2019年・今年の私の「自由研究」は!?(1) #自由研究

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▼あれっ!?こんなところに!!
今年10番目に出会った10号コガネグモは、とんでもないところに出現した。
これまでのコガネグモとちがって草むらのなかではなかった。
そこから少し離れた橋の欄干のところだった。
なんでまたこんなところに ?(゜_。)?(。_゜)?
まさかロープの黄色と黒の縞模様が、自らの体の模様と近いから!?
そんなばかなことないか (^^ゞポリポリ
ところでクモの目は世界をどのように見ているのだろう!?
 またあらたな「ふしぎ!?」が生まれたのだった。
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▼この時期が来ると、毎年ワクワクドキドキの胸騒ぎがはじまるのである。
 言わば一種の「職業病」だろうか。
 そう、「自由研究」の季節がやってきたのだ!!
 ずいぶん長く新・「自由研究」のすすめ試論を展開したりして、「自由研究」のことを考えてきていた。
 今年は、ひとつ徹底して私自身の「自由研究」にこだわってみようと思う。
▼試論を展開するなかで、面白いことを提唱していた。
 「アカソナキヤ方式」の提唱デアル!!
◆アカソナキヤ方式
 タリマエ を当たり前として流さずに
 ンガエテミルト けっこう「ふしぎ!?」なことはいっぱいある。 
 ウイエバ そのこと教科書に、本に、Webにあったような。
 ントクナク でいい。その「ふしぎ!?」に予想をたててみよう。
 ットコウナルハズ の私の仮説をたててみよう。
 ッパリ そうだったか!!となれば、これは大発見だ。

▼今年の私自身の「自由研究」にも「アカソナキヤ方式」をあてはめてみよう。
 まず最初にくるのはテーマ選びだ。
 10号コガネグモの「ふしぎ!?」を出発点として、シロウト「クモ学」も有力なテーマになりそうだ。
 子規庵のヘチマ、三枚目の葉は勢いがあった。どう展開していくのだろう!? この観察日誌もりっぱなテーマになるかもしれない。
 夕方、少し高い所から「我がふるさと」を一望した。
 「我がふるさと」の動く大地の物語もテーマの候補だ。
 その上の「雲見」も
 「雲見」とflightradar24も
 考えればいろいろ出てきそうだ。
 テーマ選びをしばし楽しんでみよう。
(つづく) 
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【Web更新6/16】19-24 新・「自由研究」のすすめ試論 等 更新!!

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紫陽花や祠への径塞ぎたり 19/06/14撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】19-24
週末定例更新のお知らせ
 「セレンディピティ」(serendipity)といコトバがある!!
 けっこう好きなコトバのひとつである。思いもよらぬ偶然の出会いが、まったくラッキーなあらたな展開をもたらすことがある。
 そんとき これぞ「セレンディピティ」(serendipity)!!
 として使って来た。
 でもほんとうに「セレンディピティ」(serendipity)は唐突にやってくるのかな?
 なにかが臨界点に達したとき、「必然」としてやってくるようなそんな気もするのだが…。

◆表紙画像集2019 更新 紫陽花
 紫陽花という植物はほんとうに元気だ。
 昨年大幅に剪定したはずだが、むしろその枝の方が、元気に伸びて花を咲かせている。
 気づけば祠への小径を塞いでしまっていた!!
 挿し木で増やせる樹木の代表のように言われる紫陽花。
 その「再生力」はどこからやって来るのだろう?

◆新・「自由研究」のすすめ試論 更新!!
 今年の試論のはじまりに、牧野富太郎の『赭鞭一撻』を持ってきた。
 私にはこの『赭鞭一撻』がきわめてすぐれた「自由研究」心得に読めるのだが。

◆【ヒガンバナ情報2019】 更新!!
 「自然結実」ヒガンバナ実生実験、発芽・発根したふたつを植木鉢に植え替えた。
 あらたなステージに突入である。
 秋にほんとうに「出葉」してくるかな o(^o^)o ワクワク

◆オンライン「寅の日」更新!!
 6月のテーマは、寺田寅彦『俳句入門』だ。
 俳句結社「寅の日」への道を模索中である。サイエンスカフェ「寅の日」の新展開も…

◆「クモ学」のすすめ 更新!!
 8匹のコガネグモ継続観察中!!
 さて、どんな展開が…。 楽しみである。

 今週は「セレンディピティ」(serendipity)がやって来るかな。o(^o^)o ワクワク 

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【お薦め本】『青の物理学』(ピーター・ペジック 著 , 青木 薫 訳 岩波書店)

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▼まだまだ牧野富太郎の『赭鞭一撻ノート』の余韻が残っていた。

十四. 書を家とせずして、友とすべし
ー本に書かれていると安心せずに、本を対等の立場の友と思いなさい

二十歳に満たない少年(青年)がこんな域に達するなんて、さすがというしかない!!
ポンコツ頭では、「そうだな~あ」と同感はするが、現実はなかなかついていかない。
 今さら言ってもしかたないが、もう少しちゃんと勉強しておくべきだったなあ。\(__ ) ハンセィ
▼特に強くそう思ったことがある。
 それは、この本に出会ったからである。

