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あの朝から13年が。そして…

▼1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒。あれからちょうど13年経った。あの瞬間も、私は今と同じようにパソコンの画面に向かっていた。朝起きて、【理科の部屋】に向かうことは日課であったから、いつもと同じように「対話」を楽しんでいた。さきほど当時のログをみてきました。「U-CAS」のことなどが話題になっていた。揺れたこの瞬間、本棚の本が落ち、寝室の本棚の上の陳列していた土産物が落下した。ほんとうに何が起こったかを知るのはずいぶん後からだったのだ。
▼当時のログをみていても、わかるが多くの人が、安否を気遣ってくださっている。「兵庫県南部地震」であるから、全国からみれば、当然該当地域だ。お互いがそうであった。安否を気遣い会った。神戸のあの人は、親戚のあの人はどうだったのだろう。どうしているだろう。TVで次々と映し出される惨状をみて、これはただごとではないことがわかってきた。ライフラインが寸断され、電話もままならぬとき、パソコン通信・インターネットのネットは有効にはたらいた。後に95年が「インターネット元年」と呼ばれるのは、このときにネットの力を人々が実感したからだろう。
▼実感したのは、ネットの威力だけでは、ネットの「つながり」を支えるヒューマンネットワークの偉大な力であった。ヒューマンネットワークが、多くの命を救った。それを目の当たり見たのだ。「ボランティア」いうことば、ごくふつうに使われだしたのもこのときからである。この年は、「ボランティア元年」でもあったのだ。
▼少し落ち着いてくると考えだした。「私に今何が出来るだろう。」「理科教師として何をすべきだろう。」と。
そして、【理科の部屋】では、その年の4月から【オンライン学習会】で、『変動する日本列島』(藤田和夫著 岩波新書1985.6.20初版)を読み始めたのである。「近畿トライアングル」は授業でも教えていた。「現在進行形で、大地は動いている。」ことも授業で繰りかえ話をしてきていた。しかし、それはちがっていた。「物語」としてしか教えていなかったのだ。この震災であらためて、ほんとうに「現在進行形」「未来進行形」であることを知ることになったのだ。もう一度、自分自身が立つ大地の進行形の歴史を学びなおす必要があった。見慣れた山・丘・崖・河・川・池・湖等々すべてが、この大地の進行形物語の結果できたものであることを再認識する必要があった。そして、未来進行形大地の物語を生徒たちとともに学んでいこうと思ったのだった。学習会は、その年の10月まで続いたのだった。
▼あれから、13年が過ぎた。私たちは、どこまできたのだろう。私は、なにをしてきたのだろう。多くの犠牲者たちの「いのち」の発信に応答してきただろうか。改めて「いのち」の応答の継続を決意する13年目の朝だった。

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コメント

 あのときの前年から大学の研究室でパソコンネットの実験局を運営しだしていました。
神戸から細いルートを介して情報が伝えられたことを思い出します。
 研究室の学生や卒業生の被害状況を聞くにつれ、その大きさがわかってきました。
 神戸に住んでいたとき通ったことのある小学校がTVのニュースで避難所として報道され、懐かしいやら驚くやら・・

投稿: KUMA | 2008/01/17 17:53

KUMAさん
こんばんは、いろいろ思い出しますね。13年前を。
でも、これは「思い出」として風化させてしまうことできないですよね。今も発信されつづけている犠牲者たちからの「いのち」のメッセージを受けとめ、応答メッセージを返していかねばならない。山崎断層の上に生きる私たちはなおさらである。

投稿: 楠田純一 | 2008/01/17 21:06

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