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『知的生産の技術』を読む

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▼昨日も年賀状の整理を少しだけやった、返信応答の分がいくつかあったので。そのあと、仕事に出かける。いくつもの「未整理」の仕事がある。それも、ゆっくりゆっくりと…である。
▼今年の抱負の第一に「まずは整理」をあげている。またキーワード「楽しむ」だとあげている。そんなこともあって、新年になってからはじめていることがある。それは『知的生産の技術』(梅棹忠夫著 岩波新書 1969.7.21初版)を読むことである。言わずと知れた、あの名著である。すきま時間を使ってだから、一挙に読んでしまっていない。それに、なかなか理解のゆっくりの私だから、そうはならない。ゆきつもどりつ、もどりつ・・・である。
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▼初版は1969.7.21で、私の手元にあるのは、第12刷で1970発行である。なんと古い話だ。はじめて手にしたのは、私が大学生のころということなる。どんな経緯でこの本を手にしたのか、記憶にない。きっとブームになっていたんだろうと思う。発刊から一年で12刷まで言っているのだから。すぐ読んで、自分の勉強法にでも生かしたのかというと、そんな記憶はない。ただ、この仕事をはじめてからは、何度か読んだ記憶がある。それを意識してこんな文章を書いたこともある。22年も前のことである。
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▼この仕事をはじめてから、意識的に読んだのだろう。その痕跡が線を引いたり、マーカーでしるしを付けたりしていることからわかる。マーカーも変色しているので歴史を物語っている。読めないような字の落書きもある。再度(何回目か)読み始めて、すぐはっと思った。やっぱりそうだ、「ここにすべての原点がある」と。
▼何度目かの読みの時には、ここに書かれていること、そのままやってみようと、試みて挫折もしている。それは、追い追いに語っていこう。私は、ここで思いついたのだ。今度の読みは、このblogで書き込みながら読んでみようとおもったのだ。記録として残しながら、ある程度公開もしながら読む。ひょっとしたら、面白い情報が飛び込んでくるかも知れない。
今、読むからこそ価値が生まれることもある。
ゆっくりと、ゆっくりと読みながら等身大に語ってみよう。
「今」と「これから」を考えるために。
▼ページをめくりはじめる。ところで、この「知的生産」ってなんなのだろう。もはや、この言葉はいっぱんに使われているし、わかりきったことのように私たちも使っているが、翻って考えてみると即答に窮するのである。まずもって語っておきたいのは、この著で使われたのが始まりであるということだ。梅棹の造語なのである。(P9)
さて著者はどう言っているか。
 

ここで知的生産とよんでいるのは、人間の知的活動が、なにかあたらしい情報の生産にむけられているような場合である(P9)

また、こうも言っている。
 
かんたんにいえば、知的生産というのは、頭をはたらかせてなにかあたらしいことがらー情報ーをひとにわかるかたちで提出することなのだ(P9)

ここで改めて認識した。知的生産によって、生産されるものはなにか。それは「情報」なんである。これで人に聞かれても答えれるぞ(^o^)
 はやくも大きな収穫だ。読んだはずだけど、こんなこと書いてあったのかな。読んだつもりになっていただけなのかも知れない。なんと今日的なテーマなんだろう。
▼今日的提言が続く。「知的産業の時代」「生活の技術として」「現代人の実践的素養」「物質的条件の変化」「個人の知的武装」と、知的生産活動のすすめが続く。えっ、これはいつ書かれたものと疑いたくなるぐらいだ。とてもではないが、40年も前に書かれたとは思えない。そして、自分で自分を疑ってみる。「これをほんとうに読んだのだろか」と。著者はきっぱりと言い切る。「今日は情報の時代である」(P15 2行)なんという時代の読みだ。
▼「はじめに」のしめくくりは「この本のねがい」でしめくくる。これがまたすごい提言のでいっぱいである。「知的生産の技術には、王道ないだろうとおもう。」(P20 6行)と言い個人の「知的生産活動のすすめ」を次のようにしめくくっている。
知的生産の技術について、いちばんかんじんな点はなにかいえば、おそらくは、それについて、いろいろとかんがえてみること、そして、それを実行してみることだろう。たえざる自己変革と自己訓練が必要なのである。(P20)

▼なんと、とんでもないことをはじめてしまったものだろう。これが今の正直な気持ちだ。最初は、軽い気持ちだった。blogにでも書きながら読めば、記録も残しながら自分の「整理」にもなるかな、という。書き始めたときは今日のタイトルは「発見の手帳」であった。この本の次の章のタイトルだ。そこまでまったく行かない。
やっぱり、私は「ゆっくり、ゆっくり」なのだ。「ゆきつもどりつ・もどりつつ」である。
しかし、わかったことがある。繰りかえすが、すべての「原点」はここにあるということだ。
次は、いつ書くかわからない。でも必ず、「blogで『知的生産の技術』を読む」。これは決めたこと。

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コメント

こんにちは。石坂です。
懐かしい本ですね。
私も読んだ記憶があります。(本は残っていませんが)確か、京大式カードが紹介されていたと思います。私はこれを採集した昆虫の整理に使うようになりました。後にコンピュータのカード型データベースに移行したのですが、私がコンピュータを本格的に使うようになったのは、カード型データベースで採集した昆虫やスライドの整理を行うためです。そう考えると、私がコンピュータを始めたルーツはこの本なのかも知れません。

投稿: zaka | 2008/01/06 08:16

石坂さん
コメントありがとうございます。
うれしいですね。ヘ(^.^)/
石坂さんから最初にコメントもらえるなんて・・・。
やっぱりね、というコメントを。石坂さんのルーツにも、この本があったと知ることは、やっぱりと思うと同時にとってうれしい気分です。「京大式カード」のことも後にふれるつもりです。
また、コメントいただくとうれしいです。
あの【オンライン学習会】みたいに一緒に読んでいる気分になりますね。
気長におつき合いください。

投稿: 楠田純一 | 2008/01/06 14:54

楠田さんも「知的生産の技術」が原点でしたか。私は楠田さんほど読み込んでいませんが、学生時代にこの本を読んで『目から鱗が落ちる』思いでした。京大カードも一時使ったことがありますが使いこなせるレベルには至りませんでした。でも、ここで展開されていたファイリングの技法は石坂さんも指摘されていますが、パソコンによる情報処理に通じているように思えます。今は楠田さんほど気持ちが高ぶっていませんから直ぐ読み返しませんが、いずれ戻っていかねばならない原点であることに変わりはありません。
大学を卒業前後にこの本や川喜多二郎さんの「発想法」でKJ法を知ったり、加藤秀俊さんの「整理学」や渡辺昇一さんの『知的生活の方法』、板坂元さんの『考える技術・書く技術』、それに外山滋比古さんの「思考の整理学」などを興味深く読みました。まぁ、読むだけで実践はままなりませんでしたが。

投稿: sakamoto | 2008/01/07 20:55

阪本さん いつもコメントありがとうございます。
応答があるとうれしくなってしまうんですよね。
よしまた書こうという気持ちになる。
同じ「原点」をもつというのは、うれしい。
多くの人が、ここから始まったんですよね。
その後も、似たような道をたどって、今かある。
阪本さんの方が、ちょっと先へ行ってしまっているのかも知れないですが。
 気長に読むつもりですので、またコメントください。

投稿: 楠田純一 | 2008/01/08 21:16

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