◆【お薦め本】『青の物理学 空色の謎をめぐる思索』(ピーター・ペジック 著 , 青木 薫 訳 岩波書店 2011/02/15 )

 「この本が面白いよ」と教えてもらったのはちょうど一ヶ月前だ!!
 さっそく手に入れて読もうとした。
 たしかに面白いとは思うのだが、なかなか前に進まない。私の理解力・学力ではついていけないのだ。
 それでも、ちびりちびりと読み進めた。やっと終わった!!
 私にとってはとても難解なところが多かったが、
 やっぱり 面白い!!
 今回は、【お薦め本】と言うより、「なんとか読み終えたよ」と言う報告文だ!!
▼こんな私が最後まで読んでしまったのはやっぱりこの本がとても面白いからだろう。どこまで理解したかは別にして、いつものようにお薦めポイントを3つあげる。

(1)「空はなぜ青い!?」の謎解き長編探偵物語を楽しめる!!

(2) 「原子論」のほんとうの有効性(意味)がわかって来る!!

(3)かつて科学者たちが挑戦してきた実験レシピがオマケについている!!

 ではひとつずつボロが出ない範囲で少々書いてみる。
(1)「空はなぜ青い!?」の謎解き長編探偵物語を楽しめる!!
 「空はなぜ青い!?」誰もが一度は抱く「ふしぎ!?」だ。
 みんなはその「ふしぎ!?」にどう答えて、納得してきたのだろう? 
 いや、その「ふしぎ!?」は置き去りにされたままだろうか。 
 私の場合はどうだろう? 
 青空、夕空は「レイリー散乱」で…、雲が白いのは「ミー散乱」で… !!
 えっ、ほんとうにわかっていたのだろうか。?(゜_。)?(。_゜)?
 この本を読みながら、自分を疑ってみた。
 「空はなぜ青い!?」というアタリマエの「ふしぎ!?」が、こんなにも面白く、奥の深い不思議だとは思っていなかった。
 プラトンやアリストテレスからはじまり数え切れないほどの科学者・哲学者・芸術家がこの謎解き長編探偵物語に参加していた。
 私が知る範囲の科学者はすべてが…と言っても過言ではなかった。
 この謎解きの面白さを、こう語っていた。

空はなぜあのように見えるのだろうか?その疑問に答えるという目標に向かって、わたしたちはまだほんの数歩ほど踏み出したにすぎない。しかし、どれほど小さな一歩でも、その一つひとつには大きな意味がある。なぜならその一歩をきっかけに、より深く、より広く理解したいという思いがふくらむからだ。新しい知識がひとつ増えるたびに、はじめの疑問を見直すことにもなる。そうして知識が進展してきた歴史をひもとけば、すでに解明されたこと、そしてまだ解明されていないことが明らかになる。(同書 p169より)

▼この本でもっとも衝撃だったのは次だ。
(2) 「原子論」のほんとうの有効性(意味)がわかって来る!!
 実は正直言ってショックであった。
 「原子論的物質観を…」と力説してきていた。「原子論」の有効性・意味がわかっているつもりでいた。
 でもわかっていなかった!!
 「レイリー散乱」と言いながら、窒素分子は見えていなかった!!ツナガッテ考えることができていなかった。
 「アボガドロ数」の意味もここであらためて認識した。(^^ゞポリポリ

 青空の謎を解くための道のりは、小さな世界へと向かう旅である。なぜなら、もしも原子が実存しなかったなら、空は青色になりえなかったのだから。空に目を向けるとき、わたしたちは原子論の正しさを証明する証拠のうち、もっとも美しいものを見ているといえよう。そしてまた、青空を探求する旅は、大きな銀河の世界へと向かう旅でもある。なぜなら、夜の明るさを決定しているのは、宇宙にちらばる銀河たちなのだから。光について深く考えるとき、私たちはこの宇宙が、時間においても空間においても、いかに広大かを示す無言の証拠を受け取っているのだ。そして、昼と夜のあいだには黄昏がある。黄昏どきの天頂の色は、大宇宙と小宇宙のあいだで、壊れやすい地球が置かれている状況を告げているのだ。(同書p184より)

最後のもうひとつ。
(3)かつて科学者たちが挑戦してきた実験レシピがオマケについている!!
 できるだけ今からでも復元できるように、手に入れやすいものを紹介してくれたりしている。
 なかなかアリガタイ!!
 自分でもこの長編探偵物語に参加してみたいものだ。

 もうあまりボロが出ないうちにこれぐらいにしておく。
 ここまで書いて思った。やっぱりこれは【お薦め本】だ!!

