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「ケータイ」文化と「おっちゃん」の死

▼隣りの家の「おっちゃん」がなくなった。
 哀しい。寂しい。ご冥福を祈る 合掌。
 父親をはやくなくした私は、いろいろお世話になった。
 小さいころは、子どもの「ひとり」のように扱ってもらった。
 田んぼのことも、村づきあいのことも、いろいろ教えてもらった。
▼「つる植物」の学習のときに、ヤマノイモに夢中になっていたら
 「ムギの種を蒔いておいて、ツルが枯れたころに、ムギを目印
 に掘りにいったらええんや」と教えてくれたったのも、おっちゃんやった。
 働いて、働いて、そしてこよなく家族を愛し、みんなに愛された。
 そんなおっちゃんやった。
 「常民」とは、こんな「おっちゃん」のことやないんやろか。
▼『情報モラル』に関する研修にでかけた。
 午前中に関西大学の岡田朋之教授の講演『子どもを取り巻く情報モラ
 ルの現状とその対応』を聴き、午後は県内高校3校の報告を聴いた。
 いつの間に、こんなことになってしまったんだろうと驚いた。
 そう言えば・・・。と思い当たることは日々ある。
▼これはもう文化だ。好むと好まざるにかかわらず「ケータイ」文化が、
 生活に入り込み、定着しようとしている。
 この「ケータイ」文化とどう向き合うのか。今を生きる人間の緊急の
 大きな課題である。
▼あるひとりの「常民」の死と「ケータイ文化」。まったく異次元のできご
 とように見えるが、ひとりの人間のまわりで起こっている、「今」なので
 ある。同次元で語り出すとき未来が見えてくるのかも。
 
 

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茂木健一郎を聴く

▼この夏に、はじめてICレコーダーを購入した。便利なもので感動である。
ときどき、人が使っているのを見たり、聞いたりして、いつかほしいと思っていたのだが、
今年の夏の「科学史セミナー」を録音しておきたくてついに購入してしまったのだ。
▼録音して、記録しておくのに便利とおくのに便利と購入したものだが、もうひとつの
楽しみをみつけてしまった。これが、私にとっては「発見」であり、とても楽しいのである。
講演を聞くのである。自分で録音した「講演」を聞くのもいいが、ネット上にある講演を
ダウンロードして聴くのである。
▼私は、今のところもっぱら茂木健一郎である。彼のブログ「茂木健一郎 クオリア日記」
 に、自分の行った講演・講義をかなりのリアルタイムで、アップしてくれている。
 さすがだ。そのスタンスに惚れ込んでしまった。
マスメディアにも、頻繁に登場する彼は、まさに時の人なのかも知れない。
彼が時の人であるには、それなりの理由があるんだと思う。
▼すきま時間があると、ICレコーダーにダウンロードして置いた「茂木健一郎の講演」を
聴くというのが、すごい楽しみである。
 聴く度に、大ファンになっていくのである。
ともかく、話が面白い。
 彼は、45歳、私とはひとまわりも違う、若くて、多彩な才能・能力も持ち主、今や
「時の人」、住む世界がちがう。(^^;ゞポリポリ
でも、波長があうというのか、なるほどと感動することばかりだ。
▼小津安二郎の世界を熱く語る。尾崎豊のファンであるとか。
語るのは、脳科学のことであったり、文学論であったり、学問論であったり、教育論
だったり、多種多様である。
▼ それを、その場に合わせて、等身大に語っていくのである。多種多様に話は、広
がっていくが、軸は「学ぶ」ことのすばらしさ、楽しさ 伝えてくれているように思う。
いつかは、生の講演・講義を聴いてみたいものだ。
 

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柳田國男が、「今」生きていたら

▼「柳田國男が、今生きていたら」
 この頃、ふっとこんな仮想設問が頭をよぎることがある。
愚かな設問である。
意味のないことなのかも知れないが、想像することは楽しい。
 「今」というのは、Web2.0時代の今である。
▼メールはやっただろうか。
 ホームページ(Webページ)は作っただろうか。
 blogを書いただろうか。
 SNSはやっただろうか。
 どんなヒューマンネットワークを構築していっただろう。
 熊楠とは、メール交換をやっただろうか。
 遠野、椎葉村へは、どんな取材の旅に出ただろう。そもそも行っただろうか。
 ・・・・・・・・・・・・・・・
 自分なりの答えを用意してみる。
 でも、その正解は決まっている「わからない」である。
 それは、柳田國男という生身の人間は「その時代」を生きた人なんだから
▼一方、こんなことも仮想してみる。
 「柳田國男が今生きていたら、私の方からメールを出すか」
 「ホームページを持っていたらアクセス、リンクするか」
 「主宰するSNSに参加するか」
 この方は、現実味のある話である。答えは、すべて「YES」かな。

 そんなことを可能にするのが、Web2.0という時代なのである。
 

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ヒガンバナの実(種子)

