学びたいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「風景」を読むとは

▼昨日は、ひと雨きた。
それは、はげしく冷たい空気の塊が流れ込む前兆だろうか。
それは、激しくふった。残暑に訣別するかのごとく。「上がるとザアザア」の急激版だ。
やっぽど大気が急激にあがる事情があったのだろう。
そして、やがて秋へと…。
Dscf4650▼さすが、夏休みで夕方、仕事を終えて帰るのが少しはやいときがある。それで、明るいなかを車を運転していて、ハッとする風景がある。
 それは、毎日通っている通勤路である。見慣れているはずの風景。
ふだんは帰路につくのは、真っ暗のなかであるので、意識的にみることもない。
それも、ずっとみれるわけではない、数十メートルの区間走っているときだけだけの風景である。
二箇所ある。その風景とは、南北に山裾がのびている、南にのびた山裾がちぎれたようになっていて、
そこ坂道の道路がある。
 これぞ、あの「シャッターリッジ」なのではないか。山崎断層にともなう変形地形、まっすぐにのびるはずの山裾が、断層によってずれる。ここでは左へずれている。
 その単元を学習していたときのなまかじり知識をひっぱりだしてくる。
 そのずれて破砕たところに道路がついている。それが「中国縦貫道」である。そして、もともとあったであろう側道
。それが、私の通勤路そのものなのである。
▼藤田和夫さんは『変動する日本列島』(岩波新書1985.6.20 かつて【理科の部屋】ではこれをテキストにオンライン学習会をやったことがある。)で次のように書いた。

 兵庫県宍粟郡山崎町は、このあたりの中心地であるが、その少し東にあたる夢前町から、道路沿いに古墳らしい小丘の列があるから調査してほしいという要請が兵庫県の教育委員会にあった。そこで空中写真その他の資料を集めてみると、今まで日本列島で発見されていたどの横ずれ断層よりもみごとで教科書的な横ずれ変位地形がならんでいるではないか。しかもその線が中国自動車道路の予定線になっていて、着工寸前の状態だったのである。これは、わが国における活断層研究史上、特筆されるべき事件であると私は思っている。(p69)

 これが後に「山崎断層」と命名される。
▼家に帰って、地図をみてあらためて驚いてしまった。
私の通勤路は、この山崎断層系の「安富断層」とピッタリと一致するのである。安富断層そのものの上を20分かけて毎日通勤しているのである。
 おぼろげには知っていた。しかし、あらためて認識し興奮してしまったのである。
あの「はっ」とする風景には、意味があったのである。
あの風景は、「動く大地の物語」の結果であり、なおかつその物語は「現在進行形」なのである。
 考えてみると、すべての風景に、このことが言えるのではないだろうか。
山も川も海も、すべての「風景」を読むことは、「動く大地の物語」を読むことになるのでは…。
今日の通勤から、窓から見える「風景」が、また少しちがって見えてくるかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新・「自由研究」のすすめ試論(2)

Dscf4633▼確実に風は秋に向かっている。
蝉時雨に勢いがなくなった。
私の「示準植物」 ヨウシュヤマゴボウ 色づきを増してきた。
このごろ空を見ることが楽しくなってきた。
先日来、ちょっと本格的に「整理」をはじめて、ご褒美に捜していた本をみつけることができた。
武田康男さんの『雲のかお』である。
この本には、各月の雲の写真が紹介されていて、空を見ることの楽しさを存分に教えてくれている。
いつも傍らにおいて、空を楽しんでいたのだが、転勤のときにどこかに紛れ込んでしまっていたのだ。
これがみつかったのだ。うれしい。
その本の最後に、365日一年毎日の空が紹介されている。
一日として「同じ空」はない。
▼夏休み終盤である。「宿題」をやってしまわなければ…(^_^;)
まずは『これからの「理科の自由研究」の研究』の方から、完成などということは遠い話だ。
「こうなのかな」という程度の話である。
◆新・自由研究のすすめ試論
 前にあげたことの続きである。まとめまでにはいたらないけど思いついたこと、そのときどきに「発見」したこと順序もデタラメに書き上げていこうと思う。

●【自由研究のねらい】 
 「学ぶこと」「学び合うこと」の楽しさ・面白さの発見

●最大のヒント集は「自然そのもの」である。
 多くのマニュアル本。「ヒント集」本が出回っている。それなりに面白いかも知れないが、やっばり最高は
「自然そのもの」だ。最高の教科書が「自然」そのものであるように…
●科学史・技術史は、ネタの宝庫
 人がはじめにそのもの・その現象に出会ったときの不思議感覚
 感動は時空を超えて共通するものがある。
●等身大の「不思議」「疑問」「感動」を大切にしよう。
●プロの「研究者」から学ぼう。
 そのスタイル、面白さ、スキル等々
 自分のまわりにいっぱいいるプロの「研究」家 その「発見」もまた楽しい。
 ホンモノは必ず応えてくれる。

▼「自由研究」の「不易流行」を考えてみる。
「新・自由研究のすすめ」の究極は、新・学問のすすめに行きつく。
新・学問のすすめは時代の要請である。
「知」の集積回路を手に入れつつある現代、「知恵」の集積を含めた
「新・学問のすすめ」の登場が必要。

あくまでメモ書き、覚え書き、試論の試論 だ。
  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【Web更新8/17】「蓮のページ」更新

Dscf4420 雲くだき 秋を告げたり メタセコイヤ
 08/08/15 (金)撮影@安富
楠田 純一の【理科の部屋】 週末定例更新のお知らせ
 一週間のblogの動きを、Webページに連動させます。
Webページの方も、リンク切れなど修復しなければいけないですが、徐々にやっていく予定です。