 大賀ハス観察池は蓮根の植え替えから12週目だった。最大のピンチでSOS発信をして、アドバイスをもらいながら、まだそのアドバイスに従うことができないでいた。スミマセン<(_ _)>
 雨が降るたびに元気さを回復してきているようで、どこの部分を一時退避しようかと迷ってしまうのだった。
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 さあ、青空が見えてきた。!!
 今朝は、今から屋外作業だ!! ときどき青空ながめて…「なぜ!?」を反芻してみよう。 

 
 

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牧野富太郎の『赭鞭一撻』を読む。(3)

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▼あれっ!?
 今年はじめて出会ったコガネグモ1号の近くに、もう一匹のクモが!?いや獲物だろうか!?
 近づいてじっくり見るとちがっていた。脚の模様の跡からもわかった!!
 脱皮したのだ!!
 クモは昆虫のように変態をしない。出のうしてきて、団居(まどい)をしているときからクモの姿をしたクモの赤ちゃんだ。
 脱皮を繰りかえしながら成長していくのだった。
 1号くんもこれでひとまわり大きくなったのかな。
 さあ、いつまでつき合ってくれるかな!?
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▼牧野富太郎の『赭鞭一撻』を最後まで続けよう。

〇跋渉ノ労ヲ厭フ勿レ
峻嶺岡陵ハ其攀登ニ飽カズ洋海川河ハ其渡渉ヲ厭ハズ深ク森林ニ入リ軽ク巌角ヲ攀(よ)ヂ沼沢砂場ニ逍遥シ荒原田野ニ徘徊スルハ是レ此学ニ従事スルモノヽ大ニ忽(ゆるがせ)ニス可ラザル所ニシテ当ニ務テ之ヲ行フベキナリ其之ヲ為ス所以ハ則チ新花ヲ発見シ土産ヲ知リ植物固有ノ性ト其如何ノ処ニ生ズルカヲ知ルニ足レバナリ

○植物園ヲ有スルヲ要ス
遠地ノ産ヲ致シ稀有ノ草木ヲ輸スルトキハ皆之ヲ園ニ栽(うえ)テ之ヲ験スベキナリ又賞玩ノ草木ニ至テハ随在之ヲ自生スルモノニ非ズ故ヲ以テ之ヲ園ニ培養セザルヲ得ズ又山地沼沢等ノ草木ヲ栽蒔(さいじ)シテ他日ノ考ニ備フルハ大ニ便ヲ得ル有ルナリ故ニ植物学ヲ修スルノ輩ハ其延袤(えんぼう)ノ大小ヲ問ハズ当ニ一ノ植物園ヲ設置スルヲ以テ切要トスベシ既ニ園ヲ設クレバ則チ磁盆鋤鍬(じょしょう)ノ類ヨリシテ園ニ俟(ま)ツノ物ハ一切予置スルハ更ニ論ヲ俟ザルナリ

○博ク交ヲ同志ニ結ブ可シ
道路ノ遠近ヲ問ハズ山河ノ沮遮ヲ論ゼズ我ト志ヲ同クスルモノアレバ年齢ノ我ニ上下スルニ論ナク皆悉ク之ト交ヲ訂シ長ヲ補ヒ互ニ其有スル所ヲ交換スレバ其益タル少小ニ非ズシテ亦一方ニ偏スルノ病ヲ防グニ足リ兼テ博覧ノ君子タルコトヲ得ベシ

○邇言ヲ察スルヲ要ス
農夫野人樵人漁夫婦女小児ノ言考証ニ供スベキモノ甚ダ多シ則チ名ヲ呼ビ功用ヲ称シ能毒ヲ弁ズルガ如キ皆其言フ所ヲ記シ収ムベシ他日其功ヲ見ズンバアラザルナリ故ニ邇言(じげん)取ルニ足ラズト云ガ如キニ至テハ我ノ大ニ快シトセザル所ナリ

○書ヲ家トセズシテ友トスベシ
書ハ以テ読マザル可ラズ書ヲ読マザル者ハ一モ通ズル所ナキ也雖然其説ク所必ズシモ正トスルニ足ラザルナリ正未ダ以テ知ル可ラズ誤未ダ以テ知ル可ラザルノ説ヲ信ジテ以テ悉ク己ノ心ニ得タリト為シ独(た)ダ一ニ書ヲ是レ信ジテ之ヲ心ニ考ヘザレバ則点一ニ帰スルナク貿貿乎トシテ霧中ニ在リ遂ニ植学ヲ修ムル所以ノ旨ニ反シテ其書ノ駆役スル所トナリ其身ヲ終テ後世ニ益スルナシ是レ書ヲ以テ我ノ家屋ト為スノ弊タルノミ如此(かくのごと)クナラザル者ハ之ヲ心ニ考ヘ心ニ徴シテ書ニ参シ必シモ書ノ所説ヲ以テ正確ニシテ従フベキト為サズ反覆討尋其正ヲ得テ以テ時ニ或ハ書説ニ与シ時ニ或ハ心ニ従フ故ヲ以テ正ハ愈(いよい)ヨ正ニ誤ハ益(ますます)遠カル正ナレバ之ヲ発揚シテ著ナラシメ誤ナレバ之ヲ擯(しりぞけ)
テ隠ナラシム故ニ身ヲ終ルト雖ドモ後世ニ益アリ是レ書ヲ以テ家屋ト為せズシテ書ヲ友トナスノ益ニシテ又植学ヲ修ムルノ主旨ハ則チ何ニ在ルナリ

