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熊楠とヒガンバナ

▼「おっちゃん」のお通夜に行った。
 遺影はやさしい笑顔やった。
 もっと「おっちゃん」から゜「常民の科学」を習得しとくべきやった。
 悔やまれる。
▼南方熊楠の『石蒜の話』を読み始めた。実に面白い。
これを何で読むことができているかと言うと、ちょつとした経緯
がある。
 【理科の部屋4】@folomyで、ヒガンバナの海水への耐性を
話題としているとき、熊楠が、このことに触れた文章を書いて
いるということを教えていただいた。
 私が「読みたい」と発言していると、いつもお世話になったい
る和歌山の阪本尚生さんが、それではと、その日のうちに、
南方熊楠顕彰館に行って、
館の方にお願いしてコピーしてもらってきて下さったのである。
それを郵送してくださって(ちょっとアクシデント(^^;ゞポリポリもあ
ったが)もあったが、私の手元にあるというわけである。
 この経緯だけでも、私がいかに「ネットの時代」を楽しませて
いただいているかがわかるというものである。みなさんに深謝。<(_ _)>
▼熊楠の文章にもどる。まだ全文を読んでしまっていない。
でもわかることがある。
 この人は「ヒガンバナの味方」である。いじめられてきたヒガン
バナを、「そうではないだろう。」と弁護し、ビカンバナの有用性
とすばらしさを説く。西洋とも照らし合わせながらも、我らの文
化の見直しを迫り、碩学のかぎりを尽くしヒガンバナを擁護しよ
うとしているように思う。
▼熊楠という人の人柄が見えてくる。これを正月、元旦に発表
しているところにも、この人の主張が見えてくる。
このアイロニー、スタンスから、熱き「正義の味方」たらんとした
のだろうことが読める。
 他の文章も読みたくなってくる。「熊野の森の巨人」の姿をち
ょっとだけ垣間見たというところです。


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コメント

こんばんは。
>「熊野の森の巨人」の姿をちょっとだけ垣間見たというところです。
昨日、松井竜五著「クマグスの森」(とんぼの本)が届き、蚕食読みしたのですが、今まであまり書かれていなかったパトグラフィーの知見が書かれており、面白いと思いました。今までは奇行を興味本位に見るきらいがありますが、その背後に天才性と紙一重の狂気が潜んでいたことをあらためて認識しました。

投稿: sakamoto | 2007/12/01 18:31

おはようございます。
コピーありがとうございました。
おかげで『石蒜の話』を読むことできました。
確かに熊楠というのは面白いですね。
独特の「宇宙」がそこにあるようですね。
柳田國男翁とのどんな書簡交流があったのだろう。
そこにも、興味ありますね。
いずれは、南方熊楠顕彰館の方へも行ってみたいと
思います。そのときは宜しく<(_ _)>

投稿: 楠田 純一 | 2007/12/02 05:15

「熊楠とヒガンバナ」
南方の『石蒜の話』は本当に愉快ですね。彼の曼荼羅の世界ですね。
『ヒガンバナの博物誌』の「エピローグ」にも書きましたが、ガンゼーリリー(ネリネ・サルニエンシス)とヒガンバナとの取り違えの経緯も大変面白いですね。

投稿: リコリス | 2007/12/03 13:44

リコリスさん
コメントありがとうございます。
日本ヒガンバナ学会ではお世話になっています。
リコリスさんの『ヒガンバナの博物誌』に、南方熊楠の『石蒜の話』にふれられていたからこそ、なおいっそうこれを読みたかったのです。
 そのリコリスさんから、直接コメントをいただけるなんて、なんと光栄なことでしょう。
 熊楠の博学ぶり、ピュアな精神、そしてヒガンバナへの一途な思い、そんなものが入り混じり、「とり違い」も起こったのではないかと思います。
 もういちど取り違えの部分読んでみます。

投稿: 楠田 純一 | 2007/12/03 20:20

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