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「ケータイ」文化と「おっちゃん」の死

▼隣りの家の「おっちゃん」がなくなった。
 哀しい。寂しい。ご冥福を祈る 合掌。
 父親をはやくなくした私は、いろいろお世話になった。
 小さいころは、子どもの「ひとり」のように扱ってもらった。
 田んぼのことも、村づきあいのことも、いろいろ教えてもらった。
▼「つる植物」の学習のときに、ヤマノイモに夢中になっていたら
 「ムギの種を蒔いておいて、ツルが枯れたころに、ムギを目印
 に掘りにいったらええんや」と教えてくれたったのも、おっちゃんやった。
 働いて、働いて、そしてこよなく家族を愛し、みんなに愛された。
 そんなおっちゃんやった。
 「常民」とは、こんな「おっちゃん」のことやないんやろか。
▼『情報モラル』に関する研修にでかけた。
 午前中に関西大学の岡田朋之教授の講演『子どもを取り巻く情報モラ
 ルの現状とその対応』を聴き、午後は県内高校3校の報告を聴いた。
 いつの間に、こんなことになってしまったんだろうと驚いた。
 そう言えば・・・。と思い当たることは日々ある。
▼これはもう文化だ。好むと好まざるにかかわらず「ケータイ」文化が、
 生活に入り込み、定着しようとしている。
 この「ケータイ」文化とどう向き合うのか。今を生きる人間の緊急の
 大きな課題である。
▼あるひとりの「常民」の死と「ケータイ文化」。まったく異次元のできご
 とように見えるが、ひとりの人間のまわりで起こっている、「今」なので
 ある。同次元で語り出すとき未来が見えてくるのかも。
 
 

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