○造物主アルヲ信ズル毋(なか)レ
造物主アルヲ信ズルノ徒ハ真理ノ有ル所ヲ窺フ能ハザルモノアリ是レ其理隠テ顕レザルモノアレバ其理タル不可思議ナルモノトシ皆之ヲ神明作為ノ説ニ附会シテ敢テ其理ヲ討セザレバナリ故ニ物ノ用ヲ弁ズルコトハ外ニ明ナリト雖ドモ心常ニ壅塞ようそく丕閉(ひへい)シテ理内ニ暗シ如此ノ徒ハ我植学ノ域内ニ在テ大ニ恥ヅベキ者ナラズヤ是レ之ヲ強求スレバ必ズ得ルコトアルモ我ノ理ノ通ゼザル処アレバ皆之ヲ神明ノ秘蘊ニ托シテ我ノ不明不通ヲ覆掩修飾スレバナリ

▼これまでと同様、今回も『赭鞭一撻ノート』から現代語訳の一部を引用させてもらおう。

十. 跋渉(ばっしょう)の労を厭ふなかれ
ー方々の山野を歩きまわる努力を嫌がるな

十一. 植物園を有するを要す
ー植物園が必要である

十二. 博く交を同士に結ぶ可(べ)し
ー多くの同好者と友達になりなさい

十三. 迩言(じげん)を察するを要す
ー一般の人が使う名前や呼び名から推測することも必要である

十四. 書を家とせずして、友とすべし
ー本に書かれていると安心せずに、本を対等の立場の友と思いなさい

十五. 造物主あるを信ずるなかれ
ー神を信じてはいけない

▼今回もやっぱり納得することばかりだ!!
 二十歳前の少年(どう考えても青年)がこんなことを書いたのだろうか!?
 やっぱり牧野富太郎は知の巨人だ。
 どれも納得し、学ぶことばかりだが 特に次の三ついたく同感し感動するのである。

十一. 植物園を有するを要す
ー植物園が必要である
 大がかりな「植物園」とは限らない。
 身近にあって、自分の手で育ててみてはじめて「発見」することも多々あるのである。
 私にとって大賀ハス然り、実生ヒガンバナ然りなのである。
 先日、子規庵のヘチマ 発芽した4つを、大きな植木鉢に植え替えた。
 はたしてどこまで…
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 「植物園」にかぎらない!!毎日の散策コースは「クモ観察園」でもあった。
 少しだけ見方を変えたら、まわりは全て「自然観察園」だ!!

十二. 博く交を同士に結ぶ可(べ)し
ー多くの同好者と友達になりなさい

 これは日々実感しているところである。
 牧野富太郎のつくり出したヒューマンネットワークを知ればこのコトバがよりいっそう説得力を持ってくる。

十三. 迩言(じげん)を察するを要す
ー一般の人が使う名前や呼び名から推測することも必要である

 ここにこそ、生涯熱く学び続けた牧野富太郎の「原点」を見る思いだ。
 
 シロウト「研究」、私の「自由研究」の方向が見えなくなったら、またこの『赭鞭一撻』を読んでみよう!!


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牧野富太郎の『赭鞭一撻』を読む。(2)

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▼昨日(2019/06/13)、朝から日射しがきびしかった。
 でもやっぱり、やつらはその場所に居てくれた!!
 だから「クモ学」は大好きだ!!なんでもゆっくりな私にはこれがアリガタイ!!
 それにしても、紫外線対策どうしているのかな!?
 今年も出会ったコガネグモ!!出会った順番に号数をつけていた。
 昨日の段階で、9号にまでなっていた。そのうち3号だけ行方不明になったが、あと8匹は継続観察中だ!!
 8号はより家に近づいてきた。どうやら狩りを追え、獲物を捕獲しているようだ。
 2号は、少し場所を移動してネットを張り替えたようだ。
 家の庭とよんでもいいような場所に9号が出現していた。
 どのコガネグモも「X」字の隠れ帯がはっきりしてきたように思えた。
 どうして  ?(゜_。)?(。_゜)?
 そうだ隠れ帯の「ふしぎ!?」も完全には解決していなかった。
 
 シロウト「クモ学」研究はまだまだ続くのだった。
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▼このようにシロウト研究をすすめるときにも「赭鞭一撻」は、けっこう役に立ちそうだ。
 引用をつづけよう。

○書籍ノ博覧ヲ要ス
書籍ハ植物記載〔所載ノ意ナリ〕ノ書ニシテ仮令(たと)ヒ鶏肋ノ観ヲ為スモノト雖ドモ悉ク之ヲ渉猟閲読スルヲ要ス故ニ植学ヲ以テ鳴ラント欲スルモノハ財ヲ吝(おし)ム者ノ能ク為ス所ニアラザルナリ

○植学ニ関係スル学科ハ皆学ブヲ要ス
曰ク物理学曰ク化学曰ク動物学曰ク地理学曰ク天文学曰ク解剖学曰ク農学曰ク画学是皆関係ヲ植物学ニ有ス数学文章学ハ更ニ論ヲ俟(また)ザルナリ