表紙画像2008 校庭のメタセコイヤ
 グランドの西にそびえるメタセコイア。まっすぐに、鋭く夏空をまるで突き刺している。あの巨岩のような夏空の雲を砕き、いつしか砂粒にしていく。
 子規の「夏雲は岩の如く、秋雲は砂の如く」を思い出す。
 多くの学校にそびえるメタセコイア。これが「生きた化石」と話題になったころ、そんなことも手伝って校庭の定番になったのだろうか。四季折々の顔を見せてくれる。
 今は、秋への最先鋒となってくれているのかも知れない。

◆「蓮のページ」更新
【大賀ハス観察日記】
 このblogで、あげている大賀ハス関係のエントリーをひろいあげてみました。
画像があがっているものは、すべてあげてみました。ずっと並べて見てみると、その成長の様子、夏の光をいっぱい吸い込み、「生産」にはげむ大賀ハスの様子がよくわかります。
 枯れの時期に入ったかと思う大賀ハスですが、まだまだ…。

◆『理科の自由研究』の研究
 このWebページも同様、前回の更新以降にblogに書き込んだものを集めた。
集めてみてわかってくるのだが、だんだんと自分の頭の中でも整理できてきている。今月までには、「新・自由研究のすすめ試論」をまとめてみたいと思う。今年度夏休みの私の宿題のひとつだから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

私の「小さな旅」

Dscf4469▼お盆休みで、帰省している次男と、校区の鹿ヶ壷に出かけた。
自宅から車で30分程度である。
学校までが、20分程度であるので、わずか10分程度 足をのばしただけである。
「旅」と呼ぶには、ちょっと憚れる距離である。
しかし、
私には、これがちょっとした「小さな旅」であった。
「旅」には、距離だけでなく「時間」の要素も含まれる。
Dscf4487▼鹿ヶ壺山荘までは、校区になってから何度なく行っている。
しかし、「鹿ヶ壺」そのものには、何十年前に一度いったきりで行ったことがなかったのである。
たくさんの人がキャンプを楽しんでいるキャンプ場をすぎて、のぼり始める。
それにしても、キャンプ場の人のにぎわいには驚きである。
そのにぎわいのわけはやがてわかりだす。
Dscf4505
急勾配の流水が造り出した甌穴が、
鹿ヶ壺である。甌穴はひとつではない、大小いくつもある。
甌穴と甌穴の間は、スロープになっているところもある。
そこは、格好の「すべり台」になっているのである。
ここにキャンプ場の人のにぎわいのわけがあった。
流水が時間をかけて造りだした「すべり台」と「壺」。
思わず、これは水着をもってくればよかったと悔やんだぐらいである。
Dscf4511▼いくつもの甌穴を過ぎた最上段のところに、名前の由来
「鹿ヶ壺」はあった。
誰が名付けたのだろう。
うまくいったものである。
鹿の寝姿にそっくりな甌穴。
鹿を想起したのは、ここでは鹿がありふれた動物だったのだろう。
そんな自然がそこにあった。
「長年の歳月をかけ自然が作り上げた造形物」
というときの「長年」というのは、どのぐらい「時間」を意味するのだろう。
自然を認識していくとき、自然をより豊かに学んでいこうとするとき
最大のハードルは、この「時間のスケール」である。
この鹿ヶ壺へ向かう道沿いに有名な「千年家」がある。
 建てられて千年を経ているかどうか別として、このときの「千年」と鹿ヶ壺の「長年」とは、「時間のスケール」が同じなのか。ちがうのか。
違うとすれば、どれだけちがうのか。
私の中には、なかなかそれがうまくインプットされていない。
これからの課題である。
▼鹿ヶ壺から千畳平まで登り、展望台、風穴へと周り帰路についた。
そこでも、とんでもないハプニング、「発見」もあった。
数時間の時空を超えようとする私の「小さな旅」だった。
 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

これからの「授業」を構想する

Dscf4409▼お盆であったが、できていない「宿題」を少しでも解決するために登校だ。
「空間」の整理・「情報」の整理からである。
「空間」の整理からはじめて、私が陥りやすい失敗。
それは、一挙に「空間」の整理から、「思考」の整理に 飛躍しようとしてしまうことだ。
思いに耽ってしまうというやつだ。
時間は、どんなに悔やんでも、努力しても逆行・遡行はしない。
ただ、時間を「つなぐ」ことはできる。
もどりようのない「時間」と今の「時間」をつないで、
未来の「時間」へつないでいくことはできる。
▼少し、「空間」の整理をと、机の中の整理と それから理科室の整理を試みた。
これは試みた。
整理をしたのではない、ちょっとそれはほど遠い。
少し片づけながら、2学期からの授業を考えた。
■【電流と磁界】
一学期のあいだに、終わりまでいきたかったが「究極のクリップモーター」でストップしている。
最後の「電磁誘導」「発電機」の授業が残っている。
少し、実験器具の確認も含めて、「電磁誘導」の実験を汗をふきふきやってみた。
面白い。やっぱり不思議だ。
なんで、コイルと磁石だけで なんで電流が流れ出すんだ。
感動である。ファラデーの感動を どう再現するか。伝えるか。(・_・)......ン?