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▼ 先日(11/25(日))にみつけてきたヒガンバナの実(子房部のふくらんだもの)を、花瓶に水を入れ育てることにした。もう枯れたかと思われた花茎も水をあたえると、シャンとした。やっぱり植物にとっての水というのは大切なものなんですね。ヒガンバナの方も、葉の季節になると、そちら水も栄養も行ってしまうでしょうね。
▼さて、これは、あの黒々とした種子にまでなりますか。

 ◇2005年の「私もみつけた!!ヒガンバナの種子」
 http://homepage3.nifty.com/kusudadb/Higan/2005higan/kusuda-tane.htm

と同じようになってしまうのでしょうか。
この方法で、過去にも多くの人たちが、「種子」を育てるのに挑戦していますね。
今年も、こんなことやっている人が全国には何人かおられるように思う。
「日本ヒガンバナ学会」は、そんな情報交換するために設立されてた。
ささやかにして「偉大なるプロジェクト」である。 

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今、「俳句」が面白い

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▼ 昨日は、連休三日目やっと少しのんびりモード。
   最近は、あまりテレビを見なくなってしまった。ストイックにそうしているのでなく、なんとなくである。
でも、この番組だけはというのがある。そのひとつNHK「俳句」 である。家族は「柄にもなく」と笑うが、これがなかなか面白いのである。必ずしも日曜日の朝、家にいるとはかぎらないし、寧ろいないことが多い。そこで、ビデオにとってもらっておいて、後日時間があるときに見るようにしている。さらに今はちょうど、NHK趣味悠々で「フォト五七五」もやっている。
▼ 俳句はまったくシロウトである。常識の範囲の基礎知識もない。まったくしらないから、未知の世界に出会った喜び、楽しさがあるのかもしれない。豊かな自然を自分流に切り取り、限られた言葉にする。制限。枷があるからなおさら、言葉を凝縮する必要がある。
 もともとは、自分のホームページの表紙画像を毎週更新するのに、画像だけでは、あまりに「更新」に値しないかな。と思ってなにか色をつけたいと思ったのが始まりである。自然の草花・樹木だけでなく、自分の心象風景をおまけにつけたいと思ったのである。
▼ そんなこと思っても、シロウトの悲しさ、なかなか言葉にならない。でも考えるのも楽しい!!
 そこで、今日の一句
 □ 枯れてもや なお吾亦紅 凛として

 テレビを観た後、ひさしぶりに、のんびり目の散歩にでた。
 目的があった。
 ひとつは、ヒガンバナの種子をさがすこと。
 (これは、『日本ヒガンバナ学会』にかきこんだ。)
 もうひとつは、この吾亦紅を観ること。
 白石の中村敏弘さんからいつも送ってもらっている『季節のたより』
今回は「吾亦紅」であった。
 紅く描かれた中村さんの吾亦紅をみて、自分でも確かめたかったのである。 
 
▼ 我流、無手勝流にもいいところである。でも、楽しいものである。(^_^)
 

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情報は、発信するところに集まる

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▼昨日は、三連休の中日である。でも朝から、学校に出かけていった。校庭の植木を剪定をお願いしていたので、そのためである。剪定をしてもらいながら、校庭の樹木のこと教えてもらえたらと思っていたが、少ししか話ができなかった。校庭の南に佇立するメタセコイアが、みごとに色づき、冬の訪れを知らせてくれているようである。
サザンカも、次々と花ひらいてきている。
▼朝方に久しぶりに『私の【理科の部屋】活用法』を読んだ。何度読んだはずだが、いつ読んでも新鮮である。(自画自賛(^^;ゞポリポリ)
何度も「情報は、発信する」とフレーズが出てくる。
 当時の私たちの「合い言葉」でした。
▼そのフレーズを、他の著書でみつけた。今読んでいる『これからホームページをつくる研究者のために~ウェブから学術情報を発信する実践ガイド~』(2006.8.10)のP36にである。内容としては「今さら」という部分がないわけではないが、私たちが志向してきたことが、うまくまとめられていると思う。これからのWeb発信に役立ちそうだ。
コンテンツ面のマニュアル本になりそうである。
 ここでいう「研究者」とは、大学の教授たちを主に想定しているようである。これを、日々授業実践をしている「現場教師」と読み替えたとき、これはもう「新たな教育運動」の提言である。圧倒的多数の現場教師がいるのだから。【理科の部屋】と関係ある森山和道さんや本間善夫さんも登場するのもうれしい。
 今「年表・年譜」のところを見せてもらっているところである。スキルの面でもご指南ねがいたいところである。

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【理科の部屋】14回目の誕生日

 昨日11月23日(金)は、【理科の部屋】の14回目の誕生日であった。
朝から、【理科の部屋】三昧の日を一日おくった。
 この14年間に起こったことが、走馬燈のように頭をかけめぐる。
どれほど多くの人との「出会い」があったことか。
そして、多くの「学び」をいただいた。
 とりわけ、パソコン通信時代の仲間にあうと、ほんとうに旧友にであったような気分になる。

▼すべての「原点」はここにある。

▼Web2.0時代においても、『情報は発信するところに集まる』は有効である。 

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