○洋書ヲ講ズルヲ要ス
其堂ニ造ラント欲シ其※ししむらヲ啖(くら)ハント欲スル者ハ当(まさ)ニ洋籍ヲ不講ニ置ク可カラザルナリ是レ洋籍ノ結構所説ハ精詳微密ニシテ遠ク和漢ノ書ニ絶聳スレバナリ雖然(しかりといえども)是レ今時ニ在テ之ヲ称スルノミ永久百世ノ論トスルニ足ラザルナリ

○当ニ画図ヲ引クヲ学ブベシ
文ノミニテハ未ダ以テ其状ヲ模シ尽スコト能ハズ此ニ於テカ図画ナル者アリテ一目能ク其微妙精好ノ処ヲ悉(つく)ス故ニ画図ノ此学ニ必要ヤ尤(もっとも)大ナリ然而(しかりしこうして)植物学者自ラ図ヲ製スル能ハザル者ハ毎(つね)ニ他人ヲ倩(やとう)テ之ヲ図セシメザルヲ得ズ是レ大ニ易シトスル所ニ非ザルナリ既ニ自ラ製図スルコト能ハズ且加フルニ不文ヲ以テスレバ如何シテ其蘊(うん)ヲ発スルコトヲ得ルヤ決シテ能クセザルナリ自ラ之ヲ製スルモノニ在テハ一木ヲ得ル此ニ※もシ一草ヲ得ル此ニ写シ更ニ他人ノ労ヲ仮ラズ且加ルニ舞文ヲ以テセバ恰(あたか)モ晶盤ニ水ヲ加フルガ如ク彰々瞭々其微ヲ闡ひらキ其蘊ヲ発スルハ是レ易シトスル所ナリ之ヲ自ラ製スル能ハザルモノニ比スレバ難易ノ懸絶スルヤ一目其大ナルコトヲ知ルナリ

○宜ク師ヲ要スベシ
書籍ノミニテハ未ダ以テ我疑ヲ解クニ足ラズ解疑スルニ足ラザレバ師ニ就テ之ヲ問フノ外ニ道ナキナリ其師トスル処ハ必ズ一人ヲ指サズ我ヨリ先ニ之ヲ聴クモノバ生ルヽノ我ヨリ先後ニ論ナク皆悉ク之ヲ師トシテ可ナリ若シ年ノ我ヨリ幼ナルヲ見テ曰ク我ニシテ彼幼者ニ問フ羞ヅ可キノ至リナリト如此(かくのごとく)ニ至テハ如何シテ其疑ヲ解クヲ得ルカ其疑タル死ニ至テ尚未ダ解ケザルナリ

○吝財者ハ植学者タルヲ得ズ
書籍ヲ購(あがな)フ財ヲ要スルナリ器械ヲ求ムル財ヲ要スルナリ苟(いやしく)モ此学ノ考証ニ備ヘ此学ヲシテ益(ますます)明ナラシムル所以ノモノハ皆一トシテ財ヲ要セザルナシ財ヲ投ゼザレバ書籍器械等一切求ムル所ナシ故ニ曰ク財ヲ吝(おし)ム者ハ植学者タルヲ得ズト

▼続けて『赭鞭一撻ノート』より現代語訳の一部を引用させてもらおう。

四. 書籍の博覧を要す
ーたくさんの本を読むことが必要である

五. 植学に関係ある学科は皆学ぶを要す
ー植物に関係ある学科は全て学ぶことが必要である

六. 洋書を講ずるを要す
ー洋書を理解する必要がある

七. 当に画図を引くを学ぶべし
ー理屈にあった画図を引くを学ぶべし

八. 宜(よろ)しく師を要すべし
ー状況に適した先生が必要である

九. りん財者は植物学たるを得ず
ー植物学者はケチではいけない

▼このなかでは特に2つが強く納得する。(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン

五. 植学に関係ある学科は皆学ぶを要す
ー植物に関係ある学科は全て学ぶことが必要である

シロウト「クモ学」でもまったくそのとおりである。
ひとつの「ふしぎ!?」は、次々と別の「ふしぎ!?」とツナガッテイタ!!
それはあらゆる学問に言えることかも知れない。

八. 宜(よろ)しく師を要すべし
ー状況に適した先生が必要である

ほんとうにアリガタイことに私のシロウト研究には必ずすばらしい師がついていてくださった。
シロウト「クモ学」については、最初から鈴木勝浩先生がついていてくださった。
ヒガンバナ研究では、日本のヒガンバナ研究の第一人者・栗田子郎先生にいろいろ教えてもらっていた。
ほんとアリガタイかぎりだ!! 深謝<(_ _)>


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牧野富太郎の『赭鞭一撻』を読む。(1)

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▼2012年の夏よりはじめた「土佐の寅彦詣」は今年の4月で10回になっていた。
 そのうち2回、高知県立牧野植物園を訪れた。その充実ぶりに圧倒され感動した。2回ともミュージアムショップに寄って一冊のノートを手に入れていた。

◆赭鞭一撻ノート

である。「赭鞭一撻」(しゃべんいったつ)の現代語訳もついていてとてもいい!!
 大のお気に入りである。
 先日、毎日の「自然観察ノート」を新しくしたのをきっかけにこのノートを引っぱり出してきて、「赭鞭一撻」を読みなおしてみた。
▼現代語訳を読むうちに、この原本は読むことができないのか?と思うようになった。
 青空文庫でさがしてみた。あった!!