■【動物の世界】
 次は、「動物の世界」の単元である。
これは、これまでは、得意とする単元だった。しかし、今見てみると記録もあまり残していない。
 今一度、頭 さらにして、授業を構想してみよう。
 ネタ揃えも、今からはじめなければ…。やっぱり少し「あせる」。

今年度中を考えただけでも
■【化学変化】
■【天気の変化】

とつづく。
 楽しみではあるが、少し「整理」を急がねばという気持ちも強まってくる。
理科室という「空間」の整理も…。(^_^;)
▼ちょっと気分転換に、真昼の散歩を短時間やってみた。
 灼熱のグランドから少し遠のいた感じがする。どこか、秋の風がまじっている。
ゆれる栗の実りが、それを教えてくれているようだった。
 夕方からは、帰って「お墓参り」をした。
 久しぶりに揃った家族との食事は、楽しいひとときであった。

 こうして今年のお盆も、過ぎていった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

枯れはじめた大賀ハス

Dscf4358▼私のこの夏のひとつの観察テーマ「大賀ハス」が、枯れはじめた。
5/17(理科ハウスオープンの翌日)に発芽処理をした、大賀ハスの実。
あれよ、あれよという間に、成長していった。
そして、特製(炊飯器の釜(^^ゞポリポリ)の鉢に植え替え、どんどん葉の芽が出てきて
今は、20を越える数になったのでは・・・。
それらは、真夏の太陽の光を受け、「生産」を繰り返した。
どれだけの「生産物」を蓄積したかは、来年の春にあきらかにする。
楽しみである。
 花にはいたらなかったが、植物がいかなる生物であるかを教えてくれた「大賀ハス」。
それが、少し「枯れ」の時期に入ってきたようだ。
 もう新しい芽をだすことはないような気配だ。
▼この「大賀ハス」の観察にあわせて、今年の夏
私は、時空を超える大賀ハスを追う旅に出た。
大賀一郎先生が、
『府中はハスのメッカなり』
と言われる。その「府中」、お住まいになっていた「府中」へ行ってみたのだ。
府中に滞在したのは、数時間にすぎない。
しかし「ひょうたん池」のほとりに立ってみて、
時空を超えて、ルーツ「大賀ハス」にであった気分になった。
翌日は、理科ハウスの「大賀ハス」に出会った。
我が家の兄弟分「大賀ハス」にであった。ずいぶんと「ゆったり」とくらし 成長していた。
今度 この月末には、直系先達「大賀ハス」に、和歌山の阪本さんのところで出会う。
楽しみである。
時空を超えた「大賀ハス」を追う旅は、まだまだ続くのである。
▼大賀先生の晩年のことばに
『ハスは平和の象徴なり』
というのがある。
今日、8月15日
私たちにとっては、特別の意味をもつ日
我が家の「大賀ハス」は枯れはじめたが
この「大賀ハス」の営みからのメッセージはしっかりと受けとめたい。

生命の営みは 時空を超えて 輝く

| | コメント (0) | トラックバック (0)

もうひとつの「宿題」は

Dscf4342▼ 昨日は、久しぶりに学校の定例の散歩コースからはなれて、モリアオガエル「観察池」の方に行ってみた。
あきらかに、季節がうつりかわろうとしているのを感じた。
空の雲は、うすくなってきて、さらにはそこをトンボたちが飛んでいる。
 観察池には、オタマの姿はもちろんない。あいからずイモリくんたちが、ときどき水面にあらわれてきている。
水面では、大きなアメンボが、「大運動会」を展開している。
(゚o゚)ゲッ!!アメンボってこんなに速く動くんだったのかな。
おそろしいスピードだ。「狩り」をしているんだろうな。
数分間だけの「観察会」だった。
▼夏休みが折り返し点をすぎて、ペルセウス座の流星群の観察があって、そしてお盆に突入して…。
何十年と繰り返してきている「夏休みのパターン」だ。
このころになると、きまって「宿題」が気になってくる。
夏休みの残りの日数と、残っている「宿題」を見比べてみる。
ちょっとあせる気持ちがうまれてくるのもこのころである。
▼自分に課した「宿題」は、大きくは2つであったはず。

●夏休みにしかできない「学び」「学び合い」を楽しむ
●空間の「整理」・情報の「整理」をすすめる。

 前者の方は、「これからの理科の自由研究の研究」をはじめとして、けっこうすすんできているように自負している。
 問題は、後者の方である。
後者についても夏休みバージョンがあったはず、学期中にはなかなかできていなことを、時間をかけてやってしまっておかなれれば…。
 ここへ来て、「あせる」気持ちが出てきた。
 今日、明日と学校につめて、ここのところ「集中」してやってみよう。
よし p(^^)qガンバッテ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「自由研究」を「学習指導要領」に読む。

Dscf4326▼昨日の夕方は、今日からのお盆に備えて、お墓に灯籠をもっていった。
今日の夕方から、「お墓参り」がはじまる。
ところによって、あるいは宗派によってこんなのちがうだろうな。
お墓に行くと、例のクサギの花の「遅れん坊」がいたり、
クズが熾烈なる「光とり競走」の現場を見せてくれたり、
セミの抜け殻を発見できたり、アリ地獄をみつけたり…
お墓参りを科学する なんていうのも面白いテーマかも知れない。
もう少し、わくを広げて 「お盆を科学する」も面白いかも。

戦後最初の「学習指導要領」(昭和22年)(文部科学省ページより)に「自由研究」が登場しているということで、それをあらためてみてみた。

 たしかに、「自由研究」が登場している。戦後の新しい教育の意気込みかも知れない。
教科と同列に週時間も割り当て考えられている。
それは、「教育の一般目標」「一 個人生活については」にあげてある次のようなことと深く関係しているのかも知れない。


2.自然と社会とについての見方考え方を科学的合理的にし,いつもこれらについて研究的に学んで行こうとする態度を持ち,またこれによって科学的知識を豊かにして行くようになること。

さらに具体的に見ていくと、次のような文章に出会った。
ここに,自由研究の時間のおかれる理由がある。たとえば,鉛筆やペンで文字の書き方を習っている児童のなかに,毛筆で文字を書くことに興味を持ち,これを学びたい児童があったとすれば,そういう児童には自由研究として書道を学ばせ,教師が特に書道ついて指導するようにしたい。つまり,児童の個性の赴くところに従って,それを伸ばして行くことに,この時間を用いて行きたいのである。だから,もちろん,どの児童も同じことを学ぶ時間として,この時間を用いて行くことは避けたい。

