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「日記と記録」(4)記憶せずに記録する

▼昨日は、高校の卒業式に出席させてもらった。感動あるすばらしい式だった。竹は節をもつことで、しなやかな強靱さをもつと言われる。人生における節目の儀式(セレモニー)は、それぞれの季節のもつ意味を深くかんがえさせる機会にもなっている。
 家に帰ると、昨日も続いてAmazonから本が届いていた。n_shuheiさんが紹介してくださった梅棹忠夫の『日本とは何か』(NHKブックス 1986)である。あの梅棹氏が、視力喪失中に出版したという本である。私には、あまりにも巨大なテーマである。まずは「つん読」で寝かせおきたい。
▼『知的生産の技術』を読むを続ける。科学者と「記録」のところへ来ている。そこで再び思い出したのが、森山和道さん
の書かれた文章で『研究者の方々へ、ウェブ日記のすすめ』である。このblogにおいても今年の1/5の記事で紹介している。何度読みかえしても、ここの「日記と記録」を考える意味においても示唆に富む文章である。
▼梅棹の文章にもどる。みごとなフレーズというか、コピーというか、が出てくる。「記憶せずに記録する」である。
すばらしい言い切りであり、決意表明だ。

観察と記録の時間のずれは、みじかいほどよろしい。(P169)

とまず、そのリアルタイム性を強調する。そして
記憶というものはほんとにあてにならないものである。どんなに記憶力のすぐれた人でも、時間とともにその記憶はたちまち色あせて、変形し、分解し、消滅してゆくものなのである。記憶の上にたって、精密な知的作業をおこなうことは、不可能にちかい。記録という作業は、記憶のその欠陥を補うためのものである。ものごとは、記憶せずに記録する。はじめから、記憶しようという努力はあきらめて、なるだけこまめに記録をとることに努力する。これは、科学者とはかぎらず、知的生産にたずさわるものの、基本的な心得であろう。 (P170)

とつづける。なんという説得力だ。等身大の語りで、普遍的な提言である。
Web2.0時代にあっても、さらに未来においても、「知的生産」が人の営みであるかぎり通用する大原則である。
▼先ほど外に出た。今日も「天からの手紙」が届いている。さて、今日は何を「記録」する日となるのだろう。

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