◆牧野富太郎自叙伝・第二部 混混録 (牧野富太郎)(青空文庫より)

 ここに「余ガ年少時代ニ抱懐セシ意見」として出てくるのである。
 「赭鞭一撻」までの「所感」等を読んでいるとあの牧野富太郎の学問への情熱が伝わってくるようでたいへん面白い!!
「余ガ年少時代ニ抱懐セシ意見」では、「赭鞭一撻」のことを次のように説明していた。

左の一篇は私が年少時代にわが郷里土佐高岡郡佐川町の自宅に於てその当時私の抱懐していた意見を書き附けたもので、「赭鞭一撻(しゃべんいったつ)」と題してあった。これは今から六十六、七年前の明治十四、五年、私が二十歳頃に書いたものである。そして今日これを読んでみると私は実に感慨に堪えないものがある。

またこのようにも書いていた。
 今左にわざとその「赭鞭一撻」の一字一句も改竄せずに、極めて拙文のままその全篇を掲げて、読者諸君の一粲(いっさん)に供えてみよう。私は上に述べたように今は何んにも出来ていないが、それでも一度はこのような希望に燃えていた少年であった事を思い遣って下さい。

アリガタイ!!
▼「赭鞭一撻」は現代に通用する「勉強心得」「研究心得」デアル!!
 この機会に原文と「赭鞭一撻ノート」の現代語訳をならべて読ませてもらいながら、少年牧野富太郎にじっくり学んでみたい。
 全部で15項目ある。今日のところは3つだけにしておく。

赭鞭一撻       結網子 稿

○忍耐ヲ要ス
堅忍不撓ノ心ハ諸事ヲ為スモノノ決シテ欠クベカラザル者ニシテ繁密錯雑ナル我植学ニ在テモ資ヲ此ニ取ラザルハ一トシテ之ナキナリ故ヲ以テ阻心ヲ去テ耐心ヲ存スルモノハ其功ヲ就(な)ス易々タルナリ

○精密ヲ要ス
周密詳細モ亦決シテ失フ可ザルモノニシテ之ニ忍耐ヲ添加シテ其功正ニ顕著ナリ精細之ヲ別テ両トナス心ト事ト是ナリ解剖試験比較記載ヨリ以テ凡百ノコトニ至テ皆一トシテ此心ノ精ヲ要セザルナク又事ノ精ヲ要セザルナシ故ヲ以テ此心ヲシテ恒つねニ放逸散離セシメザレバ一睹(いっと)スル者此ニ瞭然一閲スル者此ニ粲然

○草木ノ博覧ヲ要ス
博覧セザレバ一方ニ偏辟ス一方ニ偏在スレバ遂ニ重要ノ点ヲ決スル能ハズ要点ヲ発見スル無キハ是レ此学ノ病ニシテ其病タル博覧セザルニ座スルモノナリ

現代語訳(「赭鞭一撻ノート」より一部のみ引用させてもらう)では

一. 忍耐を要す
-我慢することが必要である

二. 精密を要す
ー正確であることが必要である
   
三. 草木の博覧を要す 
ー草や木についての豊かな知識が必要である

(つづく)


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実生ヒガンバナを鉢に植え替えた!!(2019/06/11) #ヒガンバナ

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▼今年の実生ヒガンバナの観察は、これまで以上に徹底していた。
 34個の「自然結実」種子を土ポットに蒔いた(?)ものは、毎日いやそれどころか一日に何度も自然と目にする場所に置いていた。
 だから、少しの変化もいちはやく気づいた。
 最初に発芽・発根した2つは今、急速に緑を失いつつあった!!
 それにして、あのわずかな緑が発芽したばかりのヒガンバナをここまで育てたとは感動するばかりだ。
 やっぱり光合成は偉大ナリ!!
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▼緑を失いつつある今こそが、植木鉢に植え替えるチャンスだと思った。
 普通にヒガンバナの球根(鱗茎)を引っ越しするのもこの梅雨時が最適というから同様であろう。
 土ポットをカップから出して繁々と観察してみた。
 こんなにじっくりと「発芽・発根」のようすを観察できるとはアリガタイ!!
 あらためて楠田式「自然結実」ヒガンバナ実生実験法の正しさを実感するのだった。(自画自讃!!(^^ゞポリポリ)
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▼土を入れた植木鉢に入れようとして気づいた。
 土ポットの底まで、両方とも根が伸びていた!!
 やっぱり「発芽・発根」で正しいのだ。
 上に白く見えていたものは「球根」(鱗茎)の赤ちゃん(!?)だろう。
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▼植木鉢に入れた土ポットに上からさらに土をかぶせ、たっぷり水をやった。
 正直言ってこうして実生実験に取り組むまで知らなかった。
 春(初夏) 「発芽・発根」
 秋    「出葉」
 の二段階で成長していくなんて!!