ちょっとちがうようである。
今、私がここで考えたい「自由研究」のことではなさそうである。
それは、別にしても、戦後のスタートの学習指導要領というのは、いちど見ておくに値するものである。
なお、この「自由研究」は昭和26の改訂では姿を消している。
▼私の文脈「これからの理科の自由研究」にもどる。
新学習指導要領を読んでみる。中学校理科編(文部科学省ページより)に限定でである。
この最初の部分と、最後の部分を一緒にみてみる。

第2章 各教科 第4節 理科

第1 目標
 自然の事物・現象に進んでかかわり,目的意識をもって観察,実験などを行い,科学的に探究する能力の基礎と態度を育てるとともに自然の事物・現象についての理解を深め,科学的な見方や考え方を養う。


第3 指導計画の作成と内容の取扱い

4. 各分野の指導に当たっては,観察,実験の過程での情報の検索,実験,データの処理,実験の計測などにおいて,コンピュータや情報通信ネットワークなどを積極的かつ適切に活用するよう配慮するものとする。

ここに、すこし「これから」のヒントが含まれているように感じるのだがどうだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

南方熊楠と「研究」

Dscf4307▼昨日の朝から、一昼夜 人間ドックに入っていた。
ポンコツの総点検である。
 ネットや「世間」から少し隔絶された世界にいっていた。
でたら、いっきょに秋がやってきているかと思ったが、そんなことはなかった。
昼は、やっぱり 夏の空だった。

▼ ずっと、気になっていたことがある。
まとまった時間がとれれば、集中してと思っていた。そのチャンスだった。
それは、ある人物のことについて、「シロウト調べ」をやりたかった。
気になるその人物とは、「南方熊楠」のことである。
学生時代だと思うが、ちょっとしたブームだったか、彼の著作集が本屋の棚に並んでいたのを記憶している。
柳田國男全集(読んだわけではない)を手に入れるのがやっとで、ここまでは手が届かなかった。
その程度である。
この特異な名前(楠が入っているのでなおさら)と、柳田國男と交流があったということで名前ぐらいが、頭の片隅に残っていた。
それぐらいで、そのままだった。
ところが、ここ1~2年のあいだにうんと気になる存在となった。
 一介の中学教師の「気になる」と言っても、深い意味があるわけでない。
ちょっと気になる歌手がいるという程度の問題なのである。
▼近くでは、まず「ヒガンバナ」についてである。「日本ヒガンバナ学会」でもお世話になっているリコリスさんの著書『ヒガンバナの博物誌』に、熊楠の書いた「石蒜の話」が紹介してありました。
 これをなんとか全文読みたいと思った私は、和歌山の阪本さんにお願いして、コピーをして送ってもらいました。
実に面白かったです。なんともヒガンバナへの思い入れが伝わってくる文章でした。
 これも雑誌の元旦号に発表したと言うことで、そのころの「ヒガンバナ」に対して人々が抱いてイメージからすると、この人が如何に「ヒガンバナ」に惚れ込み、ヒガンバナの味方になろうとしたかがわかろうというものです。
この人への気になり具合は増してきました。
▼そして次が、昨年の秋から今年の冬にかけて東京ワタリウム美術館で行われた『クマグスの森展』。その期間中に「池上高志×茂木健一郎の講演『熊楠の頭の中』」があったのです。
 これは、茂木健一郎の「クオリア日記」で今も聴くことできると思います。(これをやってくれるだけでも、私は茂木健一郎さんはすごいと思っています。)
(※また詩と批評『ユリイカ 特集・南方熊楠』でも読むことできます。)

 いちばん、最近では、今年の夏の「山桃忌」での吉川先生の『柳田國男と南方熊楠』の講演です。
▼資料本とICレコーダーを持ち込んで、「熊楠」に集中してみました。
とは言っても輪郭をたどるにすぎません。
74年の生涯の簡単な年表もつくってみました。
成果は…(^^ゞポリポリ
そんなもの、なかなか
「知の巨人」は、そうやすやすと姿を現してくれません。
私などには、いつまでたっても「出会えない」かも知れません。

でも、少しだけわかりだしたことがある。
「熊楠」のイメージが変わってきました。

「知」の集積回路を手に入れてしまいつつある我々に
「それだけでは…」と言ってくれているようにも。

学問・研究にひじょうに純粋なものをもっているように思えた
究極は『南方マンダラ』
これは、なんだ。
ますます興味はますぱかり…。

▼もっと、もっと自分に引きつけて等身大に語ろう。
熊楠に「出会う」とは、何を意味するのだろう。
なにを 学べばいいのだろう。
とんでもないことをいいだそう。モノを知らぬシロウトの強みだ。

◆彼の粘菌の「研究」
  と 
 理科の自由「研究」の
 「研究」はちがうのか。

私は、同じと言いたいのだ。本質は同じであると。

では、その本質とは…。


 


| | コメント (2) | トラックバック (0)

【Web更新8/10】『「理科の自由研究」の研究』更新

Dscf4127 ツバキの実 秋へ色づく 西の藪
 08/08/08 (金)撮影@安富

楠田純一の【理科の部屋】 の定例更新のお知らせ

一週間をふりかえりながらの更新である。
このblogへアクセスしてくださる方が、一日の平均が100人を越えるようになってきた。
夏休みであることや、旬の「夏休みの自由研究」のことを書き込んでいることが多いからであろうか。
いずれにしても「情報は発信するところに集まる」ということなれば、うれしいな。

表紙画像 校庭の樹木シリーズ ツバキの実
 8月7日(木)が立秋であった。これは暦のうえでのこととばかり思っていた。
しかし、空をみていると、あきらかに変化している。大きな「岩」が、あきらかに砕け「石ころ」「砂」に向かっている。
吹く風も…。どこか「秋」を知らせているようにも。
 そうしてみると、あらためて 先人たちの「観察眼」に驚く。
 道後公園でみた、ツバキが印象に残っていた。そこで、我が校庭にもと捜してみていた。
それは、ごくごく身近にあった。毎日の散歩道にもあったのである。
 かま からだしたての焼き物のように、それは秋へと色づいていた。とても素晴らしい色具合だ。
自然がつくりだす「作品」は、たとえようもなく美しい。

