ヒガンバナ定点9/6(水)
定点観測地の「浮上株」をみながら、松江幸雄さんのことを思い出した。松江さんは、ヒガンバナを追いかける我らが先達である。ヒガンバナを追いかけることにかけては、第一人者であろう。お会いすることなく故人となってしまわれた。
「遺伝」(1997年4月号・51巻4号(裳華房))の「ヒガンバナの繁殖---32年目の株を掘る---松江幸雄」によると、彼は1965年、ヒガンバナ分球調査のため一球ずつ5箇所に植え、その後、株の成長と花茎数について観察を続けたという。そして、なんと32年間観察を続け、それを掘り出したという。
ここまでくると、執念である。半端な思い入れではない。「研究」とは、こんなことを言うのだろう。そして、32年を経過したヒガンバナの球根一個は、926個になったという。
実も種子もつくらない日本のヒガンバナが、どうして増えたきたのかに答える。きわめて説得力のある研究報告である。彼がどれほどの愛着を持ってヒガンバナを追いかけていたかもわかる。
私など、足元におよばぬ「こだわり」ようである。
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