 さあ、今年の秋、ヒガンバナ咲き終わったころ、ほんとうにここから「出葉」してくるだろうか!?
 o(^o^)o ワクワク
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【Web更新6/09】19-23 サイエンスコミュニケーター宣言 等 更新!!

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今しばしや青空ながむ栗の花 19/06/06撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】19-23
週末定例更新のお知らせ
 一日の計画をその日の空模様と相談しながら決めるという日が続いている。
 まさに「観天望気」の暮らしである。
 「観天望気」こそほんとうの「科学」のはじまりなのかも!?
 そんなことぼんやりと考えている。

◆表紙画像集2019 更新 栗の花
 「墜栗花」とかいて「ついり」と読むそうです。
 また「栗花落」、これで「つゆ」と読む姓があると聞いたことがあります。
 そう、栗の花が落ちる頃に梅雨に入るということですね。たいした観察眼ですね。
 いつもの場所の栗の花は青空めざして盛り上がっていました。
 先週末の近畿地方の梅雨入り宣言は見送りになったようです。
 はたして、いつだろう!? 栗の花は!?
 
◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!!
 5つの「座標軸」で、サイエンスコミュニケーターとしての「現在地」を確かめてみた。
 「現在地」確認したあと次にどんなアクションを起こすか?
 そこがいちばん問われている。

◆「クモ学」のすすめ 更新!!
 2013年の夏からはじまったシロウト「クモ学」!!
 今年で7年目だ。私はつくづくとラッキーな人間だと思う。
 今年もはやくも7号コガネグモに出会った。7号はより家に近づいてきた!!
 さて今年は何を見せてもらえるのかな o(^o^)o ワクワク

◆「コウガイビル」を追う 更新!!
 41号、42号、43号コウガイビルがエサなしで現在生き続けている。
 多数のコウガイビルの赤ちゃんも!!
 次なる一手が思いつかない。いちばん最初の「ふりだし」にもどってのアクションを起こしてみたいと思っている。

◆【ヒガンバナ情報2019】 更新!!

 34個の「自然結実」ヒガンバナ「種子」のうち、3つが発芽・発根した!!
 先行した2つはもう植木鉢に植え替える時期がきているのかもしれない。

さて、今日の屋外での作業はいつやろうかな!?


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本日(2019/06/10)、第225回オンライン「寅の日」!!#traday #寺田寅彦

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をとゝひの へちまの水も 取らざりき

 

糸瓜咲きて 痰のつまりし 佛かな

 

痰一斗 糸瓜の水も 間にあはず

 「子規絶筆三句」である。子規と糸瓜には浅からぬ縁があった。
 先月、二度目の訪問をした「子規庵」の庭には子規の愛した糸瓜棚があり、今も糸瓜を育てられていた。
 そのとき、糸瓜の種5粒を「おすそ分け」にいただいた。
 5/30に蒔いて、4粒まで今 発芽してきた。さて、うまく大きく育てることができるだろうか!?
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▼2019年6月のオンライン「寅の日」のテーマは決まっていた。
 7年間の取り組みから生まれた  
◆寺田寅彦「俳句入門」十選 !!  を順次読むことだった。
 今回はそのベスト1、「俳句の精神」を読む。

◆ 本日(2019/06/10)、第225回オンライン「寅の日」!!

●「俳句の精神」(青空文庫より)

 

▼今回の作品の発表年月を見てみると

(昭和十年十月、俳句作法講座)

となっている。寅彦は昭和十年の大晦日に亡くなっている。
つまり、これは最晩年の作品である。
 俳句に関する寅彦の考えのすべてがここに集約されていると言ってもいいぐらい濃厚な作品である。
 何度読んでも、読むたびにあらたな発見がある。
 
 「俳句」に対する考えのみならず、そこには日本人の自然観・科学観についても深く考察されていた。

  日本人は西洋人のように自然と人間とを別々に切り離して対立させるという言わば物質科学的の態度をとる代わりに、人間と自然とをいっしょにしてそれを一つの全機的な有機体と見ようとする傾向を多分にもっているように見える。
 この自然観の相違が一方では科学を発達させ、他方では俳句というきわめて特異な詩を発達させたとも言われなくはない。

「季題」の重要性、俳句の必然性、可能性についても語ってくれていた。

俳句における季題の重要性ということも同じ立場からおのずから明白であろう。限定され、そのために強度を高められた電気火花のごとき効果をもって連想の燃料に点火する役目をつとめるのがこれらの季題と称する若干の語彙(ごい)である。
十七字のパーミュテーション、コンビネーションが有限であるから俳句の数に限りがあるというようなことを言う人もあるが、それはたぶん数学というものを習いそこねたかと思われるような人たちの唱える俗説である。少なくも人間の思想が進化し新しい観念や概念が絶えず導入され、また人間の知恵が進歩して新しい事物が絶えず供給されている間は新しい俳句の種の尽きる心配は決してないであろう。

▼私は今、「俳句」というものにこだわりながらも、人に「今、なぜ俳句なのか!?」と問われれば答えに窮してしまう。
 寅彦の「俳句の精神」を読んでください!!  と答えるようにしようと思う。
 私にはなかなかコトバにならないところを、きっちりと代弁してくれていた。
 「俳句のキモ」についてこうだ!!