「理科の自由研究」の研究 更新
 この一週間は、私自身の自由研究のテーマ「これからの理科の自由研究の研究」について考える機会が多かった。この一週間blogを、Webの方に貼り付けておいた。
 「理科の自由研究」の「これから」を考えていると、なにかいつか「理科」のこれからを考えているような気がしてきた。もっと言えば「授業」「学校教育」「学問」のこれからを考えているような気がしてきた。
 「学び」のスタイルが大きく変わろうとしているのではないだろうか。
 変化のときにあっては、原点が大切である。
 「自由研究」の原点と「学び」の原点とはある部分一致するはず。

遅々たる歩みになろうとも「これから」を考え続けてみよう。


 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

人から「学ぶ」ことは楽しい

Dscf4156▼昨日は、楽しみしていた内山先生の「自由研究」についてのお話を聞きに行った。
久しぶりにお会いする先生は、理科を楽しんでおられた。
これは、講演というよりは、私にとって「授業」にちかいものであった。
「授業」を受けて、実に多くのことを学ばせてもらった。
ここにも「空気」があった。
あの、理科ハウスにただよっていた「空気」と同じものが。
次々と繰り出されるネタをみながら、
(゚o゚)ゲッ!!
?(゚_。)?(。_゚)?
を繰り返した。
「空気」をいっぱい吸っていたら、やがてさび付きはじめた脳に刺激が伝わってきたような気になった。
▼繰り返し出てくるフレーズがある。
『失敗が大切』
『失敗の記録こそが…』
『プロの研究者も同じ…』
繰り返されるたびに、納得である。
☆康☆ヾさんにも、出会った。ずいぶんと久しぶりにお会いした。
我が「ネットの師」である。ずいぶんとお世話になってきた。
いつまでたっても初心者の私に、いろいろ指南いただいた。
しかし、不思議なものである。
10年近くお会いしていないはずなのに、その時空は一挙に超えてしまうのである。
点と点の出会いではずなのに
それは線になり、面になり 「空気」漂いはじめ 「世界」になってしまう。
▼新しくお出会いした人もある。
「学ぶ」人には、輝くものがある。
「学び合う」ことのすばらしさ、楽しさを知っておられる人は、
それぞれの「空気」をもっておられる。

こんな「空気」のなかから「これからの自由研究」も生まれてくるのだろうことを確信した。

こんな企画をしてくださり、遅くから無理を言ったにもかかわらず、参加を許可していただいた
t-nishiさんに感謝します。深謝。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

講演『親子で楽しむ生き物のなぞ』を聴きに

Dscf4125▼昨日の朝も、蝉時雨のなかを、定例校庭散歩を楽しんだ。
それにしても、この「蝉時雨」って、誰がいつごろいちばんはじめに言い出したんだろう。
うまく言ったものだ。あの「シャワー」の感じは、夏そのものだ。
すぐれた自然観察者は、すぐれた「自然表現者」でもあるんだろうな。
 散歩の出発点の坂道をのぼりはじめると、左手に「小さな秋」をみつけた。
ヨウシュヤマゴボウが色づきはじめた、ワインカラーに…。これが熟するに従って秋がやってくる。
私にとっての「示準植物」のひとつだ。
空の雲も、大きな岩がくずれて砂に向かっている。
「蝉時雨」のなかではあるが、確実に空気は秋に向かっている。
▼夏休みも「折り返し点」をすぎた、今日。(8月9日)
わくわくするようなことがある。
それは、内山裕之先生の講演『親子で楽しむ生き物のなぞ~理科自由研究の仕方・自然の探求の仕方教えます~』を聞きに行くのである。
主催するのは、なんとあの「理科の自由研究室」の西川先生だ。なんと、贅沢な講演会だ。
さらには、【理科の部屋】でもずっとお世話になってきた康ちゃん先生も参加されて懇親会もあるという最高の会がもたれる。\(^o^)/
▼今年の私の自由研究のテーマは「これからの理科の自由研究の研究」だ。
そのテーマにピッタリの講演会である。
 これまでにも、いっぱい教えてもらってきた、この道の先達たちからいっぱい吸収してきたいと思う。
どんな話題が飛び出してくるのか。と、それを考えると楽しみでわくわく気分になるのである。
さあ、…。o(^o^)o ワクワク
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

blog版「はしりもの・かわりだね」の可能性は

Dscf4113▼昨日、立秋の日の朝、私は出勤前の一時間ばかり、お墓のそうじにでかけた。
毎年の恒例の行事である。
 このときに、ちょっとした「楽しみ」をつくっている。
それは、この墓への道端と、墓の入口に、「クサギ」という木が、ちょっとした群落をつくっている。
この「クサギ」を観察するのである。
この「クサギ」を意識的にみるようになったのは、Web版「はしりもの・かわりだね」で、四国の蜂蜜さんに画像を送っていただいたころからである。
▼雑木林のなかで、「ありふれた」存在である「クサギ」。
その「クサギ」に花が咲く。それも、きわめてドラマチックな咲き方だ。
面白い、そんなこと知らなかった。
 こんな目立つところに生えているのだ。毎年、きまってここへきているはず。
それまでにも、何度となく眼にしてきていたはず。
それなのに、「みてはいなかった」のだ。
クサギのドラマは、花が咲くときだけではない。
秋も深まり10月~11月ごろになると
なんともみごとな「天然のブローチ」ができるのである。
みごとな藍色の実は、真っ赤に染まった萼の中心にできる。
その色のコントラスト、
そして花が咲くときのドラマを想起すると、何倍にも楽しめる。
▼こんな楽しみを教えてくれた四国の蜂蜜さんとは、ヒガンバナを追いかけるなかで
オンラインで知り合った。
 童話作家志望の蜂蜜さんの自然を観察する眼は、どこかやさしく
かつ、するどく 自然界でおこる「ドラマ」を見逃さなかった。
教えられるところいっぱいであった。
今年もまた、「日本ヒガンバナ学会」でお世話になるかな。
▼こんな蜂蜜さんや、和歌山の阪本さんたちにお世話になって、夢中になっていた
Web版「はしりもの・かわりだね」は、いつしかblogに移行してしまった。
もともと、教室での実践からはじまった『はしりもの・かわりだね』の実践。
これが、Webの進化とともに、どんな展開が可能なのか。
blog版「はしりもの・かわりだね」の可能性は
あらたなSNSでの可能性は 
どんなコンヴィヴィアリティな世界を現出させてくれるだろうか。

考えるだけでも、わくわくするような話だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自由研究は、一生の「宝もの」のはじまり

Dscf4104▼今日は、立秋だ。
朝起きて、門先に立ってみた。
そう言えば、少し風に「秋」が感じられるかな。気持ちの問題かな。(^^ゞポリポリ
それにしても 24節季なんて うまく考えたものだ。
これぞ、先人たちの 
究極の自然観察の産物である。
なるほどと合点するばかりである。
▼今年の私の自由研究のテーマ『「これからの理科の自由研究」の研究』を考える時間が少しずつ増えてきている。
「ばっかり」主義になってしまうと、やらなければならないことが山積みになってしまってあとがたいへんなんだが…。
 まあ、このblogを書くときぐらいは「自由」かな。
 私自身の自由研究の思い出は、あまりない。
今の、小・中学生の保護者ならば、この「自由研究」についての思い出あるだろうな。
それを、自分の子どもに話すなんてことあるのかな。
 話してあげたら、子どもたちのモチベーション、うんとあがってくるだろうな。
親の自由研究のテーマを、引き継いで子どもたちがやるなんて、そんなことがおこっても面白いだろうな。
▼もう、ずいぶん前になってしまったが、「科学の祭典」や「お楽しみ広場」なんかに出展していたとき、
子ども向けに、実験を紹介するのだが、結局いちばん夢中になってやるのが親御さんだ。
そんな体験から、察すると、みんな「学び」たがっている。
 人間いくつになっても、学ぶことに対する意欲は消えることはない。
 学ぶことは、生きることそのものなんだ。
これも、少し以前になるが、自分で「自由研究」の課題を出しているころ、作品のなかに、明らかに子どもと親の共同作品のようなものがあって、その評価に困ったことがある。
 それも翻って考えるに、とてもいいことかも知れない。
 親子で、共同して不思議を追いかける。科学する。とても楽しいではないか。
▼夏休みこれからの「自由研究」を考えていたら、
それはいつのまにか、これからの「学び」を考えることに行き着いてしまう。
 自由研究は、ひとつのきっかけに過ぎない。
 このときの「不思議」追いかけ 
 「謎解き」が
 ひょっとしたら一生の「謎解き」のはじまりかも知れない。

「へぇー 自然って面白いな」「もっとこのこと知りたいな」
?(゚_。)?(。_゚)? 疑問
(゚o゚)ゲッ!!   感動・発見
それは、きっと一生の「宝もの」となるはず。
▼ 今日は、お盆がちかいから 今から 墓掃除だ。
掃除だけではつまらない。
私も 疑問・感動・発見をさがしてくるぞ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「日常」にこそ、科学はある。

▼できるだけふだんの「生活」のリズムを取り返したい。
それには、決まった時間に決まったことをすること。
それが一番だ。
朝の2つの「散歩」これは、定番メニューだ。
季節の移り変わりも、日の出の時間のちがいも
ときには、それは自分自身の心の変化すら見えてきたりする。
私にとっての「散歩」は、変化をする自然を観察するため(ときには自分の心の変化をみるため)の
「座標軸をとる」ような営みである。
Dscf4049▼確か、明日、7日は立秋ではなかったかな。暦の上で秋である。
こんな暑い、暑い毎日なのに「秋」だなんて
でも、よく「観ている」と、小さな秋は確実にやってきている
栗は確実に実をつけ生長し、
ツバキの実は色づき 
空は、どうだろう 
まだ、まだ モクモクとした雲だ。
垂直方向移動の雲だ。「上がるとザアザア…」の雲だ。
これが、水平方向移動の雲になったら 秋はやってくる。

子規は「夏雲は岩の如く、秋雲は砂の如く」と言ったという。
なんという観察眼だ。
Dscf4080▼朝方から「岩の如く」を見ていたので、
またしても、思っていたら やっぱりそうなった。
「上がるとザアザア…」の実験が目の前展開されてしまった。
遠くでは カミナリまで鳴り出した。
そうだ。
私たちは、この「大気の大物理実験室」で生活しているのである。
特別の実験道具が必要なわけでも
ただ、ただ「ていねいに」空を、雲を みているだけでいい。
ここにもと言うか、ここにこそ「科学」の始まりがある。
自由研究ネタなんて、そこらにゴロゴロしているだ。
それは
「日常」のなかにこそ、科学はあるのだから!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新・「自由研究」のすすめ試論

Dscf4024▼気がついたら、いつのまにやら夏休みも折り返し地点が近づいている。
いつものパターンである。何十年と繰り返してきたパターンだ。
「今年こそ…」という思いも、持続できるは7月いっぱい。
ここへきて暑さも手伝って、「今年こそ…」と決意したのは、なんだったけというありさまである。
(^^ゞポリポリ
▼今年の夏休みが、これまでとは、ちょっとだけちがうすれば、このblogを毎日書いているということかな。
少しだけ、自分をほめてやろう。そしたら、ちょっと次の勇気がうまれるかも知れない。