このように自然と人間との交渉を通じて自然を自己の内部に投射し、また自己を自然の表面に映写して、そうしてさらにちがった一段高い自己の目でその関係を静観するのである。

 またその「俳句修業」の効用についてこうだ!!

 俳句の修業はその過程としてまず自然に対する観察力の練磨(れんま)を要求する。俳句をはじめるまではさっぱり気づかずにいた自然界の美しさがいったん俳句に入門するとまるで暗やみから一度に飛び出してでも来たかのように眼前に展開される。今までどうしてこれに気がつかなかったか不思議に思われるのである。これが修業の第一課である。

さらに続けて

しかし自然の美しさを観察し自覚しただけでは句はできない。次にはその眼前の景物の中からその焦点となり象徴となるべきものを選択し抽出することが必要である。これはもはや外側に向けた目だけではできない仕事である。自己と外界との有機的関係を内省することによって始めて可能になる。

そして極めつけがこうだ!! 

  一般的に言って俳句で苦労した人の文章にはむだが少ないという傾向があるように見える。これは普通字句の簡潔とか用語の選択の妥当性によるものと解釈されるようであるが、しかしそれよりも根本的なことは、書く事の内容の取捨選択について積まれた修業の効果によるのではないかと思われる。俳句を作る場合のおもなる仕事は不用なものをきり捨て切り詰めることだからである。

なんと「断捨離」こそ俳句の極意である!!と説くのデアル。
勉強にナリマス!!

俳句結社「寅の日」発足会をひらいて、この「俳句の精神」一緒に読みませんか (^^)V

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サイエンスコミュニケーター宣言(408)

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大賀ハス観察池がピンチだ!!
 【大賀ハス観察日記】をつけだして今年で12年目に入っている。この12年間で、今が最大のピンチかも知れない。
 今年の蓮根の植え替えをしてから11週目だった。
 昨年、小さな観察池に分散していたものを再び大きな観察池にもどした。今年の観察に大いに期待していただけにショックだった。
 例年の成長にくらべ今年は少し元気ないと感じていた。それで追肥を加えすぎたのかも知れない。
 池の水は黒く濁り、どぶ沼のようになってしまった。浮葉も枯れ始めるものも出てきたので、あわてて池の水の入れ替えもしてみた。
 この大賀ハスの元々の「ハスの実」のおすそ分けをしていただいた本家本元の阪本さんにSOS発信をして、ていねいなアドバイスをもらった。
 ナルホド!!(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン さすがだ。深謝
 一昨日の大雨で洗われ少し元気を回復したかに見えるが…。なんとしてもこのピンチから救出したい!!
▼サイエンスコミュニケーターとしての「現在地」確認の作業を続ける。
 次なる座標軸はこうだった。

(4) あらたな理科教育コミュニティの構築!

 これについては、ここ数年で私はひとつの結論めいたものを持っていた。
 寺田寅彦流に言うならば
 「新しい事はやがて古い事である。古い事はやがて新しい事である。」
 デアル!!
 古くて常に新しいモノ、常に「あらたな」展開をめざすもの!!
 それが私にとっては【理科の部屋】だ。

▼最後の座標軸に行く。

(5) 日本理科教育史を現在進行形のかたちでまとめる。
 
 ゆっくり読んでみると、自分でも赤面してしまうほど大げさなことを言ったものである。
 一介のポンコツ理科教師が語るようなことではないのかもしれない。
 でも私は力説したい。
 「日本理科教育史」を専門家だけに任しておく時代ではない!!
 もっともっと等身大の「日本理科教育史」が語られなければならない!!
 幸いなことに、それを語りはじめる手段とツールを誰もが手に入れた時代だ!!

▼「日本理科教育史」ということで、これまでずいぶんと参考にさせてもらった書籍がある。

■「増補 日本理科教育史」(板倉聖宣著 仮説社 2009.4.1)

1968年版の増補版である。本文もさることながら、この付録の「年表」がとても参考になった!!
「日本理科教育史」を俯瞰するとき、必見である!!
  
 しかし、その年表も2009.4.1で終わっていた。
 誰かがこのあとを「記録」されているのだろうか?それが知りたい!!

 なにかここで一緒に書くことがちょっと恥ずかしいが、私にとってはより等身大の「日本理科教育史」年表があった。

◆【理科の部屋】25年史年表

【理科の部屋】30年史年表に向けて少しずつ少しずつ更新をつづけよう。
 ゆっくり 急ごう!!

 今回の「現在地」確認作業はここまででいったん終了する。

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