「今年こそ…」ってなんだったかな。こんなとき有効だ。
一番にあげているのは「学ぶ」「学び合う」ということだ。
時空を超えた旅のおかげで、いろん人にお会いして楽しく学べている。ありがたいことだ。
もうひとつは「整理」だったはず。
これは、これからピッチあげていこうと思う。
▼さて、ここへきて気になってきていることが、もうひとつある。
それは、「理科の自由研究」の研究である。これが、私の今年の自由研究のテーマである。
 これからの時代の自由研究を模索する。
究極的には「新・「自由研究」のすすめ」を書くことであり、提案することである。
それは、さらに究極を言うならば「新・学問のすすめ」を書くことである。
浅学無知なる私には、途方もない大風呂敷、オオボラふきなのかもしれない。
しかし、やりたい仕事だ。
▼何度も触れているが、繰り返す。私は、10年前の雑誌の原稿
◆お勧めスポットとこれからの「自由研究」にこれからの「自由研究」のすすめかたとして、次の4つを提案している。

(1) 研究の成果をデジタル処理をしていく。 ・デジタルカメラの活用(処理、加工・保存性・共有性にすぐれている。)   ・共通ソフトの使用によりビジュアルで説得力のあるまとめが可能。   ・研究の蓄積が可能(何年もかけた自由研究も可能になる。)

(2) インタラクティブな研究の可能性を追求する。
  インターネットを利用したテーマに関する情報収集からはじまり、研究の過程においても、電子ネットワークの活用してその道の研究機関・専門家への問い合わせをするなど、これまで以上に広範囲のなかでの「学びあい」のなかから研究をすすめていく。

(3) 遠隔地との共同研究を実現する。
すでに、「学級・学校間交流」などで、いくつか先行する実践例のある「共同研究」を、生徒個人のレベルでも実現していく。それは、すでにプロの研究者たちが実現している手法でもある。ネットワーキングとしての「自由研究」の具現化である。

(4) Webページ上に研究発表(情報発信)をしていく。
上記のことをふまえるなら、自由研究の成果をWebページ上に発信していくことは、きわめて有効な方法と言えるだろう。

 それから10年。Web2.0時代と言われだしてからも、年月が経過しようとしている。
時代はまちがいなく、この提案をより容易に具現化することができるようになってきているのではないだろうか。
児童・生徒の「研究」スキルも向上し、ネット環境も整備されてきている。
調べものは、おおきな図書館までいかなくても、ネットで検索すれば、海外論文だって入手可能だ。

こんな時代にあって「新・「自由研究」のすすめ」はきわめて必然ではないだろうか。
今ほんとうにほしいのは、モデル研究だ。(私が知らないだけかも知れない)

●最高のヒント集は、自然そのものだ。!!
●すべての感性の窓を開いて 謎をみつけよ 「謎解き」こそ科学だ。!!
●「学び」は面白く楽しい! 「学び合い」は、もっと面白く もっと楽しい!! 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【Web更新8/3】「理科の自由研究」の研究

Dscf3773 いにしえの 灯り汗かきて ハゼの実や
  08/07/29 (火)撮影@安富

楠田 純一の【理科の部屋】 定例更新のお知らせ
夏休みの一週間は、なんともはやいものである。この一週間も、いろんなところに移動した、そこで多くの方にあった。同時にそれは多くの「学び」があったということでもある。うれしいことである。
「週記」が生きるような、週末定例更新でありたいと思っている。

表紙画像2008 校庭の樹木シリーズ ハゼノキ
 どうも、私がこれまでに頭に勝手に描いていた季節の移り変わりと、実際の自然の移り変わりのスピードはちがうような気がしてきた。クリの尾のような花は梅雨時で、そして秋になって忽然として、それはあのイガグリの栗のイメージあったのだが、実際は、この夏にすっかり栗はできてしまっているのである。
 見ているようで、なにも見ていない、見てこなかったことが恥ずかしい。
でも、それを「見えたとき」の新鮮な感動は もうけもんかな。

 恥ずかしいと言えば、先週に表紙画像
◇球児に しばしの涼 スズカケの
 08/07/23(水)撮影@安富
だが、その後いろいろ見ていると、「スズカケの」は誤りではないかと気づいた。
なんといいかげんな。(^^ゞポリポリ
これは、「アメリカフウ」だろうとおもいだしたのだ。
そこで、上記を
◇球児に しばしの涼 フウの影
 08/07/23(水)撮影@安富
にして、画像集にしまい込んでおくことにする。
これまでにもよくあったのではと思うと、恥ずかしい限りだ。m(__)mペコリ
まあ、これを繰り返しながら、少しずつ「樹木」と仲良しになっていきたい。

今回は、ハゼノキだ。大丈夫かな。ずっと、気になっていた。散歩道にけっこう多く見かけるのだ。
それも、けっこうたわわな「過去の実」も残しているように見える。
葉が色づく季節も楽しみである。それから、これが、枯れたころに「収穫」に挑戦してみようかな。

◆「理科の自由研究」の研究 
いよいよ自由研究の旬の季節である。
 このページをつくってから、ここまでにこのblogに書き込んできたことを、プロットしてみた。
そうしてみると、自分が意図していることが、自分で少し見えてきたような気がする。
新・「自由研究」のすすめ試論 を書く必然性を少しずつ感じてきている。

 この一週間、興味はどこへ飛んでいくかわからない。
さて、どうなることやら。 o(^o^)o ワクワク

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「理科の自由研究」最大のねらいは

▼昨夜、MLで山口県の寺田勉先生が

2009年春のスギ花粉飛散量は、過去22年間で「2~3番目に多い年」になりそうです。
飛散量の原因因子はいろいろあると思いますが、前年の7月の気温が一番関係していると考えています

という情報を発信しておられた。
先生は自らのHP「わくわくどきどきサイエンス」
20年あまりにわたり、スギ花粉飛散量を測定し、スギ花粉カレンダーの形式情報発信してこられた。
その「研究」にもとづく予想である。この「研究」の継続性、ネットを駆使されていることの先駆性に感動するばかりである。
 私は、この山口先生の「研究」に、これからの「自由研究」を考えるときのヒントがあると思う。
▼自由研究の「歴史」についての論文
◆『理科の自由研究の系譜と附属小学校における児童の意識』(安藤, 秀俊 海野, 桃子 福岡教育大学)
を紹介したことがある。
 そこには、自由研究がどのように変遷をしてきたか。
また、それぞれの時代背景、社会背景を受けながら今日まできていることがわかって、とても興味深い。
この論文の末尾にも書かれていることであるが
 「理科の楽しさを知る手段として」の自由研究を考えて、今日の理科教育に生かしていきたいものである。
▼そこで、私の結論である。
自由研究の最大のねらいは 学ぶことの面白さの発見 である。
ぜひ、この自由研究を機会に、学ぶこと、知ること、研究することは こんなにも楽しく面白いものなのか、ということをぜひとも発見してほしいのだ。
 うまくまとめるとか。何々の賞がもらえるとか。そんなことは、二の次三の次である。
ときには、この研究が一生つづくものの「はじまり」になるかも知れない。
理科・科学の面白さ、楽しさは、それに充分に耐えられるものである。
それは、確信がある。
 みんな どんな「面白さ」発見しているかな まだ迷っているかな。
Dscf3957▼私も継続観察をつづけておこう。
大賀ハスだ。
「波瀾万丈期」である。
まだまだ、あらたに芽をだしてきた葉もある。
我先にと
「もっと 光を!!」を受けんと立ち上がり他の葉を覆い隠そうとするものあり
その役割をまっとうし、枯れゆくものもある。
それぞれに「波瀾万丈」である。
そして、真夏の太陽から いっぱいエネルギーを吸収し
「生産」を繰り返す。
二酸化炭素と水を原料として 栄養を「生産」する。
なんと 偉大なる営みだ。
何十億年と繰り返して営み 
すべての営みは ここに起因する。
そんな眼で 大賀ハスを再度みていると 
愛おしくもなり 「おまえ すごいな!!」と声をかけたくなる。
やっぱり、そうだ。
「発見」はここにもある。\(^o^)/

| | コメント (2) | トラックバック (0)

『思考の整理学』を読む。

▼ここのところまとまった時間をとって本を読むことが少なくなった。
「知的生産の技術」を読む のなかでも、何度か確認してきたことがある。
「本は、自らの文脈なかで読むべきである」ということである。
だから、その「自らの文脈」が、そこにいっていないときは、「寝かせて」いる。
この本『思考の整理学』(外山滋比古著 ちくま文庫 1986)このタイトルに惹かれて、購入して寝かせていたものだ。ここのところちょっと出かけることがよくある。
電車に乗ったときや、目的の会場で時間待ちなどという「すき間時間」ができることがある。
そんなとき用に携帯していたのだ。
▼実に面白い。
帯に「もっと若い時に読んでいれば…」そう思わずにいられませんでした。 と読者の感想が書かれている。
同感である。(゚゚)(。。)(゚゚)(。。)ウンウン
「1986年発売以来の超ロングセラー」とも書いてある。納得できるはなしだ。
なにが面白いのか。説明するのは、なかなか難しい。
ひとつは、これが、22年前(正確な初版、文庫化する前は1983年だから、25年前)、四半世紀も前に書かれたものとは信じがたいというところだ。
 まるで、今の今 を語っているのとしか思えないエッセイがつづく。
ひとつ、ひとつのエッセイ文が独立していながら、それぞれがリンクしあっている。
それぞれは、独立している。
これは、blogのひとつのエントリーのようである。
脱線するが、この人がblogを書いていたら、さぞかし面白いものだろうな。
「お気に入り」にでも登録しておきたいな、検索かけてみたが、今のところみつけ出していない。

それぞれが、つながりあいながら、今の私の文脈にあう「メッセージ」をとどけてくれている。
いたるところで、「学校教育の今日的役割」についてもふれてくれているのはありがたい。
それが、繰り返すが四半世紀前というのが…。なんとも
まあ ホンモノは時空を超える ということで納得することにしておこう。

「すき間時間」用読書に、この人の本用意しておこうと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

8月の朝、「子規」の世界にたつ

▼8月がはじまった。
7月から8月へ、同じ夏の月
時間も連続している。
空もつながっている 空気も大気も連続しているはず
でも ちがう
なにかがちがう。
「8月」 この世のなにかも飲み込んでしまったような月。
どの月よりもいっぱいの余韻を残す月。
Dscf3831▼そんな「8月」のはじまりの朝
私は、子規の世界の片隅に立っていた。
一さじの アイスクリームや 蘇る     正岡子規
こんな俳句の懸垂幕たれさがった「子規記念博物館」の前に立っていた。
 道後公園の入口である。私は、子規についてあまりに無知である。
いったい「正岡 子規」とは何ものなんだろう。
下手な俳句もどきをつくりだして 少しだけ意識しだした人間。
35年の生涯であったこと、今回はじめて意識的に知った。
なんと短い生涯であったのだろう。あの写真に残る風貌、その知名度から、勝手に思いこんでいた。
病弱であったが、そんな凝縮した生涯であったとは・・・。
時間は、朝の6時すぎ、館にはいることもなかった。
前に佇んだ。というだけの話。
だが、それだけでしばしのあいだ、夏の「子規」と出会った気分になった。
Dscf3892
公園をあがり、展望台までいってみた。
途中の色づきはじめたツバキの実が なぜか気になった。
▼そのあとに「坂の上の雲ミュージアム」
ふたたび、「子規」にであった。
 また、いつか この不可思議な魅力をもつ「この人」出会うことがあるだろうか。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年7月 | トップページ | 2008年9月 »